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写真が手元に1枚も無いので…
今年の #アグローと夜 2026も無事終了しましたー 満員御礼でした
ホントにありがとーございました!
色々と思い出深いシーンがありましたが、初披露の惑星、やさぐれトワイライト番外地、雷光CMの合唱…リメイクのテアトルパピヨンにはちょっと驚いてもらえたかな?
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昨夜の #アグローと夜 2026
今年リリースした「惑星/searching for Irene」
これはホント楽しみにしてたんやけど、実際やってみて音源よりも何倍か増幅させて伝えられたんじゃないかなと思いました
何とも言えない余韻を漂わせながらの処方箋が違って響いたんじゃないかな
lnk.fuga.com/_vol11
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昨夜の #アグローと夜 2026
セットリストをプレイリストに。
Spotify版です
open.spotify.com/playlist/6p…
@p_p_pinkerton @KaztakeTakeuchi
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#アグローと夜 2026、終ー了ー!
初めましての方も、数十度目ましての方も、ほんとにありがとうありがとう
どうか期待に添えていますように…!
でもたくさん、笑ったよね!!
そして案の定、写真がない
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夜にまたリポストしよう〜とのんびり構えていたらいつのまにか完売に!
わ〜ありがとうありがとう
腹がよじれる夜になりますように!
#アグローと夜
まだ余裕があるとのんびり構えていたらチケット、あと数名分だそうです…んま〜…ありがとうありがとう
周りにいる人が全員アグロー案内を知っているという、どう考えても奇跡の1日です
おいでませ! livepocket.jp/e/yfbxr
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集中瞑想で行き着く「無」の境地とは、一般に、対象への集中が強まることで、「私」という感覚や身体感覚が薄れたり、主体と対象の区別がつかなくなったりすることを言う。それに対して、気づき・観察系の瞑想による無我の洞察は、私が感じられなくなったりすることや対象になりきる、あるいは、宇宙との一体化やワンネス体験をすることとは異なる。
たとえば、手動瞑想では、「私」という概念を絡ませずに、ただ一動作一動作、丁寧に手に気づくことを繰り返す。それによって、身体だけでなく、心の動きや、その連鎖や増幅のプロセスも観えてくるようになる。それを観察しているうちに、「私」や「私のもの」といった概念が構築され、「私の物語」が成立するさまが観えてくる。
つまり、手動瞑想など気づき・観察系の瞑想は、「私」を消すことが主眼ではなく、ただ気づき、観察することで、自ずと「私」という自己感覚なるものが、身体感覚、記憶、意思、概念などの条件によって成立しているという縁起を看破する。
ということで、集中力を研ぎ澄ますことによって自己感覚が消える「無」の体験と、観察によって「私(自己)」の構築プロセスを洞察し、「無我」を看破する体験は、「似て非なるもの」ということだ。
なお、仏教的な文脈だと、こうした微細な心を明晰に観察し、無我などの智慧を得るには、ある程度の集中力(定力)が必要なことも確かである。それゆえ、そうした土台を培うにあたって、集中瞑想もそれなりに有用であるとみなされる。
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選択的夫婦別姓制度の法制化 宮城・多賀城市議会が意見書可決 | 河北新報オンライン
kahoku.news/articles/2026100…
ここ数日の「緒方恵美」を巡るXの流れを見ていて、興味深いのは、内閣広報室の72.3億円という数字そのもの以上に、
「声優が政治を語っていいのか」
「緒方恵美は左なのか右なのか」
「ファンなら政治発言を止めるべきなのか」
という話に、あっという間に変わってしまったことなんですよね。
まず整理しておきたいのは、話題になった72.3億円は、すでに使われた予算でも、確定した予算でもなく、2027年度予算に向けた「概算要求」です。
ここは事実として分けて考えた方がいい。
一方で、2026年度約7億円だった内閣広報室について、72億円規模を要求していること自体も事実で、政府は動画やネット、AI時代に対応した情報発信、海外発信などを理由として説明している。
だから、
「72億円なんて全部無駄だ」
と決めつけるのも乱暴だし、
「概算要求なんだから何も問題ない」
で終わらせるのも違う。
何にいくら使うのか。
なぜこの規模なのか。
それによって国民にどんな利益があるのか。
税金である以上、国民が疑問を持って尋ねること自体は、ごく普通のことです。
でも今回もっと気になったのは、その先。
緒方さんが政治について発言した瞬間から、
「左翼になった」
「政治の話はするな」
「ファンだったのに残念」
「逆に勇気がある」
と、一人の人間を即座に政治陣営へ分類するゲームが始まった。
これ、日本のSNSのかなり息苦しいところだと思います。
たとえば、
「税金の使い道がおかしくないか」
「物価が高くて生活が苦しい」
「災害対応をもっとしてほしい」
「政府はもっと説明してほしい」
こういう話まで全部「政治発言」として隔離してしまったら、最終的には生活について何も語れなくなる。
政治って、本来は国会議員だけがやっている特殊な世界ではなく、
税金、年金、物価、医療、教育、防災、仕事、住宅、
全部、日常生活そのものです。
だから声優だろうが会社員だろうが漫画家だろうが、政治について意見を言う自由は当然ある。
同時に、有名人だから発言内容が自動的に正しくなるわけでもない。
間違った数字なら訂正されるべきだし、
事実認識に問題があれば反論されて当然。
ここは両立する話なんですよ。
「発言するな」と
「その発言は事実と違う」は、
まったく別物です。
批判と封殺も違う。
反論される自由まで含めて言論の自由なのだから、
緒方さんの発言を批判する人にも当然その自由がある。
ただ、
作品から降ろせ、
仕事を失わせろ、
黙れ、
政治を語るな、
まで行けば、それは政策や事実を議論することとは別の話になってくる。
逆に緒方さんを支持する側も、
「反論する人間は全員ネトウヨ」
「批判するだけで言論弾圧」
とまとめてしまえば、結局やっていることは同じです。
今回の騒動を見ていると、
日本で本当に不足しているのは「政治について話す人」より、
政治について意見が違っても、
相手を敵認定せずに話せる空間
なのかもしれない。
緒方恵美が左か右かなんて、
正直どうでもいい。
見るべきなのは人ではなく発言の中身。
数字は正しいのか。
政策には合理性があるのか。
税金の使い道として妥当なのか。
政府の説明は十分なのか。
賛成なら賛成。
違うなら根拠を示して違うと言えばいい。
有名人が政治を語っただけで
「どっち側の人間だ」と色分けし始める社会より、
誰でも普通に疑問を口にして、
普通に反論されて、
必要なら訂正して、
それでも仕事まで失わない社会の方が、
民主主義としてはずっと健全だと思う。
今回の「緒方恵美騒動」で一番考えるべきなのは、
彼女が何色なのかではない。
日本ではいつから、
政治について話すだけで
その人自身の人格や仕事まで審判されるようになったのか。
そこなんじゃないでしょうか。
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『ネミネムの実』本日配信
なのるなもない × YAMAAN
artwork by mariapepinos
linkco.re/34nG8Yqv
これは眠れない夜への子守唄。
まぶたの裏が騒がしい、そんな時に考えることを少しずつ手放していけたら。
それはあなた自身に贈る明日へのプレゼント。
思い出したら
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エド・シーランの「僕ちん右でも左でも無いぴえん」声明は全文日本語で紹介されてるのに一番素晴らしかったマックルモアの解雇直後の声明の日本語訳が見当たらないので訳してここに置いときます。
芸能人パレスチナ関連の声明としてお手本と言っても良い内容。note.com/tigershark/n/n2dc62…
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海外の報道との温度差が凄い。というか、あたかもシーランがパレスチナ側に明確に立ったみたいなミスリーディングな報道やめましょうよ、ローリングストーンさん。あんたらは何を守りたいの?
結局明確にイスラエルを批判しない、10/7を枕詞にした「どちらにも非はあるよね」論の域を出ないし、マックルモア降板の経緯、つまり、スタジアム経営者のビリオネアに圧力をかけられて折れたということにについても、結局何も言っていない。明らかに誰かに書いてもらった、自分のものでない言葉を、プロンプターチラチラしながら読んでおしまい。ノンポリの日和見ですよ。多くの人がイスラエルに批判的になってきたから、自分もイスラエル批判を「一部込めた」スピーチをしただけ。
【表明】エド・シーランが沈黙破る マックルモア降板、言論の自由、ガザ情勢について「もう自分の気持ちを隠してはいられない」
🔗rollingstonejapan.com/articl…
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マックルモアをはじめ出演予定者が相次いで離脱し、オープニングアクト不在となったフィラデルフィア公演。その冒頭、エド・シーランは用意した声明を読み上げた。
会場側による表現への介入に懸念を表明し、イスラエルとパレスチナについても「これは人道上の問題」と言及。ガザで続く民間人や子どもたちの犠牲、ヨルダン川西岸の状況について、自らの立場を明らかにした。
#EdSheeran
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「自己」とは、実体として存在しているものではない。記憶、感情、思考、身体感覚、言動などが組織化される中で、「これが私だ」と成立してくる高次の概念である。
たとえば何度か失敗し、「お前は不器用だ」と言われ続けることで、「私は不器用な人間だ」という自己像が形成される。すると、過去の経験から生じた「概念」が、「どうせ自分にはできない」と挑戦を避けさせ、現在の行動を制約するようになる。
「私は怒りっぽい」「人付き合いが苦手だ」「私は傷つけられた人間だ」なども同じだ。経験から作られた自己像を『これが私だ』と実体視した瞬間から、その自己像が逆に思考・感情・行動を支配し始める。
瞑想は、この仕組みを見破る実践でもある。
怒りが起きても、「私は怒っている」とみなさず、「身体が熱い」「不快感がある」「攻撃したいという思いが生じている」と、起きている現象に気づき、そのまま観察する。
同様に、「私は不安な人間だ」ではなく、「今、不安が生じている」。「私はダメだ」ではなく、「今、『自分はダメだ』という思考が生じている」と。
〈私〉を消す必要はない。それが条件によって構築された「仮の自己像」にすぎないと見抜くことだ。
瞑想とは、〈私〉という物語から一歩離れ、「今、ここで何が起きているか」を事実に即して観ることで、自己概念の支配力を弱め、自由を取り戻していく技なのである。
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「無知の知」という言葉がある。古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、「自分だけが『自分は何も知らない』ということを自覚しており、その自覚あるがゆえに他の無自覚な人々に比べて優れている」と言ったと伝えられている。
実は、ブッダも同じようなことを説いていた。
「もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ『愚者』だと言われる」(ダンマパダ 63)
ところで、ソクラテスとブッダの共通点はそれだけではない。その「無知(無明)」こそが問題の核心と見抜き、その克服のためにソクラテスは「汝自身を知れ」と内省を促し、かたやブッダは自己観察の瞑想を編み出して、勧めた。
さらに、ソクラテスは、「一番大切なことは、単に生きることではなく、善く生きることである」という言葉も遺している。一方ブッダも、善行をして徳を積むことを促した。
「明行具足(vijjā-caraṇa-sampanna)」という言葉は、そうした真と善を統合的に兼ね備えた理想の姿を言い表す言葉で、ブッダの称号(十号)の一つともなっている。
私たちも、こうした東西の賢者たちに倣って、日々の内省と善行に、怠らず努めてまいりましょう。
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ダンサーで舞台芸術専門トレーナーであるKouさん@koutopoが、「無知の知」と「ダニング・クルーガー効果」を絡ませ、所感を述べたポストをされておりました。
Kouさん曰く、「自分が知らないことに気づくことができると、謙虚になり、さらに学べる」とのこと。
なるほど、「無知の知」は、単に愚者と賢者を見分ける基準や、智慧を高めるに際しての大切な戒めにとどまらず、あらゆる技芸やスポーツ、マネジメントなどの能力やパフォーマンス向上においても大事なキーワードであるということですね。
また、Kouさんのポストに添付されている「ダニング・クルーガー効果」のグラフを頭に入れておくだけで、慢心に陥る罠を回避でき、「自分は何もわかっていない」と、絶望感まで感じるような時こそが、その後の能力やパフォーマンス向上に不可欠な起点に立っているということ。
さらには、謙虚に断定せずに語る人が、実は「熟達者」であるということも示していて(「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉を思い出しました)、とても興味深く、参考になりました。
無知の知という言葉があります。
これは、自分は何もかも知っているわけではないと自覚することです。
ダニング•クルーガー効果という言葉もありますが、知識や経験がまだ少ない人ほど、自分の能力を実際より高く評価してしまいやすいという認知バイアスのことです。
自分が知らないことに気づくことができると、謙虚になり、さらに学べる。
つまり、「知らないことを知らない」から、「知らないことを知っている」に移行することが知性を得る一歩なのでしょう。
この変化こそが、知性や理解の大切な一歩と考えることができます。
心理学の師匠にも禅僧の師匠にも同じことを言われていました。「自分が愚か者であることを自覚しなさい。どんなことを、学んでも何も知らないということを自覚しなさい」と。
謙虚さであればあるほど、淡々と学びます。その姿はとても美しいと個人的に思います。
本日リリースされた「さめたら」のPVが公開されました!監督は齊藤公太郎さん、竹久直樹さんのおふたり。
僕の地元、山形県山形市にある機微荘にて撮影しました。ぜひご覧ください!
youtu.be/rfvey7Gtlzk
























