今日からタイの中学生にひらがなを教えるんだけど、みんなに「あ」を書いてもらってそれぞれ読めるものと読みにくいものなどを比較して、どの部分が「あ」の可読性を構成しているのかをみんなで考えるという授業をやってみたい。つまり「あ」の構成要素の分析。うまくいくかは知らない😂
日頃は自分の仕事や資格試験の勉強に打ち込んでいて、でもその間に少しでも哲学書を読みたくて読んでいる、というような人をものすごく尊敬している。バランスが良いというか。ギリシア市民的な有徳さがあると思う。
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桑原旅人『汝の「欲望」に従って行為せよ――ジャック・ラカンの倫理学』を読み始めた。
第1章「精神分析とはどのような仕事なのか」の冒頭で、桑原さんは、精神分析とは本来どのようなものなのか、意外なほど論じられることが少ないのではないか、と問題を提起する。確かにそうかもしれない。
そしてラカンの初期セミネールに立ち返り、精神分析とは過去の出来事を単に発掘することではなく、現在から過去を語り直し、主体の歴史を再構築する営みなのだと説明していく。この説明が実に面白い。
特に印象に残ったのが、次の一節だ。
「必ず現在の地点から過去を語り直すことによって実行されなければならない」
この言葉を読んだ瞬間、以前から考え続けている記憶作用、記憶概念の本質と、永井均さんの独在論が頭に浮かんだ。
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哲学は、ウィトゲンシュタインが言うように、才能でも努力でもなく性格です。つまり「哲学向きの性格」があるだけ。ただ問題は、「自分が哲学向きの性格かどうか」は、実際に本気で哲学をやってみなければわからない、音楽やスポーツと違い、30歳前には分らないという悲喜劇があるだけなのです(笑)。
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明日発売の「週刊読書人」(2026年10月30日号)で、小山虎さんが、拙著『何でもいい何かって何? ── Any-ness の哲学』(青土社)の書評を書いてくれているようです。
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評者(小山虎)は、この書評の最後で「本書の副題は「Any-nessの哲学」であるが、むしろ「動的な任意性の哲学」の方が正鵠を射ているのかもしれない」と指摘してくれている。
たしかに「動的な任意性」ならば、本書の最初のほうで書いた「任意性」という訳への懸念は、だいぶ払拭できるし、本書全体で強調している「動性」を掬い取れると思った。
小山さんの提案を受けて、今後は「動的な任意性」という呼び方も使わせていただこう。
大学院もさっぱりついていけず(まわりもそう大したことはなかったが、だからこそ)哲学のセンスもやる気も欠けてるとずっと思ってたんだけどなあ。なんだかよくわからないよ。
たとえ実際センスもやる気もいまだに大してないとしても、本を書いたり、人前に出ることで鍛えられたように思う。
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順番はともかく、これらをとりあえず読み直す又は読む感じかな(リプに本のタイトルと出版社書きます)
端に写ってるショーペンハウアー全集は読まない。昨日読んで挫折したからまた今度読み直す。
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『ヴェールを脱いだイシス』ならぬ、『マスクを取ったネオ高等遊民』が拝めます!
【情報解禁★拡散希望】 哲学を中心とした新しい知の学びの場、「ネオ・アカデメイア—テルシテスの学園」を2027年4月に開校します! 創立者 高久弦太、共同創立者 ネオ高等遊民、そして特別講師・相談役の入不二基義先生をお迎えしての三者鼎談をまずはご覧ください!
youtube.com/watch?v=AaABTP9n…
哲学研究がしたいわけでもなければ、自分にとって重要な哲学的問いが明確にあるわけでもないのに、なぜか自分は哲学に長いことかかわってきてしまっており、最近ではどうも才能がないわけではないことがわかり、一生をかけて追求するに値することだとすら認めはじめてしまっている。
これは楽しみですね。
とりわけ、このアテネの学堂プラトンの毛髪が黄色いというのは、史上初なのではないでしょうか?😂
見本が届きました! 取材・構成を担当しています。
『すごい古典入門 プラトン『国家(ポリテイア)』――正しく生きれば幸せになれるの?』納富信留著、中央公論新社
11月6日発売です!
link.amazon/B03dvJtiD
この4日後は『哲学史入門Ⅴ』。人文ライター、働いてます。
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この4日後は『哲学史入門Ⅴ』。人文ライター、働いてます。
永井均『世界の独在論的存在構造』では、この複数の今の成立について、「端的な今という、この現実性を、概念(本質)とすること」などと説明されており、恐るべき簡潔さに驚愕しました。
この今は私の横にいるこの人にとっても同じ今なのか。この問いと、過ぎ去った今とこの今は同じ今なのか、という問いとは、同じことを意味するのだろうか?
いま何時? 夜の11時30分だよ。こうした会話が、この今の存在を分かり難くしている。この今が、11時30分という時刻=時制に組み込まれることによって、すなわち同時性によって同じ今が共有されているという信念が形成される。しかし同時性という概念が成立可能なのは、むしろこの今(の複数化)があってこそだろう。ところが同時性が一たび成立すると、この今は誰にとっても同じこの今でしかなくなり、冒頭の問いはばかげてみえる。
ゆえにこれは、過ぎ去った今においては〈この〉性(現実性)だけが失われる事態とは異なる。――と言えるだろうか?
永井先生のおっしゃるとおりで、まさにすべてがそこから始まる原点を問い、論じる哲学書が『世界の世界の独在論的存在構造ー哲学探究2』です。
だから読まないと何も始まらないというのは、(誇張でもなんでもなく)そのとおりなのです。「驚愕発売中」といった文句も納得です😂





















