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教科書と現地のズレから『本当の日本』を発見するアカウント 📍 福井フィールドワーク — 江戸・戦国・古代が同じ場所で呼吸している 🎓 日本伝統文化検定 Level 2 💡 「こういう日本、知ってた?」という発見が毎日 🔖 ここは単なる情報アカウントではなく、あなたが歩いて感じた日本が届く場所

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新しいフォロワーさんへ — このアカウントで学べる5つのこと このアカウントをフォローすると、あなたは以下を手に入れます: 1. 権神・磐座など『民間信仰の奥深さ』 → 教科書には絶対出てこない日本人の根源 2. 江戸文化の『継続性』の秘密 → 例えば江戸グルメ(260年)が教える時間軸 3. 一乗谷・北ノ庄など『戦国史の真実』 → 現地で見つかる教科書のウソ 4. 平泉寺白山神社『消えた中世宗教都市』 → 8000の武僧が眠る福井の秘密 5. 福井から見える『日本の別の顔』 → 継体天皇・明智光秀・柴田勝家... 毎週、これらのテーマから「現地で発見した真実」を投稿します。 あなたは単に「情報」を得るのではなく、 ここから『日本を再発見する旅』に参加します。 フォローすべき人: ✅ 日本史が好きだが、教科書の枠を超えたい ✅ 越の国〜越前若狭〜福井の文化的価値に興味がある ✅ 「なぜそうなるのか」を現地で確認したい人 さあ、一緒に福井を歩きましょう。📍 #福井 #日本文化 #フィールドワーク
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小浜八ヶ寺巡り、八つの寺を巡り終えた結びに、若狭彦神社・若狭姫神社へ参拝してきました。 若狭国一宮として、古くからこの地の信仰を集めてきた二つの社です。 八ヶ寺を巡る旅の結びに、若狭の神様へ感謝を伝えに行ってきました。 #小浜八ヶ寺巡り #若狭彦神社 (若狭彦神社一の鳥居)
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八つの寺を巡り、最後にたどり着いたのは、寺ではなく神社でした。 神仏習合の信仰が息づいた時代の記憶を、若狭はいまも静かに抱えています。 小浜八ヶ寺巡り、これにて結願です。 若狭の神様、仏様、ありがとうございました。 #小浜八ヶ寺巡り #若狭彦神社 #若狭姫神社
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山幸彦(彦火火出見尊)は、兄の釣針を探して海神の宮へ行き、そこで豊玉姫命と出会い結ばれます。 海の底の宮、海神の娘との婚姻、そして地上に戻るという構造は、日本神話の中でも代表的な「異郷訪問譚」とされています。 
実はこの構造、丹後・天橋立に近い京都府伊根町の浦嶋神社(宇良神社)に伝わる浦島太郎伝説ともよく似ています。 竜宮城、乙姫、海の底での時間—— 民間に広まった浦島太郎の物語は、もとは貴族の浦島子が常世の国へ行ったという伝承が変化したものとされ、海幸山幸神話と同じ「海の彼方への旅」を描いているように感じます。 若狭と丹後、隣接する二つの土地に、似た形の物語が残っていました。
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小浜八ヶ寺巡り、本日は萬徳寺。 国指定名勝の庭園は、天然記念物に指定されたヤマモミジが景観を彩る枯山水です。 ただ、この寺の歴史を辿ると、庭園以上に驚くもう一つの顔が見えてきます。 #小浜八ヶ寺巡り #萬徳寺
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天台宗の極楽寺から、若狭唯一の「駆け込み寺」と伝えられた時代を経て、今の枯山水の庭へ。 萬徳寺は、静かな庭の奥に、何度も姿を変えてきた寺の歴史を隠していました。 小浜八ヶ寺、また違う"顔"に出会いました。 #小浜八ヶ寺巡り #萬徳寺
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小浜藩酒井家の初代は酒井忠勝。 徳川家康の家臣の子として生まれ、もとは川越藩主でしたが、寛永11年(1634年)に若狭一国などを加増され、若狭小浜12万3500石へ移封されました。 将軍・家光から「一代は国持大名」として処遇されたとされます。 
忠勝は幕府でも老中を務め、のちに「大事のある日のみ登城する」という特別な立場を与えられました。 これが後の「大老」職の起源になったとも言われています。 萬徳寺が現在地へ移されたのは、こうした酒井家の治世が若狭に根づいた時代のことでした。
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小浜八ヶ寺巡り、本日は若狭神宮寺。 毎年3月2日、境内の閼伽井(あかい)で汲んだお香水を鵜の瀬へ送り、遠敷川に注ぐ「お水送り」の舞台です。 若狭と奈良を結ぶ、古くからの信仰の物語が今も息づいています。 #小浜八ヶ寺巡り #お水送り
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若狭と奈良の深いつながりを、これほど象徴する場所もないかもしれません。 食だけでなく、水と信仰までもが奈良とつながっていた—— 神宮寺は、その記憶が今も生きている寺でした。 #小浜八ヶ寺巡り #お水送り (境内)
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実は、お水取りをめぐっては、こんな異説もあります。 修二会を始めたとされる実忠和尚について、言語学者・伊藤義教氏は、実忠の名や出自をイラン系の語に結びつけ、「異邦人」を意味する語に由来する可能性を論じました。 さらに、修二会の火や水を用いる儀礼に、古代ペルシャのゾロアスター教の影響を見いだそうとしたのです。 
ただし、これは伊藤義教氏が提唱した大胆な仮説であり、現在の歴史学・宗教学で広く認められた定説ではありません。 また、若狭の水が地下を通って東大寺の若狭井に届くという伝承を、ペルシャの地下水路「カナート」と連想的に結びつける見方もありますが、両者の歴史的な影響関係を示す証拠は確認されていません。 それでも、若狭と奈良を結ぶ水の物語に、遥かペルシャの影を重ねるというのは、ロマンのある話だと思います。 (ペルシャのカナート・世界遺産ナビより)
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9割の日本人は「おむすび」って言わなくなって 「おにぎり」っていうけどさ、「結びの文化」って大事なことなんだよね お米とお米を結ぶだけじゃなくて… 海の恵みの「塩」 地球の恵みの「水」 それから人間の手から発する「気」 こーゆーものをギューっと結んでいるんだよね 古事記で世界の初めに現れた神様はアメノミナカヌシノ神なんだけど、 左右を固めたのがカミムスヒノ神とタカミムスヒノ神 二柱の「むすび」の神様だね 「ムス」は生まれるいのち 「ヒ」は霊力のことなんだよ まさに「おむすび」は日本人の霊的パワーフードなんだよ 世界にはいろんな種類のお米があるけどさ、 結ぶことでパワーアップするのは日本のお米なんだよね 今はちょうど稲刈りの時 春から大事に育てた稲をみんなで刈り取る喜びの季節だよね お米って人と人も結ぶものでもあるんだよ スーパーで売っているお米を買うのじゃーなくて、 誰かと一緒に自分たちでお米をつくってみる そんなチャレンジをしてみようと思うのだけど、 あなたもやってみませんか? 日本人の暮らしの智慧のお話をお伝えしています 日本人本来の在り方をお届けしております もっと聞きたいと思ったら、 まずオープンチャットにおいでください オープンチャット「きちじ講」 火・木・土 朝7:30/ x.gd/qoZD8
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小浜八ヶ寺巡り、本日は多田寺。 地元では「多田のお薬師さん」と呼ばれ、眼病平癒を願う人々の信仰を集めてきました。 なぜ「眼」なのか—— その由来に、一人の上人の百日の物語があります。 
寺伝によれば、天平勝宝元年(749年)、孝謙天皇の勅願によって勝行上人が創建したと伝えられます。 孝謙天皇が眼病を患った際、勝行上人が多田ヶ岳に百日籠もって修行し、その霊験によって眼病を治したという伝承も残ります。 史実として確定した経緯ではなく、あくまで寺に伝わる縁起としてお伝えします。 
本尊は木造薬師如来立像。像高192.5cm、平安時代初期の一木造で、国指定重要文化財です。 厨子には、伝日光菩薩とされる十一面観音菩薩立像、伝月光菩薩とされる菩薩立像も安置されています。 これら3体はいずれも重要文化財で、現在の本堂は文化4年(1807年)に再建されたものです。 
多田寺には、平安時代初期に造られた仏像をはじめ、地域の信仰とともに受け継がれてきた文化財が残されています。 なかでも本尊と脇侍の三尊像は、若狭における古代の仏教文化と造像技術を今に伝える貴重な仏像群です。 
天皇の眼病を治したという伝承から、地域の信仰とともに受け継がれてきた仏像群まで。多田寺は「信仰」と「地域の記憶」が重なり合う場所でした。 小浜八ヶ寺、また違う形の"守られ方"に出会いました。 #小浜八ヶ寺巡り #多田寺 (写真は山門と階段奥の本堂。仏像群は撮影禁止のためぜひ現地でご覧あれ)
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実は勝行上人について、多田寺の縁起以外にはっきりした史料がほとんど残っていません。 「多田ヶ岳に百日籠って法力を得た」という話も、寺に伝わる由緒の中でのみ語られている人物です。 
ちなみに似た名前で「勝道上人(しょうどうしょうにん)」という、日光山を開いたことで知られる別の高僧がいます(735〜817年)。 字面が似ているため混同されがちですが、多田寺の勝行上人とは別人です。
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