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今年の5月に猪突猛進的にかいたミセス考察。なぜ「嫌いというお気持ちを語ってしまうのか」などなど、熱さと思い込みと勢いで書いてある。
『なぜMrs. GREEN APPLEが刺さらないのか――原体験と防衛心理、周波数の揺らぎに潜む認知バイアス』
note.com/ntf404/n/n6a6e6ff60…
▼有志のデモを取材してほしいときの依頼方法▼
メディアに取材してもらいたい場合は、
出来うる限り早急に書面を送ってください。
空きがあれば予定を立ててもらえます。
ビジネス文書の体裁でまとめてください。
信頼度が上がります。
「日時・場所・主催者・規模(予定人数)・趣旨・連絡先」は必須です。A4サイズ1~2枚にまとめてください。
おそらく初回はスルー率高いです。
大事なのは2回目以降です。
2回目に依頼する場合、実績を載せてください。
1回目の写真や映像、参加人数など、規模がわかるもの、紹介されたSNSのURLなど。
SNSやYouTubeなどは、グッドボタンや拡散数、閲覧回数など数字も添えると効果的です。
おそらく先にローカル紙・ローカル局から動きます。
次回以降は、それも取材実績としてそえてください。
メディアはSNSでデモの動向をチェックしていません。
また事実確認が難しいものについては動かないことが多いです。
デモを行う趣旨や目的は、タイムリーな話題ほど取り上げられる確率が上がります。国会の発言や法案、施行などタイミングを見て選んでください。メインのニュースのあとに市民の反応としてピックアップされる可能性が高まります。
「今こんなにすごいのにメディアは取り上げない」
という声が多かったので、簡単にまとめてみました。
どこかの誰かの勇気に役立てられますように。
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米国制裁下のICC赤根所長「何があっても活動止めない」 単独会見 asahi.com/articles/ASVBY4RDD…
ここ最近の小林よしのりを見て「よくぞやった」とは思えていない。ネトウヨという偏った冷笑の下地は、彼の影響も相当に大きいと感じているからだ。そこは冷静に見極めていきたいところではある。(多分彼はスタンダードな右翼思想なんだとは思うのだけれども)
ネット右翼の「思想的苗床」となった『戦争論』を再検証する
ネット右翼十五年史(3)1998年夏
gendai.media/articles/-/5299…
昨日今日とフォローいただく方に大変申し訳なく思うのですが、基本的に雑多なアカウントなので、意に沿わないと判断された場合はそっ閉じしてください。
仮想空間で遊ぶアカウントのはずが、政治にツッコミいれたり、音楽のことを猛烈に語り出したり、たまにAIのことについて語り出したりしている謎のアカウントです。たまに北海道愛も語ります。
MVのアニメーションは、イラストをオリジナルで起こしてから制作しているとのことでした。また、「シンデレラ」という作品はもともと童話でもあります。「ジャック」という言葉を用いて批判するには過剰ではないでしょうか。
「悲哀の上に、それでも明日への光を肯定していきたい、今実現できなくてもこの先きっとやっていける、だからこの努力を積み重ねていこう」と思える精神を短く「ハッピー100%」と仮置きしました。
その精神は「精神的に負荷が消えたわけではない、本当のところまだ信じられない、それでも蜘蛛の糸をたどり寄せたい」という精神状態と比べれば、かなり健全なものとして映ります。
この精神状態に陥る人は、何度も揺らぎます。明日にも揺らぐかも知れない。同じ思いを短い周期で反芻します。
見えていないから「底抜けに明るい」と決めつけているのではない。光を見出すきっかけを持てない人や、光があまりに遠いと感じている人が、それでも今日と明日の生きる理由を見出そうと、もはや諦念をもった開き直りとして、その瞬間だけでも前向きなふりができればいい。
俯いていたら、足元しか見えないけれど、顔を上げればまた視界が変わる。その世界を肯定できないとしても、その中には受け止められるものもある。その中で何とかやり過ごす。
ハッピー100%に辛さがないと言いたい訳ではなく「何かあっても自分自身を失わず乗り越えられる強さを持った人たちがいる」というところに、多くの人は視点をおいているのではと見ています。
そして一般的にはミセスの歌詞もその部類の世界観だと叩かれることが多い。
私が言いたいのは、彼らの歌う世界観には、強さを持った人の精神性ではなく、むしろその世界線にはいない人が言葉を必死に紡いでもがいている様が表れているのではないか、という指摘です。
歌詞も文学も、何が描かれているかを重点的にみますが、同時に何が描かれていないかも注視しています。語られていない部分で察することができるものもある。
文字数の制約で端的に書くことはあるけれど、だからと言って他者を浅く見ている訳ではない。私はいつも文脈から読み取りたいと考えています。もちろんそこに書かれていないことも、です。
私がミセスの楽曲に興味を持ったのが、歌唱や楽曲アレンジが、ミュージカル曲の構成に近いと感じたことからでした。それ故にプロの方の解説はすごく嬉しい。
大森氏は囁くような歌い方、語りかけるような歌い方、叫ぶような歌い方と、実に多様な表現があります。
ミセスの歌詞がシンプルな言葉でも多くの人の胸を震わせるのは、この歌唱法とコード進行と楽曲アレンジの構成の妙だと思っています。
ミュージカルもメタルも好きな自分にとって、大変興味深い表現者の一人です。
大森元貴さんの歌唱には、高音域の華やかさだけでは語れない魅力がある。
歌唱時の喉頭の位置は、声道の共鳴や音色に影響する重要な要素だ。
喉頭が高い位置にあること自体が、誤った発声というわけではない。
その適切な使い方は、歌唱様式や表現の目的によって異なる。
大森さんの歌唱で注目すべきは、単に高音が出ることではない。
中低音から高音への滑らかな移行、声色や強弱の変化、ファルセットとの使い分けなど、実に多彩な表現を聴かせている。
特に優れているのは、こうした技術が単なる技巧の披露に終わらず、言葉の表情や楽曲のドラマ性に結びついていることだ。
歌唱表現では、一つの声色を美しく保つだけでなく、音楽の展開や言葉の意味に応じて、声の状態を自在に変化させる能力が求められる。
優れた歌唱技術とは、特定の発声様式に当てはまることではない。
自分の声をどれだけ自在に操り、音楽表現へと結びつけられるか。
その能力にこそ、歌手としての真価が表れるのだと思う。
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偏見や差別については、社会心理学の分野で研究が積み重なっているので、ご興味ある方は名著と言われる入門解説書を手にとってみるのもよいのではないでしょうか。個人的には、偏見や差別を持ってしまうことと、それを相手に伝えるように表出してしまうことでは、天地の違いがあると思っています。
404 retweeted
差別や偏見について、SNSで「自分で選んだのだから」「代わりに高い報酬を手にしたのだから」「表に出てきたのだから」といった理由で、「偏見を持たれても仕方ない」といった話題が盛り上がるたびに、太宰のこの一節を思い出しています。自戒したい。
aozora.gr.jp/cards/000035/fi…
大森元貴の「これでいい」っていう自己受容はハッピーな100%全肯定とは真逆の「こんなはずじゃなかったし、猛烈にダルくて無理だけど、もういいや、もうこれでいいです、仕方ないです、言っても何も変わらない、誰も認めてくれない、自分でやります、セルフ認印押します、押しましたからね!(だからと言って何か変わるわけじゃないけど)」っていうニュアンスを個人的に勝手に感じるので、捻くれてるおいら的には受け入れやすい。
ミセス『シンデレラ』MVへの叩きっぷりを見て、なんで音楽を聴いてるのに、歌詞や映像ばかりを拾いあげるのかと気になった。もしかしたら多くの人は、歌詞一つ、絵一つで全て解釈できると考えているのかもしれないという疑念に変わった。
その言葉や絵がのるところには、音がある。何故ってMVだから、ミュージックビデオだから。
言葉や映像が流れるところには、音の質感であったり流れだったり、そして構成がある。音で構築された起承転結がある。その組み合わせの妙で音楽の世界は成り立っている。
つまり、
歌詞や映像のモチーフは、
音楽という作品においては、
あくまで作品構成の要素の一つ、
なんだよね。
だから、ミセスに限らず、歌詞だけを拾いあげて「作品が浅い」と騒ぐのは、いささかミスリード。MVはミュージカルみたいなもので、互いに影響し合って受け手に届くものだから。
そこに流れている音、流れを聴いてみて欲しい。複合的に響き合うものだと思うから。
もしそこを拾い切れてないなら、是非そこにある「音」に耳を傾けてほしい。違った世界がそこにあるのかもしれないので。
歌詞が浅いとか深いとか、表層だけで語ってもなぁ。そんなことを言い出したら、枕草子とかどうなってまうのん。「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく」でしょ。これを見て「浅い」というなら、まずそこに正座しろ、と思うわけです。
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北海道は雪道で転んだ人がいても助けないどころか見向きもしないは''ガチ''です。
道民はいかに「今年はまだ転んでいない」という自慢を出来るかに命をかけています。それくらい雪道で転ぶこと=恥ずかしいというプライドがあります。雪道で転んでいる人を見ない、は言わば武士の情けなのです。
勘違いされてるようですが、私は信者ではないです。メンバーの名前も正確には覚えていません。楽曲やMVは好きです。
繰り返しになりますが、シンデレラコンプレックスとは、「いつか誰か私をここから救い出してくれる」と願いながら自立できない女性心理を指します。
でも現実は、みんなが主人公になれるわけではない。シンデレラとして選ばれる訳ではない。
勿論、そんなことは分かっています。でも主人公になれないからといって人生が終わるわけではない。今ある人生を歩まなくてはいけません。
MVの中で最後に女性が泣き笑いをするのは、シンデレラに憧れた子ども時代、現実な見え始めて失望しはじめた思春期時代、そして事情があって水商売の仕事をしている自分、それが全て自分なのだと受け止められたからです。裏切り続けた自分との和解なのです。
そして最も忘れられがちですが、シンデレラは「灰かぶり」という意味です。「一見、世間から低く見られるような女性でも、外からはわからない価値がある」というメタファーでもあります。
このMVはある意味、とても「シンデレラ」という名に忠実だと思いませんか?
説明は以上です。
















