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小学校高学年で宮沢賢治、中学校で太宰治→夏目漱石「こころ」、高校はドストエフスキーの「白痴」「罪と罰」読んで、QUEEN聞いて、欲を言うと大学でフロントとマルクス「資本論」をかじっておけば、このどうしようもない世界でも何とか闇落ちしないで生きてけるはず。
世間の流れに若干乗り遅れてるけど、とりあえずインストールしてみた。
ChatGPTとGeminiは課金してるから使い勝手や賢さ比べてみますかね
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コード: BAM7A2
muse.ai/join
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種蒔き retweeted
Des "Français" musulmans rentrent du Japon avec le souvenir d'un accueil parfait. Puis ils activent la traduction automatique sur des posts japonais qui parlent d'islam et découvrent une dureté jamais croisée dans la rue. L'erreur de lecture : croire que les Japonais vous apprécient parce qu'ils sont accueillants. Le touriste prend l'excellence du service pour un verdict sur sa personne.
La société japonaise repose sur le couple tatemae (建前) et honne (本音). Le tatemae est la façade publique obligatoire, le honne l'avis réel, qui ne sort presque jamais. La politesse locale n'est pas de la bienveillance, c'est une procédure faite pour épargner au groupe toute friction. Un sourire impeccable ne veut pas dire « je t'aime bien », il veut dire « je ne créerai pas d'incident ».
Le tatemae tient par une norme : l'évitement absolu de la contradiction. On ne dit pas non, on ne débat pas, on lit l'air. Contredire un inconnu en face, c'est briser l'harmonie collective et devenir le problème. Un rejet ne s'exprime pas, donc il ne s'évacue jamais : il s'accumule en silence.
Dans la rue, le regard du groupe tient tout le monde. Sous pseudonyme sur X, il n'y a plus de groupe pour regarder, ni de réputation à perdre. Ce qui a été contenu pendant des années se déverse d'un bloc. Le Japon physique est muet, le Japon numérique lâche tout. Ce ne sont pas deux pays, c'est le même avec la contrainte retirée. Un fil anonyme ne résume pas l'opinion d'un peuple, et une courbette à l'hôtel ne prouve aucune sympathie : les deux montrent une part, pas le tout.
Préféreriez-vous qu'on vous dise non en face, ou qu'on vous sourie en le pensant très fort ?
種蒔き retweeted
【武井壮という日本の病理Ⅱ】
「5年後に分かるよ」。武井壮の投稿が590万回表示。
5年後を待たなくていい。日本の文化が何によって失われているかは、いま数字で分かる。
①文化はすでに失われている。外国人のせいではない
都道府県指定の無形民俗文化財は、31県で102件減った。理由は子どもや若者の担い手不足、後継者不足、資金不足だ。
神社は10年余りで約670社減った。
国立科学博物館は2023年、光熱費と物価の高騰で標本を守る資金が危機に陥り、クラウドファンディングで約9億2千万円を集めた。東京国立博物館の館長は同じ年、「国宝を守る予算が足りない」と訴えた。光熱費の不足分を補正予算に求めて、ゼロ査定を受けたという。
文化庁の予算は2023年度で1,077億円。国の一般会計の0.1%にも届かない。
「手放したらもう取り戻せない」文化を、いま手放しているのは外国人ではない。人口減少と、文化に金を出さない政治だ。そこに一言も触れずに「日本固有の文化」を語るのは、文化を守る話ではない。外国人を遠ざけたいだけの話。
②「文化は人なんだよ」。その通り。
では、いま祭りを担っているのは誰か。滋賀県草津市の新宮神社の例祭では2023年神輿の担ぎ手60人のうち17人が外国籍。福岡県は担い手不足の祭りに人を派遣する「地域伝統行事お助け隊」を2023年から続けている。登録者は431人だ(2026年9月末)。
文化が人なら、神輿を担ぐ人が文化の担い手だ。生まれた国は関係ない。そこに住まう人の心が文化をつくるというなら、日本で暮らす約396万人の外国人(2025年6月末)も、その「住まう人」。
③「日本固有」の文化は、外から来たものでできている
日本語の文字は、中国の漢字を借りて生まれた。奈良や京都の寺は中国や朝鮮の寺院に倣って建てられ、仏教はインドで生まれた外来宗教。それが日本人の心の拠り所になってきた。千年前の源氏物語を原文のまま読める人はほとんどいない。日本語すら変わり続けてきた。外来のものを一枚ずつ剥いでいけば何も残らない。太古から続くとされる伝統の多くは後の時代に整えられたフィクション。変化と外からの混ざり合いを忘れることで、私たちは「ずっと同じ日本」だと錯覚しているが、常に変わり続けてきたのがその「ずっと同じ日本」。
④閉じた国の末路
日本は開国によって近代化した。その開国を手放し、富国強兵だけで突き進んだ先にあったのが、石油を止められ、追い詰められて始めた戦争、敗戦。日本の歴史が教えているのは、閉じることの末路。歴史を勉強しよう。
⑤承認
外国人の居場所を認めると、日本人が軽んじられる。そう感じる負け犬がいる。しかし承認は限りある資源ではない。外国人を認めることと、日本人を認めることは両立する。
自分が大切にされていないと感じるなら、その不満を向ける先は外国人ではない。政治だ。
⑥5年後の答え合わせはもう済んでいる
特定技能をつくった改正入管法の施行は2019年4月。既に7年半経っている。日本で働く外国人は約166万人から257万人に増えた。いまや働く人の27人に1人。
受け入れていなければどうなったか。建設業の就業者は685万人から477万人に減り(1997年→2024年)、55歳以上が36.7%を占める。道路も橋も水道も、直す人がいなければ朽ちる。介護職員は2026年度、2022年度より約25万人多く必要だ。特定技能で最も多いのは飲食料品製造業だ。インフラの補修も、介護も、食品工場も止まっていた。
物価はいまでさえ2025年に3.2%上がり、人件費高騰による倒産は前年の1.4倍に増えた。外国人を受け入れてなお、これだ。門を閉じていれば人件費も物価もさらに跳ね上がり、日本はとっくに詰んでいた。
文化は人だと言うなら、人を締め出した国に文化は残らない。5年後に痛感するのは、外国人を入れたことではない。入れなかった日本を想像すらしなかったことのほうだ。
結局、武井壮という日本の病理は、学ばず、幻想を誇るだけの、日本列島の劣等性の裏返しである。
























