金曜日と日曜日はソーダライトで「ランクマッチRound11」を4回、金曜日の夜は「アニソンイントロフリープレイ(ビギナークラス)」を担当します。 いずれも予約人数少なめなので、たくさん押していただけそうです。お時間ある方はぜひ!
#ソーダライト
teapawt.net/sodalite_Qroom/status/…
明日から日曜にかけてのイベントをご紹介します!
いずれもかなり(泣)空いていますのでぜひお気軽に😊
🟡11月6日(金)14時〜16時
【ビギナー】ソーダライト・ランクマッチ Round11(1部)
#クイズルーム #ソーダライト
quiz-sodalite.com/?p=18051
本日は再び「視聴者参加クイズ番組の歴史・平成編」に戻ります。バブリーだった1990年代初頭のお祭りムードから一転、再び「冬の時代」、それも超大型の氷河期に突入した1994年頃のお話です。
暗雲が立ち込めたのは、『アメリカ横断ウルトラクイズ』の中止が報じられた1993年の初夏。「第17回の準備がすでにスタートしている中での中止だった」という当時のスタッフの方による一次情報もあり、現場は相当バタバタだったのではないかと推測されます。
1993年は夏に『ウルトラクイズ』がない中、TBSの『史上最強』(すでに『ギミア・ぶれいく』はなく『THEプレゼンター』枠でした)とフジテレビの『FNSクイズ王』は通常通りの全国予選が開催されました。しかし、明けて1994年は両番組とも全国予選を廃止。奇しくもどちらも10名程度の常連参加者をスタジオに招いての企画となりました。
しかし、この1994年春の『史上最強のクイズ王決定戦/全国選抜サバイバルマッチ』と『FNS1億2500万人のクイズ王決定戦/最後のクイズ王伝説』の放送をもって、「クイズ王番組」は実質的に消滅しました。『史上最強』は1年後の1995年に『LIVE』という生放送特番として放送されますが、これも状況の打破には至らず。フジテレビも同年、『鉄人クイズ』というテレビマンユニオン制作の特番を放送するも、こちらも全く話題にならず。いずれも、混乱期の「迷走」が、視聴者である私にも感じられる作りになっていました。
1995年4月に大学に入学した私が見た当時クイズ界は、まさに「焼け野原」といった状況でした。クイズ研究会が活動の柱としていたテレビ番組が『アタック25』を残して、ほぼ全て消滅したわけです。『ウルトラクイズ』目当てで在籍していた会員が姿を消し、『ウルトラクイズ』を模倣していた学園祭のクイズ大会も開催されなくなり、残った会員たちはクイズをやる意味や目標を自問自答せざるを得なくなります。私は自分も含めたこの世代を「ウルトラクイズ・ロストジェネレーション」と命名しましたが、まさにこの世代は「就職氷河期」とも重なり、戦後の日本に置いて「最も冷遇された世代」になってしまったのは間違いないでしょう。
私はこの謎を、「QUIZ JAPAN」第7号で『FNSクイズ王』の仕掛け人・森英昭さんにぶつけました。
――第7回をもって全国で予選を行うスタイルをやめられたのは、なぜでしょうか?
森 一言でいうと、予算。
――予算ですか……。
森 番組にかけられる予算に上限ができて、「次はここまでしか出せない」と。で、その金額では、全国予選はできなかった。『クイズ王』って、予選にお金をかけて全国から幅広く出場者を集めてくるじゃないですか。大事なのは、その全国予選の模様を映す、冒頭の15分なんですよ。冒頭の15分で引っ張り込んで見てもらう番組なんです。ところが、全国予選がなくなると、その15分が撮れなくなってしまう。そうなると、それなりの視聴率が獲れなくなってしまうな、と思ったのでやめたんです。
――『FNS』が終了したのは、そういう理由でしたか……。
森 ほかのクイズ番組のように紙の予選を毎回別々のところでやって、人を集めるような感じでやるなら、その予算でもできたんです。でも、それだと今までやってたスケール感とかインパクトがなくなってしまう。それはツラいな、って。今だったらネットを使ったりとか、いろいろやりようはあるんだろうけど、その頃はまだ、そこまでではなかったんで。
――外野からは「『FNS』が終わったのは、出場する素人の個性がなくなったからだ」とか、好き勝手な声もあがっていたのですが……。
森 個性みたいなものは演出でどうにでもなるんですよ。それこそ、仕掛けをして編集してあげればいいだけのことであって。だって極端な話、実際の本人とテレビに映っている本人とでは、違うわけじゃない。でも、決して嘘ではないんですよ。だって、どんな人でもスポットライトを浴びたら、それなりのヒーローになるわけだから。
これが真相でした。1994年頃の混乱には「予算の削減」という背景があったのです。森さんは全国予選ができた時代の『FNSクイズ王』について「当時はフジテレビも上場してなかったし、今と違って予算もあったので、いい時代だった」と回想されていました。
全国各地に予選会場を設け、その会場に衛星回線で音声による同時出題を行い、さらにその模様を撮影するテレビクルーが張り付く。さらに、予選通過者100名を東京のフジテレビに招く交通費と宿泊費も膨大です。これらの予算が『最後のクイズ王伝説』ではがっつり削られ、「12名をスタジオに招待する」というこじんまりとした番組にならざるを得なかった、ということだったのです。
同じことが『史上最強』にもいえました。全国複数個所の会場にトラックで大きなセットを運び込む全国予選は、全国ツアーを行うロックバンドのライブ並の手間と費用がかかっていたはずです。ライブはチケットで元を取れますが、『史上最強』はハガキ1枚で参加できるテレビの企画であり、全てテレビ局の「持ち出し」です。そして50名の予選通過者を東京に招く「あご・あし・まくら(食事代・交通費・宿泊費)」、さらに会場は幕張メッセと、とんでもない額の予算がかかっていたことは想像に難くありません。
今年、28年ぶりに復活した『ウルトラクイズ』の会場が東京ドームではないことにSNSでは議論を巻き起こしましたが、この予選会場や予選の開催自体にかかる費用こそが、実は1993~1994年の「クイズ王番組」の規模縮小、そして番組自体の終了の引き金だったのです。
「これまでのような予算が出せない」とは、つまりバブル崩壊による景気悪化が現場を直撃していたことに他なりません。また、森さんがおっしゃったように、フジテレビは1997年に上場しました。この時期から、テレビ局はどこもコストパフォーマンスを重視する時代に突入していきます。予算カットの波は、クイズ番組の優勝賞金の金額などの形で可視化されるため、次第に台所事情が厳しくなっていることは視聴者や出演者にも容易に想像できました。
景気悪化が現場を直撃したであろうと推測される番組がもう1つあります。1993年に放送を終了した『100万円クイズハンター』です。この番組は、タイアップ企業から提供された賞品をクイズで奪い合うというのが根幹です。番組終了の理由は取材できていませんので推測になってしまいますが、こうした賞品の確保が厳しくなっていったことが原因の1つになったのではないでしょうか。
まとめると、1994年頃の「クイズ番組冬の時代」到来は、バブル崩壊の直撃による予算カットによって引き起こされた「氷河期」でした。活躍の場を失ったクイズマニアたちは、生き残りをかけて「オープン大会」に活動の拠点を移し、テレビとは異なるカルチャーへと枝分かれしていきます。今につながる大きなパラダイムシフトが起こったのがこの頃でした。
しかし、そんな不景気な時代においても、「視聴者参加番組」の火が消えることはありませんでした。逆境の中、視聴者参加型で大人気となる新たな番組が1995年に誕生します。それがテレビ朝日の『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!』でした。次回はこの『炎のチャレンジャー』を深堀りしたいと思います。
『ウルトラクイズ』の赤字(予算超過)が許されなくなっていく流れは、こちらのポストにまとめてます
teapawt.net/hdymon/status/20971820…
日本テレビの社長に就任した氏家齊一郎さんが「3億円もの赤字を出す番組など必要ない」と『アメリカ横断ウルトラクイズ』の打ち切りを決めたという記事を紹介したところ、かなりの反響がありました。コラムをいったんお休みするつもりだったのですが、1本だけ書いてしまいました。『ウルトラクイズ』の「赤字」の話です。
『アメリカ横断ウルトラクイズ』は「大きな赤字だった」と語られることが多い番組です。実際に「最も製作費がかかったクイズ番組」としてギネス世界記録にも認定されています。これも不思議に思いませんか? なぜ『ウルトラクイズ』は赤字を出しながら作れたのか? そもそも、テレビ番組における「赤字」とは何なのか? 今回はその謎について迫ってみたいと思います。
テレビにおける制作費とは、あらかじめ「この予算の中で作れ」と会社から決められるお金のことを指します。その制作費(予算)の管理をする役職が「プロデューサー」です。よく「プロデューサー」と「ディレクター」を混同している人を見かけますが、「お金の管理やテレビ局としての判断をする責任者」がプロデューサーで、「現場を任されてクオリティに魂をかける監督」がディレクター(演出)です。
『ウルトラクイズ』の予算を取り仕切っていたのは、以前のポストでもご紹介した、『木曜スペシャル』のチーフプロデューサー・石川一彦さんでした。
かつての「ウルトラクイズ」が放送されていたのは、『木曜スペシャル』という枠でした。週替わりで様々なテーマの特番を放送していたゴールデンタイムの番組で、この枠からは「初代引田天功の大脱出シリーズ」「矢追純一UFOシリーズ」「Mr.マリック超魔術シリーズ」など、一世を風靡する番組が多数生まれました。ユリ・ゲラーが生放送中にスプーンを曲げて、超能力ブームが巻き起こったのもこの番組でした。
平均視聴率20%以上、中には35%を超える番組もある、日本テレビが誇るお化け番組。この『木曜スペシャル』の仕掛け人だったのが石川さんです。いったい石川さんは、『ウルトラクイズ』の予算を、どのように決済していたのでしょうか。
当時の『木曜スペシャル』の予算、つまり会社から言い渡された制作費は、1本4500万円だったと関係者の皆さんが証言されています。
石川さんはすでに鬼籍に入られているため、第1回から石川さんの仕事ぶりを見てこられた作家の萩原津年武さんのインタビュー(「QUIZ JAPAN」第16号)から要約してご紹介します。
第1回の『ウルトラクイズ』は前後編の2本立てで、当時8000万ぐらいの予算があったそうです。ところが、倍ぐらい使ってしまったところ、経理に呼び出しを受けます。
経理「お前、こんなに赤字になってどうするんだ?」
石川「何が問題なの? 『木曜スペシャル』ってのは1年に54本あるんだろ? 54本で200万ずつ足していったらいくらになるの? それを調整すれば1億や2億なんてすぐ用意できちゃうでしょ? 予算なんてのは、上の人間が勝手にいくらと決めているわけだろう? でも、俺は『ウルトラ』をスポンサーにいくらで売ってるか全部知っているんだ。だから、この程度の赤字でゴタゴタ言うな!」
そういわれた経理はぐうの音も出なかったそうです。「石川には敵わない」とみんな思っていたと。ただ、会社なので、毎年赤字のたびに始末書は提出しなければなりませんでした。ところが石川さんは、始末書を出すのは面倒なので、以前のものをコピーして、年月日だけ入れ替えて出していたそうです。「俺の場合はそれで通っちゃうんだよ」という、なんとも豪快な逸話です。
第1回から赤字だった『ウルトラクイズ』は、萩原さんによると、「全17回すべて赤字だった」そうです。よく「視聴率が下降してきた後期の『ウルトラクイズ』が赤字に転落した」みたいな書かれ方をしますが、それはダウト。実態は、もともと予算を倍ぐらい超過して制作されていた番組だったのです。4500万の予算が5週なら、2億2500万。5週放送されていた『ウルトラクイズ』の最盛期は5億を超えていたそうですから、話がピッタリ合いますね。
私はアニメ関係の取材をしていましたので、ある有名なTVアニメの制作費について関係者に話を聞いたことがあります。アニメでも最初に用意された制作費を超えたら赤字として会社から怒られるそうです。ただし、作画枚数が多い手の込んだ回は赤字を承知の上で作っていたと。『木曜スペシャル』と同じロジックですね。そしてアニメの場合、赤字で作った作品でも、当たればDVDなどのソフト(今なら配信)、プラモやCDなどのグッズ、イベントなどの2次収益を生む「ドル箱作品」となって、巨大な利益を生み続けるのです。世界的に有名なアニメ映画『AKIRA』も映画公開時には数億円の赤字となり、バンダイは10年以上かけて、ようやくペイ(赤字から黒字に転換)したそうです。
石川さんが『ウルトラクイズ』の赤字で経理に呼び出された話は、まさにこの「1本ごと」の赤字の話なのでしょうね。しかし、石川さんは『ウルトラクイズ』があることで、どれだけ会社に利益をもたらしているかを把握していました。視聴率が高ければスポンサーが支払うCMの値段もアップします。さらにファミコンなどのゲームにもなり、日本テレビのイメージアップになり、就職でも日本テレビを志望する若者が溢れました。しかし、これらの2次収益や、売上の数字として目に見えない効果は、予算には含まれません。残念ながら、予算とはそういうものなのです。
石川さんがいなかったら『木曜スペシャル』という番組は1本1本予算内で作るこじんまりとしたものになっていたでしょうし、『ウルトラクイズ』なんていうコストが青天井の番組の企画は門前払いだったかもしれません。結局のところ、大きなビジネスを動かすのは「人」なのです。
映画界などでも耳にする、古き良き時代の豪快な制作スタイルですが、次第に赤字を許さない管理体制の時代が訪れます。バブル崩壊という時代背景、新体制による経営方針転換や社内政治(人事)など、いろいろなものがこの1993年頃に絡み合って、戦艦大和のような『ウルトラクイズ』が真っ先にやり玉に挙げられてしまった、ということなのでしょうね。
私はあくまで歴史の考証として書いているので、いい悪いは皆さんが考えてください。ただ、残念なのは、『ウルトラクイズ』が単なる「金食い虫の番組」と見なされて「取りつぶし」にあい、その後『今世紀最後』で1998年に一度だけ復活を果たしましたが、それ以来、開局何周年記念のたびに企画書が提出されても見向きもされない、いわば「タブー」と化した存在となってしまっていたことです。
「『ウルトラクイズ』は手に余る」と編成も尻込みする。それは『ウルトラクイズ』がいかに巨大すぎる番組だったかということを逆に証明しているようなものでした。
そして、ついに日本テレビの中で、閉めていたはずのパンドラの箱を開ける動きがありました。28年ぶりの、まさかの復活。
いま、テレビ局各局で、過去のIPの再評価をする動きが起こっています。フジテレビは『踊る大捜査線』や『GTO』を復活させ、『古畑任三郎』がNetflixで配信されて再ブームを呼びました。
かつて日本テレビの経営陣が「お荷物」だと判断した『ウルトラクイズ』が令和になって再評価され、当時の経営陣が思っていたよりも、はるかに視聴者に愛されていたことが、四半世紀経ってようやく証明されようとしています。
私は『ウルトラクイズ』は『ゴジラ』や『スター・ウォーズ』にも負けない、日本のテレビが生んだ最大のIPだと信じて疑いません。だからこそ、今回の「令和の第1回」には、最高の結果を出してほしいと願っています。
#アメリカ横断ウルトラクイズ
「QUIZ JAPAN」で制作していますネットクイズ番組に、ついにレジェンド降臨! 永田喜彰さんが参加された「クイズトーナメント ザ・ビッグファイト」次回大会は今月下旬から配信予定です! お楽しみに!
#ソーダライト
昨日は、早押しクイズの対戦番組
「クイズトーナメント『#ザ・ビッグファイト』」第9回大会の収録で
クイズルーム『#ソーダライト』に行ってきました。
teapawt.net/sodalite_qroom/status/…
毎月ランクマッチのオンラインに参加してますが、江戸川橋の“現場”に行くのは久しぶり
「永田喜彰に当たってくだけろ」以来?
リアル早押しボタン押せる🚨
アフター飲みできる🍻
オフクイズはいいですね!
えっ?永田の結果ですか⁇
それは11月下旬からの配信お楽しみでしょ!
quizjapan.com/category/quiz-…
>RP とうちゅうクイズ弾丸バスツアー
大門弘樹 retweeted
\KARADA WEEKにウルトラクイズパークが再び登場!/
国内1次予選に登場した「ウルトラクイズパーク」から、
「どろんこクイズ」がKARADA WEEKにやってきます✨
ご家族やご友人と一緒に、
番組の世界を体感してみませんか?
会場でお待ちしております!
日時:11月6日(金)~8日(日)
場所:東京ドームシティ・セントラルパーク
参加費:無料
ネイキッドロフト横浜、9月30日で営業終了していたんですね。4年前の2022年12月に、てれびのスキマさんの著書『史上最大の木曜日』の出版記念トークライブを開催した会場でした。あの日の自分に「4年後に『ウルトラクイズ』が復活する」なんて言っても、「そんなわけない、令和やぞ」って絶対信じないだろうなあ。
長戸勇人×てれびのスキマ×大門弘樹×能町みね子
『史上最大の木曜日』刊行記念トークライブ
loft-prj.co.jp/schedule/nake…
28年ぶりに復活した『アメリカ横断ウルトラクイズ』の公式から、いろいろな話題がリリースされて盛り上がってきましたね。ちょうど今頃は、レギュラー放送していた時代に『ウルトラクイズ』が毎週放送されていたタイミングです。当時は「早く来い来い木曜日」でしたが、今回はお正月放送なので、「早く来い来いお正月」と思いながら、新春の放送を今か今かと楽しみにしています。
とはいえ、まだ収録は途中。公表されているスケジュールだと、11月末から後半の収録に再び出発することになっています。先日は米ロサンゼルスで開催される予定だった『ウマ娘』のイベントが、期日までにビザの承認が下りなかったために開催直前に中止になったというニュースがありましたが、海外でのロケは本当に様々なハードルがあるので、無事に撮影が終わることを祈っております。
SNS時代の『アメリカ横断ウルトラクイズ』ということで、今回はXの公式アカウントが国内第一次予選当日に撮影した様々な動画がアップされるなど、話題作りの面でも昭和と令和の違いが面白いですね。
28年ぶりの復活、しかも今回は年齢制限が65歳となったため、チャンピオンでも参加した方は、第11回の稲川さん、第12回の瀬間さん、第15回の能勢さん、第16回の田中さん、今世紀最後の小川君の5名のみ。また、公式のポストでバズっていましたが、第13回準優勝の永田喜彰さんも年齢制限内だったため参加されていました。
会場では、その他にも各回の参加者の方、クイズ王番組時代のレジェンドの方、そして『ウルトラクイズ』初参加となる40代以下の新世代と、クイズ関係の顔ぶれにも遭遇しました。
当日は、私は永田さんとチームを組んで参加しました。ニューヨークの青空をイメージしたスカイブルーのチームTシャツで、背中には「おかえりなさいウルトラクイズ」の文字をプリントしたデザインです。我々のチームの結成から、当日誰と会って、予選をどう戦ったかという顛末は、お正月の放送後にルポを連載ポストさせていただきますので、どうぞお楽しみに!
#アメリカ横断ウルトラクイズ
放送が近づいてきたためか、だいぶがっつりネタバレしてきましたね。
第1回以来となる羽田でのジャンケンは原点回帰ですね。そして「新・敗者の味方」がすばらしい人選。
早く来い来いお正月!
#アメリカ横断ウルトラクイズ
今回は再び「視聴者参加クイズ番組」の歴史の話題です。1980年代は海外で取材したVTRから出題するクイズ番組が人気を博す一方で、昔ながらの口頭解答による視聴者参加クイズ番組がアニメなどの裏番組に駆逐されていったという流れを以前に紹介しました。
特に生物絶滅の境界線のように、視聴者参加クイズ番組の境界線となったのが1985年頃。偶然にも、この1985年前後に、長寿だった視聴者参加クイズ番組が一斉に放送を終了していきました。
中でも象徴的だったのが『アップダウンクイズ』です。『アップダウンクイズ』は「日曜19時戦争」と称される裏番組との視聴率争いのことばかり取り上げてきましたが、1985年にはもう1つ、番組の根幹を揺るがす大事件が起きてしまいます。
それが、1985年8月12日に発生した「日本航空123便墜落事故」でした。『アップダウンクイズ』は日本航空は番組開始当初から、優勝賞品である「ハワイ旅行」の協賛スポンサーでした。ミニスカートのキャビンアテンダントによる賞品贈呈は長年の番組の名物として親しまれてきました。その協賛が自粛となってしまったのです。
この事故の影響が『アップダウンクイズ』にとっては致命傷となったのは間違いないと思います。「時代の趨勢」と一言で語られがちな視聴者参加クイズ番組の相次ぐ放送終了ですが、1つ1つを紐解いてみると、不幸な出来事も重なっていたことがわかります。
1980年代末から1990年代前半にかけては、フジテレビの『平成教育委員会』『クイズ!年の差なんて』、日本テレビの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『マジカル頭脳パワー!!』といったタレント出演型のレギュラー番組が高視聴率を獲得しつつ、視聴者参加クイズ番組は、『アメリカ横断ウルトラクイズ』『高校生クイズ』を筆頭に、『史上最強のクイズ王決定戦』『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』など、スケールの大きい特番が話題の中心でした。ある意味、タレント解答型と一般参加型で「住み分け」ができつつあったわけですが、一方で、数こそ少なくなりつつも、視聴者参加型のレギュラー番組も新たに誕生しています。
個人的に大好きだったのは、1989年から1992年にかけて日曜22時にフジテレビで放送されていた『クイズ!早くイッてよ』。司会は関根勤さんで、「テーマから連想する言葉を、制限時間15秒内でいくつ当てられるか」を競う連想ゲーム的なクイズ番組でした。
フジテレビは1991年から深夜枠で『カルトQ』も生み出し、1992年からは『クイズ!早くイッてよ』と入れ替わる形で、日曜22時半に昇格しました(残念ながら昇格後は半年で放送終了)
そしてTBSでは1991年から島田紳助さんと島崎和歌子さん司会による『クイズ!当たって25%』が放送スタート。木曜22時台に、なんと生放送の1時間番組という異例の番組で、毎回25人の団体8チーム・200名がTBSのスタジオに集められました(1チームはお笑い芸人)
この番組はまず1991年6月に一般参加者によるパイロット版が放送され、10月に200名全員が芸能人という『オールスター感謝祭』の第1回として放送。その2週間後から「一般参加者によるレギュラー番組」化されたのが『クイズ!当たって25%』という流れになります。
『オールスター感謝祭』でおなじみの200名での4択クイズを競うというクイズシステムは、コンピューター制御による当時最先端のシステムで、約7000万円もの費用をかけて開発されたそうです。番組中でもよく紳助さんが「TBSが社運をかけて開発した」と強調していました。
一般参加者版の『クイズ!当たって25%』は残念ながら半年で打ち切りとなりますが、同時に誕生した『オールスター感謝祭』は半年ごとの特番として現在に至るまで、このクイズシステムを使い続けています。
また、この『クイズ!当たって25%』で注目を集めたのが、報道出身のレポーター、鈴木史朗アナでした。鈴木アナは、翌1992年から放送をスタートした『さんまのSUPERからくりTV』の『ご長寿早押しクイズ』の司会として、お茶の間の人気者となります。
まだまだバブル景気の真っ只中で、どの番組も華やかだった時代ですね。しかし、そこに再び「クイズ番組冬の時代」「クイズ番組消滅の境界線」が訪れます。まさにバブル崩壊による「1993~1994年」頃でした。
「第14回ウルトラクイズ」座談会の皆さんは全員、「非クイズ研」の方々ですが、お読みではないですか?
「QUIZ JAPAN」第14号の「アタック25」出場者座談会はお読みになりましたか? こちらも「非クイズ研」の方々に集まっていただきましたが。
クイズマニアの方々からお叱り受けることを承知で申し上げますが。大門氏(@hdymon )は取材等をする際に非クイズ研の方々に注目してないと思いますが。気のせいでしょうか。記事等を見る限りクイズ番組優勝者の方々ばかり取り上げている気がいたしますが。
さて、今回は久しぶりに『アメリカ横断ウルトラクイズ』について、書いてみたいと思います。書棚の資料を整理していて、『放送レポート』という業界紙の第54号(82年1月発行)の『ウルトラクイズ』特集を見つけたので、久々に読んでみました。この記事には当時のスタッフの皆さんの貴重な証言がいくつも掲載されていて、一次資料として大変重要です。
この記事が掲載されたのは『第5回ウルトラクイズ』の放送直後。取材されたスタッフの皆さんも第5回当時の方々です。
記事にはこのように書かれています。「こんなにユニークなクイズ番組をいったい誰が考え出したのか。私は以前からそれが知りたいと思っていた。というのも、いま日本のテレビ界を席巻しているクイズ番組のほとんどが、アメリカで企画され成功したもののコピーであって、日本で生まれたものではなかったからである」
『アップダウンクイズ』『タイムショック』『アタック25』などは日本オリジナルのクイズ番組なので、「日本のクイズ番組のほとんどがアメリカ発祥」というのはさすがに言い過ぎだとは思いますが、『ウルトラクイズ』が日本生まれであることがそれほど驚きだということなのでしょう。
まず企画者としてインタビューされているのは、ジャパンクリエイトの山崎将暉さん。「ジャパンクリエイトは『笑点』や『目方でドーン』などの企画を立てたプロダクション」と紹介されています。ウィキペディアにも書かれていませんが、実は『笑点』もジャパンクリエイトの企画なのです。
山崎さんは『ウルトラクイズ』のルーツが「東名高速道路開通を記念したクイズ番組」の企画だったこと、日の目を見なかったその企画がアメリカ建国二百年(1976年)に絡めた企画として「現在のものとほぼ同じスタイルの企画ができあがった」ことを語っています。
ここまでは私のポストでも何度も紹介した裏話ですが、ここからがすごい。「7月4日が建国記念日なので、決勝はワシントンのホワイトハウス前で、衛星生中継でやろうと細部まで決めました」「ただ、7月4日では準備期間があまりに短く、1年の準備期間を設けて、1977年に晴れて実現した」と、この記事でしか見たことがないかなりレアな秘話を明かしてくれていました。
次に「面白い、ぜひやろう!」と企画にゴーサインを出した日本テレビ『木曜スペシャル』の石川一彦プロデューサーのコメントが載っています。
「まず心配だったのは、賞金も賞品もないクイズ番組にはたして人が集まるだろうかということです。かりに集まっても、途中で落ちた人たちが怒りだすのではないかとも思いました。第二は、三週間も休暇のとれる人が学生以外にいるのだろうかということ。第三には、これはクイズ番組の型式をとってはいるが、実は壮大なシャレなんです。全体がジョークっぽい企画なんです。そのシャレがシャレとして理解されるかどうかということ。第四は、三十人にも及ぶ制作スタッフをどうやって揃えるかということ。第五は、航空会社の協力が果たして得られるだろうかという不安です。
だって航空機の乗客というのは搭乗の何分か前には名前を登録しないといけないのに、『ウルトラクイズ』は空港に到着してからジャンケンで出発者を決めるんです。そんな無理を航空会社や旅行代理店が聞いてくれるものかどうか。また飛行機の中でクイズをやるわけですが、ほかの乗客もいる中で、しかもランチサービスなど乗員の執務の間をぬってそんなことができるかどうか。負けた人をどうやって帰すか。まさか女の子一人だけで勝手に帰れとも言えない。こうした難問を一つ一つ潰してゆくのに、およそ1年かかりました」
そしてインタビュー3人目は、審査委員長も務めている演出・プロデューサーの佐藤孝吉さん。佐藤さんは『ウルトラクイズ』に込めた精神性について語っています。
「私はこの番組を他のクイズ番組に対するアンチテーゼとして作りたいと思いました。いまのクイズ番組の多くは、知識偏重の文部省教育の影響を受けすぎています。知っている奴が偉いんだという感覚があまりにも強すぎます。そうした戦前からの日本の教育制度への反発を感じていました。このクイズは、知力だけではどうにもならない、うんとハードなものにしようと考えました。今の若者は自分で判断し、自分でチャンスを作ることをやらない。流れに乗って迎合する。だから、彼ら自身の責任においてチョイスをさせよう、”どうだい、君の責任でチョイスしてみないかい”といった矜持で、この番組を作ったんです。
ご覧いただいておわかりのように、『ウルトラ』は他の番組と違って地上にハードです。あんまりハッピーには作りません。挑戦者も油断すればすぐ落ちる。たとえば挑戦者同士で恋仲になったりすることがよくあるんですが、そういうのは動揺してすぐ失格します。ホームシックにかかった人もダメですね。だから、この番組で勝った人は、本当にキング・オブ・クイズだと思います」
インタビュー4人目はテレビマンユニオンの白井博さん。この頃の総合演出を担当されたディレクターです。
「私は昔、トニー谷さんがやっていた”あなたのお名前なんてえの”という番組に惹きつけられました。最近では欽ちゃんの番組が気になっています。視聴者とのかかわりの中で、人間がいきいきと出せるような番組が作りたいなあ、といつも思ってきました。だから、この番組も、クソまじめにクイズ番組としてとらえられると困るんです。そうではなくて、挑戦者が自分の目と体でいろいろなことを体験してほしい、それを一つ一つ克服してゆく生身の人間の息づかいを人間ドキュメントとしたい、そう思って作っているんです」
関係者のコメントは以上です。石川さんの「クイズ番組の形をしてはいるが、実は壮大なシャレ」、佐藤さんの「他のクイズ番組に対するアンチテーゼ」というコメントは、実に的確に『ウルトラクイズ』の真髄をとらえていますよね。
この記事ではインタビューの他にも、『第5回ウルトラクイズ』のロケの裏話など貴重なエピソードが掲載されていました。また機会があれば、そちらも紹介したいと思います。
#アメリカ横断ウルトラクイズ
来月のランクマッチ、ビンゴのテーマを発表しました。これ以外は、さらにニッチなテーマになります。ご参加お待ちしております!
#ソーダライト
永田喜彰さん@touchuu_kasouの隣りに取り巻きのように「QUIZ JAPAN」を持って映り込んでおりますが(汗)、実は今回、永田さんとプロジェクトチームを組んでました。
「おかえりなさいウルトラクイズ」Tシャツのデザインは、かつて「QUIZ JAPAN」と共同で「ウルトラクイズ」Tシャツやスタジャンを制作した北山友之さん@the_noises1によるものです。
ちなみに、当日は秋利さん@FortMcHenry1989もプロジェクトチームのメンバーでした。永田さんの後方に注目!
大門弘樹 retweeted
『アメリカ横断ウルトラクイズ』国内一次予選
決戦を目前に控えた挑戦者たちを”勝手に応援隊長”が直撃
おかえりなさいウルトラクイズ!
第13回大会準優勝永田さんがプロジェクトチームを組んで参戦!
「ランクマッチオンラインRound10」の開催日が確定しました。スタンダードは4日(水)、ビギナーは少し遅くなりまして18日(水)です。
ご自宅からzoomで参加できますので、遠方の方でもお気軽にどうぞ!
#ソーダライト
💻オンラインイベント案内💻】
11月4日(水)と18日(水)の20時からは、ソーダライト・ランクマッチ2026 Round 10
のオンラインを開催します‼️
ビンゴクイズのジャンルは「落語」「大阪」「NHK」などを出題します!
お家からぜひお気軽にご参加ください☺️
#クイズルーム #ソーダライト
quiz-sodalite.com/?cat=10



















