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人はどうしたら幸せになれるんでしょうね。 大乗、密教、テーラワーダ、仏教のぜんぶが好き。 本の中にしかなかった「瞑想」をご縁があって最近ようやく実践し始めました。 だから迷走中です。 みんなの心がいつも穏やかでありますように…

Joined August 2026
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「プラユキ師・法話と瞑想の集い(11/7)」 プラユキ師の瞑想誘導は、やっぱり、絶妙です 心の動きがよく観えるんです! 一人で瞑想しているときとは全然違いますね
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プラユキ師「瞑想実践会35」募集開始!(アーカイブ配信あり) 久しぶりに3時間かけて気づきの瞑想に取り組む、本格的オンライン瞑想会を開催 30分のノンストップ手動瞑想もします。参加者の質問にもじっくり答えていただく予定。気づきの瞑想を身につけていきたい方、ぜひご参加を! 申込先コメント↓
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◾️11/7(土)19〜22時 法話と瞑想の集い「握る手を、ひらく――アーナーパーナ・サティ/心への気づき、法への気づき」(オンライン ※アーカイブ配信あり) 前回は、アーナーパーナ・サティの第9〜11段階、心(チッタ/citta)への気づき。心を丁寧に観察し、喜ばせ、統一するところまで進みました。心の静けさや集中が深まるなど、手応えを感じた方も多かったのではないでしょうか。 ただし、ここが正念場。静まった心、心地よい感覚を「失いたくない」と握りしめた瞬間、再び苦悩の世界に逆戻りとなるからです。 今回は、第1〜11段階までの流れを簡単に振り返り、瞑想実践を通してのおさらい。そのあと第12段階の「心を解き放つ」に進んでいき、貪瞋痴や五蓋、粗い禅定要素など、心を拘束している一切のものを解き放ちます。それにより、何ものにも誑かされることのない自由と明晰な視座が確立します。 そしていよいよ最後の領域――「法(ダンマ/dhamma)への気づき」(第13〜16段階)へと進んでいきます。 冒頭で、これまでの全段階を瞑想を通じて復習しますので、アーナーパーナ・サティはじめての方も、安心してご参加ください。kokuchpro.com/event/e1e7bbd8…
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「身心一如」 それは単なる比喩ではないと思うのです 刺激に対する身体(眼・耳・鼻・舌・身)の感覚をありのままに観なさい 心(意)に浮かぶ思考や感情をただただ観察しなさい 「心」を「眼・耳・鼻・舌・身」と同じ「感覚器」として捉えたことは仏教の革新性ではないでしょうか
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アチャン・ニャーナラトー師「11月の法話と瞑想の会『自由、束縛、制限』(11/1) 本当の自由は、束縛や制限を受けない、輪廻(因果)の外にある 何かを達成したその先の遠くにあるのではなく、「いま、ここ」にある そういうお話だったように思いました
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アチャン・ニャーナラトー師 法話・瞑想会(10/25)⑤ ルアンポー・スメドー師の言葉をご紹介くださいました “ Paññā, or wisdom, comes from intuition, not from analysis ” (智慧は分析からではなく直感から生まれる) 増谷文雄先生は「『さとり』とは『直感』である」と書かれています。
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意識的にベッドから起き上がることはできるけど、意識的に睡眠から目を覚ますことはできません 目覚めは己の意思とは関係なく、それは「起こる」んですね You can consciously get out of bed, but you can't consciously wake up. When the time comes, it wakes you up.
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「息をする」っていうけど、本来、「息は自然に起こる」ものなんですね 普段は「意識して」呼吸してないもん ただ、極めて限定的なんだけどコントロールできる部分もある だから、息は、意識と無意識との、つまり、「私」と「自分(自然の分身としての〈私〉)」との架け橋なんですね、きっと
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“It breathes me“ 「私が呼吸をしている」 私たちはそう思っている。 でも本当は、きっと、こうなんです。 「呼吸が私を生んでいる」 「私」より先に「呼吸」があるんですよ。
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「自然に呼吸しよう」と意識すればするほど不自然になって息苦しくなる。 「呼吸する」のではなく「呼吸が自然に起こっていることに気づく」ことが大事なんですね。
「アナパナサティは、呼吸法ではありません。」 多くの人が、呼吸をコントロールし、数を数える「テクニック」を思い浮かべます。けれどもタイの森のお坊さまたちが、くり返し説いてきたのは、それとは違うことでした。――ただ、いま出入りしている自然な呼吸に、気づいていること。 本書は、その教えを日本語でまとめた実践の書です。 ◆ 準備する(土台をつくる) ◆ 実践に入る ◆ 妨げと、その扱い方――眠気・痛み・妄想 ◆ 静けさが深まる(サマーディ) ◆ 呼吸から智慧へ(ヴィパッサナー) ◆ 付録:歩行瞑想/用語集 アチャン光男、メーチー・ジュン、ルアンプー・プラモートをはじめとするタイ森林派の師方の言葉を、修行の道すじに沿って配列しました。瞑想を始めたばかりの方にも、長く続けてきて壁に当たっている方にも。「何も感じられない」――そのページから、開いてください。 なお、これらの教えは、これまでもこれからもウェブ上で無料でお読みいただけます。本書は、それを通して読めるように選び、順序を整え、手元に残る形にしました amazon.co.jp/dp/B0H7TK1F4K/
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アチャン・ニャーナラトー師 法話・瞑想会(10/25)④ 「私」は決して抽象的なものではない。 「私」という五蘊の塊になる前にある、ぽつぽつとした「小さな私の構成要素」を観ていく。 考え、記憶、感覚、感情… それらは、やっぱり、生じては滅する無常のものなんです。
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『合掌は「ありがとう」と「すみません」の二つの出会いであり、二つが合わさっている』
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→27(金)17:00以降「オンライン・インタビュー(個人面談)」(募集1日~10日夜9時まで) 22(日)10:00~16:45 アチャン・ニャーナラトー師法話・瞑想会 大阪
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アチャン・ニャーナラトー師 法話・瞑想会(10/25)③ 「日々刻々と起こっていることを『無常・苦・無我』という視点で丁寧に観ていくこと、そういう地道なことをやっていくこと」 これに尽きるんですね
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アチャン・ニャーナラトー師 法話・瞑想会(10/25)② 「自分を励ますために」と師がご紹介くださったルアンポー・スメードー師の言葉 “Trust in your awareness” 「気づきに委ねたらいいんだよ」 この言葉を信じられるかどうかは「誰が言うのか」に依りますよね その意味では私は幸運なんです
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「見る」じゃなくて「観えている」
今日(10/25)の法話・瞑想会でアチャン・ニャーナラトー師はこう仰っいました。 客体として対象を見ているのではない。 主客以前に純粋にただ目覚めている。 プラユキ師の言葉とまったく同じでした。 「見よう、見よう」とするのではなく、自然に「観えている」という感覚なのでしょうか…
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