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Replying to @Tango_NO1
だから、長い戦いになると思う。
変化は相当な長いスパンで見ないとわからないだろう。
10年後、小学館出版・日テレ系列放送の映像化作品の割合が、直近10年と比べ、どう変わっているか。
少なくとも我々ファンダムは、この件を忘れない
>真面目な女子高生……与太話に違和感ないの気楽で良いね。
これに関しては私も「違和感を持った」と元ポストでは書いています。
>女が真面目な話してるのにローアングで🩲チラとか馬鹿にしてんのかと思う。
私は馬鹿にしているとは思わなかったです。
作品のファンでかつそうしたほうが作品がよくなると思ったのなら、伝わるように柔和な表現で、読者アンケート等に書けばよいのではないでしょうか。
>少女を性奴隷にしてたエロ漫画家も運悪いとしか思ってないよ。
何のことかちょっと判じかねます。
無自覚に他者を踏む、というのは、この作品を描いたことですか。ウェブ広告を流したことですか。
作品は実在の他者を踏みつける描写はありません。
唯一見受けられる属性批判らしきものは、主人公や作者自身が属する中年男性に向けられているように思います。
広告アプリで見かけて不快であることを指しているのでしたら、針小棒大な感が否めませんし、そもそも広告が不適切であるとアプリ等に報告すればよいですよね。私のもとにもよく不快な広告が来ますが、そうしたら見えなくなりますよ。
ウェブアプリのコメント欄や作者への誹謗中傷、作品に対する冒涜こそが、むしろ作者や関わる人を踏んづけていませんか。
「死んじゃうかもよ」と脅す、というよりは、「その勢いで中傷してくるということは加害性があるという認識なんですよね。殺す気ですよね」という確認です
ええ、私もそう思います。作者や編集にぶん殴られるぐらいの醜悪な論法ですよ。
しかし、そのくらいの悲劇的な結末に誘導しうるくらい苛烈な攻撃が、ウェブコミックのコメント欄や作者のアカウントに寄せられています。文字通り命を削って描かれた作品が、心無い批判に晒されています。落書きまでされて。そのくらい想定できるくらいの加害を受けているのではないでしょうか
弱者男性であることはこの際関係ありません。
作者が女性でも、ネット上の苛烈な誹謗中傷ののち、自死した事件がありました(因果は不明ですが)
漫画に限らなければ、男女問わず、そういう痛ましい事件はいくらでもありますよね。その加害性を自覚して、誹謗中傷しているんですよね、ということを確認したいのです。
もきゅさんが仰る「分かっていない」というのが、誹謗中傷するものたちによる主張を言われた側が呑む、という意味合いであれば、わかりようがありません。その実態はテロそのものですから
この件は、自分の直接的な性加害が露見されそうになったために出た言い訳ですよね。確かに卑劣が過ぎます。
しかし、今回の件はまったく別物、一緒に論じるのは作者に非常に失礼です。作者は何も法を犯していません。
それなのに、いちフィクション作品への批判がもはや誹謗中傷どころではなく、作者にまで暴言が見られる状態なので、じゃあ殺すつもりなんだよね、という話をしました。私の論が暴論なのは承知ですが、状況が全然違うので、否定しますね。
【他人の存在を無視したおっさんの自己憐憫が転じて加害になる(自分自身にナイフを突きつけながら性行為をする)】とは、つまり「中年男性が意中の相手から好意を向けられないから自殺をほのめかす」ということだと思いますが、書いていないことなので明確に否定しますね。
むしろそれは私も唾棄すべき行為だし、ぜったい反対です。それこそあなたが言うように、せめて自己研鑽、自己努力をして、それでもダメなら諦めるべきだと思っています。
そうではなく、いちフィクション作品への批判がもはや誹謗中傷どころではなく、作者にまで暴言が見られる状態なので、じゃあ殺すつもりなんだよね、という話をしました。私の論が暴論なのは承知ですが、ホモセクシャル・ウサ器さんのおっしゃる事とは全然違うので、否定しますね。
ちなみに、作品への批判のなかには、作者が丹精込めて描いた原稿に、悪意たっぷりの落書きを添えて無断転載しているものもあるようです。作者へのダメージが心配です。というかこういうことこそ、そもそも明確に著しい著作権違反で非難されるべきだと思うのですが……
モラハラとはちょっと違うんじゃないですかね。
当人に対し直接、直截的に何か攻撃的なことを言っているわけではないので。
むしろ逆で、作者や作品が過度の誹謗中傷、それこそモラハラをうけている状態であり、それによる作品への悪影響や作者自身の心身の健康を危惧しています
長いのはスミマセン。自覚しており、だから最初に申し訳程度の(長文注意)を掲げました。
心血注いで描かれた漫画に批評まがいのことをするからには、文章を下手でも誠実に書かないといけない、と思った結果のこれです。
で、リアリティラインについて、むしろ漫画やアニメだからこそ、こだわる必要があるのでは……?
例えば「機動戦士ガンダム」、あれは従来の荒唐無稽なロボットアニメ(これもこれで私は大好きですが)と比較し、「実際に起こり得そう!」「本物っぽい!」と視聴者に錯覚させてくれることも、ひとつの魅力だったわけですよね。
そして、別に「リアル」を描く必要は全くないわけです。フィクションですから。
そうではなく、読者、視聴者が、その作品に興じる間は、熱狂や夢から醒めない、物語に説得力を持たせる「リアリティ」を、意識する必要があるわけですよね。
そして、このリアリティをどこまで追求するべきか、言うのをやめたほうがよいと指摘された「リアリティライン」は、まさに作品によって線引きの仕方が全く変わってくる。ここが難しいところだと思います。
例えばナンセンスなギャグ作品なら、全くのボーダーフリーで構わないかもしれません。もっとも、ナンセンスだからこそリアリティに振って生きるギャグもありそうですが。
他方、例えば裏社会を舞台にした漫画であれば、劇中の凄惨な出来事に対し「本当にあり得そう」と思わせないと説得力が生まれないですよね。そういう漫画の作者の方は実際に方々への取材に労を惜しまないという逸話を聞いたことがあります。
加えて「レジスタ!」でややこしいのは(というかこれは(疑似)現実世界を舞台にする恋愛主題の作品におしなべて共通することだと思いますが)本作に許容されるリアリティの線引きが、読者によって大幅に違ってきそうだ、ということです。
否定派を見ていると、リアリティラインをかなり高めに設定してしまっている。
肯定派は、だいぶん低いように見えます。
私は……その中間で、楽しめるけど、けっこう読むのがしんどい感じです。
そして作者は別にそういう全員を相手にする必要はなく、主に想定読者を意識し、この作品で大切にしたいリアリティを見定めておくと、ファンが夢から醒める、という悲劇は抑制でき、むしろより作品に没入できるのかな、と思います。
その想定読者に私が入っているか否かは現状わかりませんが、入っていなかったら私が静かに去るだけです。
とにかく、漫画やアニメにリアリティラインとか言うのはヤメたほうがよい、という意見には、それこそ漫画やアニメを愛するオタクとして、ちょっと賛同しかねます。
それはそれとして、こういう反論が文章化できたのも、自分にとっては意義深いことでした。
サンデーうぇぶりに課金し、Kindleでゲッサン最新号を購入し、果てはこの長文をXに書くために嫌いなイーロンに980円払ってしまった。我ながら馬鹿な行動だが、それをぽっと出の読者にさせるだけの熱量がある作品だと作者やファンは誇ってほしい
(長文注意)
レジスタ!(ユーザー名)、ゲッサン最新号(2026年11月号)掲載分まで読んだ。
理由は、偏に話題になっているため、恋愛漫画が好きなため、そして、キービジュアルでありヒロイン、志乃崎純のルックスが好みだったためである。
この時点で自分もキモい自覚はあるので、今から書く文章も、同じ穴の貉と思ってご笑覧頂きたい。
否定派はほぼ全員、肯定派は一部、それぞれこの作品を読むにあたり、ある種のキツさを感じている。
私も確かに率直に言って一気読みはできず、サンデーうぇぶりを閉じては開き、閉じては開きして、なんとか最新話まで追いつけた。
そして分析するに、少なくとも私がこの漫画に対して抱く一番のキツさは、キモさではなく、共感性羞恥であるように思う。そして同時に、ポリコレ的な問題ではなく、テクニカルな部分だと思う。
とはいえ作者の技量の良し悪しを評したいのではなく、レジスタ!(ユーザー名)という漫画の舞台設定の難しさによるものが大きいと思う。これは大事なことなので後で繰り返す。
まず、悲しいかな私は男性なので、作画面での露骨なセクシーショットで、ネガティブな印象を抱くことはなかった。週刊少年誌の、それもバトル物でもっと露骨な作品も多々あり、そんな中で比較的抑えめに描かれているように思う。
そうではなく、スーパーマーケットという生活感しかない場所で、客である花田(主人公)と店員である純(ヒロイン)の間に接点を作るために、他の登場人物や状況がかなり無理をしており、それでリアリティラインが下がってしまう点に、過敏に反応してしまうのである。
これは、私自身、創作をわずかに行おうとした経験があることも大きいと思う。こういう、どうやっても無理な状況でそれでもイベントを起こす試行錯誤、悪く言えば作為を、感じ取ってしまう。
例えば、バックヤードの店員がレジ応援に入った際の体臭騒動のとき。
花田は、これに関するやり取りをレジ回りで見て、このトラブルを察知する。
しかし、スーパーにおいてレジというのは、ほとんどの客の店員との唯一の接点であり、お金のやりとりが発生する場所であり、待ち行列ができる場所であり……つまり最重要の場所、といっても過言ではない。
そこで一介の客に過ぎない花田に様子がわかるほどの、店員同士、もっと言えば店長が参加する会話の応酬が、果たして起こるだろうか……と、考えてしまったのである。
もちろんこれはフィクションだし、起こってしまったら仕方がない。
ただ、誓って言いたいのは、私はこの漫画を粗探しするつもりで読んだのではなく、むしろ興味を持って、楽しもうと思って読んだ。
それでもそういう感想を抱いてしまったので、やはりこれは、スーパーマーケットという場所、客と店員、理性的に振舞う中年男性と常識的(?)な高校3年生、という設定がシリアス寄りの恋愛漫画としてはかなり困難であり、それに演出が追いついていないのではないか、と思う。
作者の腕が悪い、と言いたいわけではない。どんな一流の漫画家でも、この設定で読者に夢から醒めさせず読ませるのは、かなり難しいのではないか、ということである。
このこと以外に、私が他の読者同様に感じたキツさが2点ある。
1) 主人公の描写、2) 女性同士の会話のリアリティ
1) について、この主人公、ルックスは決して悪くない。むしろ36という設定年齢にしては良い方だと思う。清潔感もある。
しかし、これは漫画どうこうというものではなく、ほとんどの男は、下心があるとキモくなるのである。
純のモノローグ、純のシーンがしばらく続いた次のページにいきなり花田の一枚絵に直面し、そのハイライトの無い目と目があうと、どうしてもぞくっとしてしまう。
そして悪いことに、この作者が一番のリアリティを発揮しているのは、この下心がある男性のキモさを描写するにおいてなのだ。
加えてこの漫画においては、例えていうなら戦場がスーパー、装備品が籠や商品、切り札がタバコである。
野菜コーナーを背景にハイライトがない目で買い物かごを持つ中年男性の全身像、というのは、どうしても滑稽にみえてしまう。
実際、この主人公が一番魅力的に見えるのは、はなちゃん(仕事仲間の昔なじみの女性)や千代との、音楽にまつわるシーンだと思う。
色欲があるかないかで、仕事場かプライベートかで、見え方が全く異なる男性の悲しさが、残酷なほどよく描かれている。
ただ、この主人公の描写は、作者が自身を自己投影して、意図的にキモく見えるようにしている可能性が高いと踏んでいる。そう拝察できる花田のモノローグも劇中度々挟まれることは注意しておきたい。
2) について、これは上に挙げたものたちよりは軽微だった。
例えばナンパについての同僚女性の捉え方や、純の胸の大きさを揶揄う同性の友人についてなど、男性の私でも、いくらフィクションとはいえ、すこし醒めた目で読んでいたようなところがあった。
これは作者のこれまでの経験から来る手癖のようなものであり、例えると、柔道家がプロレスラーに転向してすぐ、という感じなのかな、と理解している。
ここまでやや辛口で書いてきたが、しかしながら、これから先、花田と純の関係性がどうなるのか、果たして純は最新話時点で花田のことをどう思っているのかは、いち読者としてとても気になっている。
そういう意味では、ふつうの漫画以上にこの「レジスタ!」という作品に没頭し、惹きつけられていることは、何より強調しておきたい。
そこで気になってくるのが、この炎上である。
正直この長ったらしい批評に関して、今から書くことを書きたいがためにキーボードを叩いている。
上述したように、作者は、主人公の花田に自己投影しているように思っている。
ということは作者は、中年男性として自分が、特に異性からどう見られるか非常に自覚的であり、冷酷な客観視が横たわっているように思う。
そこへきてのこの、一部とはいえ、多くの批判の嵐、雨あられだ。
もちろん作品やキャラクターに向けられたもの、作者の人格否定のつもりはないものも多かろう。
しかし作者は、いくら耳目を集めセールスが伸びるとはいえ、まるで自分自身が、異性から、それも「女性をセクハラ・カスハラから守る」という大義名分でもって、袋叩きにあっているような気分ではないだろうか。
いや、作家にとって作品とは我が子だから、我が子が苛烈に弾圧されている、という意味では、より辛かろうと思う。
さて、辛いときに人間が行き着くひとつの終局は、自殺である。
とはいえ、なにもこの炎上騒ぎで作者が自殺するかもしれないからやめよう、と私はこの文を書いているわけではない。
むしろ、動機はより醜悪かもしれない。
繰り返すが、ここまでこの作品や中年男性へ、まるで存在否認のような批評が集まると、自暴自棄になり、よしならばお望みどおりに、と存在を自ら消そうとする動機が高まる。
そして、作者は腹を痛めて産み出した自分の作品に、自分の分身のような存在を登場させている。
ならば、物理的な自分の自死とは別に、もうひとつ、自己否認する手段がある。
すなわち、作品中で主人公を、殺してしまうことである。
どのような結末を描けば収まりがよいか、最悪なことに色々プロットができてしまうのだが、営業妨害になる気がするので書かない。
ただ、悪いことに、主人公の死による結末は「中年男性と若い女性の恋物語は道徳的にあってはならない」という否定派の論調と最高に相性が良く、物語を都合よく締めることができる。
だから、レジスタ!はここへきてもはや、読者(外野)参加型のマルチエンディングストーリーと化しているように思われるのだ。
だから否定派は、主人公を殺して物語を終わらせたければ、じゃんじゃん火をくべるがよい。
しかし、ここまで力を込めて描かれる作品の、そこまで作者が自己を投影した登場人物、それも主人公の死は、もはや一人の人間の死と同等である。
その結末、私はとても厭かなあ。















