
モーちゃんです(she/her)。🍉。ベルリン在住。少女像関連のデモにもよくいます。アナキストになりたいと思いながら賃金労働に勤しんでます。 🦣 [email protected] 🦋 https://xitter.cf/t.co/RbASHGmNrS
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ALT 宣昌攻防戦 1941年10月と題されたパネル。 日本軍が展開した毒ガス攻撃の様子と、攻撃を受けた中国軍の生き残りの方の証言などが掲載されている。 日本軍は中国の軍だけでなく民間人も巻き込んできい弾1000発、赤弾1500発を打ち、中国軍では1600人が中毒し、600人が死んだと言うことが書かれている。 証言によると、後の被害の調査では、失明したり身体のあちこちが腐ったりして、全員早く死んだそう。 生き残りの方のお顔の写真や、毒ガス被害を受けた方の症状の写真もある。被害の方では皮膚が爛れた様子が写っている。

ALT 日本軍の毒ガス戦 ~毒ガスパネル展解説員養成を兼ねて~ わたしたち「むさしの科学と戦争研究会」が、今年、学ぶ対象は、「日本軍の遺棄毒ガス問題」です。 近代の戦争で初めて毒ガスが使用されたのは、第一次世界大戦(1914~1918)におけるドイツでした。塩素ガスから始まり、各国で様々な毒性化学物質が開発・使用されました。 大戦後、世界では、1925 年のジュネーブ条約で生物化学兵器の禁止が謳われました。一方、日本の陸軍は、1919 年から新宿の陸軍科学研究所で化学兵器の開発を始め、第二次大戦では、広島の大久野島などで製造・砲弾への充填が行われ、中国大陸で大量に使用されました。海軍でも、平塚の相模海軍工廠で化学兵器が開発、製造されています。 戦後、主に日中戦争の戦場で、使用されなかった大量の毒ガス弾が密かに埋められたり、湖や河川に投棄されました。1950 年~60 年代、中国では、遺棄毒ガス弾を回収・埋設しましたが、すべての毒ガス弾の発見・除去はできず、偶然発見された遺棄弾による被害が、今も続いています。これが「遺棄毒ガス問題」です。その被害は、中国だけでなく、日本国内でも起こっています。 12 月 25 日(金)~27 日(日)の「むさしの平和のための戦争展」では、この問題に焦点を当てて展示をします。今回の学習会は、そのプレ企画です。展示スタッフが、展示当日、しっかりとパネルに向き合うことができるように養成することが、学習会の大きな目標ですが、一般の方々にも、ぜひ、この問題を知っていただきたく、多くのご来場をお待ちします。 日 時 11 月 20 日(金)13時30分~15 時 会 場 武蔵野プレイス4階フォーラムB 講 師 五井信治さん(毒ガス展横浜実行委員会) 参加費 300円 主 催 むさしの科学と戦争研究会 https://www.facebook.com/musashinoantiwar https://x.com/musashisensoten 連絡先 080-6602-2913(鳥居) [email protected]
























