科学でもOpenAIらが数千のAIエージェントで脳細胞データを解析し、次に検証すべき候補を探した。AIは問いに答えるだけでなく、次の問いを見つける側にも入り始めている。
すべてを支えるのは資本だ。AnthropicはIPO準備を進めていると報じられる。競争はモデル性能だけでなく、計算資源・人材・電力・インフラ・資金調達の総力戦になっている。
AIは人間の能力を増幅する。研究者も社員も攻撃者も。だから能力が大きくなるほど、統治の問題が前に出る。誰が持ち、どこにつなぎ、どんな権限を与え、誰が止めるのか。2026年を振り返ったとき、重要だったのはモデル名やベンチマークではなく、「AIを社会のどこに置くのか」を人間が本気で考え始めたこと、になるかもしれない。
企業ではAI導入が試行段階を超えつつある。UberはChatGPT Workを3万人超の従業員に展開。AIを個人の便利な道具ではなく、業務基盤として扱い始めた。
組織に求められるのは「使わせる」ことではなく、どこにつなぎ、何を任せ、どこで人間が判断するかを設計すること。
同じタイミングでMicrosoftがSovereign Cloudを拡張。すべてをクラウドに置くのでもローカルに閉じるのでもなく、データの性質や業務に応じて「どこでAIを動かし、誰が管理するか」を選べるようにした。
ソブリンAIは国産モデルや国内DCだけを意味しなくなりつつある。主権が現場のシステム設計に降りてきた。
2026年10月23日のAIニュースを見ると、個々の製品というより、AIという力が社会の複数の層を同時に揺さぶっている。
企業の全社導入、科学の数千エージェント、サイバー攻撃、主権クラウド、巨額資本。AIの能力が社会の受け皿より先を走っている。
AIは思考を拡散し、断片をつなぎ、収束を助けてくれる。
けれど最後に、「で、どうしたいの?」と問い、落款を押すのは人間だ。
AI時代の仕事とは、人間にしか引き受けられない問いが、最後に残ることなのかもしれない。
今日は、鹿児島から神奈川へ移動する日だった。
大学の生成AI活用を追いながら、最近は「誰が使えるか」よりも、「得られた知を、どう次へ渡すか」が気になっている。
東京大学のGiELは、認定して終わりではない。活動を報告し、認定を更新する。
山形大学は、教員や学生からAI活用の提案を募り、採択し、学内へ展開しようとしている。
石川で行われる生成AI教材開発のFDを、遠く離れた宮崎の大学コンソーシアムが紹介していた。
大学内で生まれた実践が地域へ渡り、さらに別の地域へ伝わっていく。
AIの世界でも、一つのエージェントに長い仕事を抱え込ませず、途中で担当を交代し、試行や失敗の記録を次へ引き継ぐ仕組みが研究されている。
鹿児島で作ったZoomの背景画像は、ライブラリに保存され、神奈川でも使える。全国大学DBの開発環境も、USBを介して二つの拠点を行き来する。
人間の記憶は不完全だ。忘れるし、ときには記憶に嘘をつかれる。それでも私たちは、メモや物語や制度を使って、知を受け渡してきた。
一人の頭、一つのAI、一つの大学、一つの地域に、知識や経験を閉じ込めない。
何を試し、何に失敗し、なぜそう判断したのかを残し、次の人、次の場所で、再び仕事を始められるようにする。
今日、私は鹿児島から神奈川へ移動した。
引き継ぐとは、保存することではない。
次の場所で、もう一度エンジンをかけることなのだと思う。
薩摩会議で出会った住吉社中の活動に影響されて、昨晩は東映オンデマンドで『長崎ぶらぶら節』を探して観た。
2000年に初めて観たときより、圧倒的に良かった。映画は変わっていない。変わったのは僕のほうなのだろう。
1時間55分、釘付けになった。
芸能の土着性と、それが未来につながる可能性。
今だからこそ、そこに目を向けたい。
地方の大学にも、きっと役割がある。
地域の多様性を残すこと。
いや、違う。
その多様性こそが、新しい可能性を拓くのだ。
この動きをいち早く「高等教育コンソーシアム宮崎」が紹介しています。宮崎県は「地域活性化人材育成事業~SPARC~」(宮崎では「MIYAZAKI SPARC」として、宮崎大学・宮崎国際大学・南九州大学・宮崎学園短期大学が参加し、連携開設科目などを動かしています。)が進んでいます。
僕は鹿児島でも活動しているので、お隣の宮崎の動きはちょっと注目なんです。
このポストをChatGPTに見せたら以下のように修正されたw
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生成AIもすごいけれど、やはり手から手へ伝えることの大切さを思う。
身体知は、言葉だけでなく、身振りや呼吸、間合い、視線、そして五感を通して伝わっていく。
その豊かさを、AIのパラメータ数で測ることはできない。
Attentionの彼方にあるもの。
いや、AIにもいつか届くのだろうか。
Replying to @blc5
生成AIもすごいけど
やはり手から手に伝えることの大切さ
身体知は体の全部の感性を使って伝えられる。
その濃度(情報量)はきっとAIの何兆のパラメータを超える。Attentionの彼方。
大学生成AIデイリーレポート①|2026年10月11日
東京大学のこの取り組みは重要です。
「UTOLの課題機能でAI利用範囲の設定が必須に」
(LINKはリプ欄に)
2026年度Aセメスターから、LMS「UTOL」で課題を作成する際、教員は生成AIをどこまで使ってよいかを設定することが必須になりました。
T0:AIは利用しない
T1:質問・調査
T2:議論・壁打ち
T3:フィードバック
T4:草稿作成
T5:創造的利用
学生の課題提出画面にも、その課題で許されるAI利用範囲が表示されます。
つまり、
「生成AIを使ってよい/悪い」
という一律のルールではなく、
この課題では、AIをどこまで使うことが学習上適切なのかを、教員が課題ごとに考える仕組みにした。
生成AIガイドラインをPDFで示すだけではなく、
授業設計そのものの中にAI利用の判断を組み込む。
生成AI対応が
「禁止・注意喚起」
→「ガイドライン」
→「授業ごとの設計」
へ進んだ事例として、かなり重要だと思います。
大学の将来予測を見ていると、ときどき考える。
18歳人口が減る。志願者が減る。定員が埋まらなくなる。
データを集めれば、かなり先まで予測できる。
でも、待てよ。
その予測を見た大学が、教育を変え、組織を変え、これまでとは違う道を選んだらどうなるのだろう。
予測が外れることもある。
でも、それは予測が間違っていたからとは限らない。
予測された未来は、決断がなかった世界の未来にすぎない。
昨日、鹿児島に戻ってきた。
飛行機の窓から富士山が見えた。
夕方の光のせいか、雲の上に黒いシルエットが浮かんでいた。
今日から薩摩会議に参加する。
首都圏と鹿児島を行き来していると、同じ日本の教育の問題でも、どこから眺めるかで見え方が違うことに気づく。
大学の将来も、人口減少も、地域のこれからも。
今日は鹿児島から、何が見えるだろう。
ランサムウェアのニュースを見ると、私たちは「何人分の個人情報が流出したか」に目を向ける。
でも、そもそもランサムウェアとは「身代金」を要求する犯罪だ。
では、被害を受けた大学や企業は、実際に身代金を払っているのだろうか。
大阪公立大学のニュースを読んでいて、そこが気になった。
つまり企業に突きつけられるのは、
「データを元に戻したければ払え」
だけではない。
「盗んだデータを公開されたくなければ払え」
でもある。
しかも、払っても復旧する保証はない。払えば犯罪組織の資金にもなる。
これはもう情報システム部門だけの問題ではない。
経営そのものの意思決定だ。



