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ブログ「御朱印・神社メモ」のアカウント。都内中心に神社巡り・御朱印を拝受しています。ブログでは神社情報や考察を中心に御朱印をメモ。神社巡りの参考になりましたら幸いです。東京目黒出身|目黒在住。毎日和服(着物)生活。フォロー・リムーブお気軽に。https://teapawt.net/t.co/zEzWaIquJt

東京都目黒
Joined June 2014
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【固定ツイ】令和になってから良くも悪くも御朱印の話題が多いので改めて。「御朱印について・もらい方」という記事を作成しています。御朱印に興味がある方はご覧下さい。節度とマナーを守り神仏へ感謝の気持ちと崇敬の念を持って寺社巡りを楽しんで頂けたらと切に願います。 jinjamemo.com/goshuin
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新宿十二社熊野神社。新宿区西新宿。 新宿総鎮守の一社。西新宿一帯の鎮守。 11月1日-30日まで授与の「犬の日特別御朱印」を頂きました。見開きサイズの書き置きのみでクリアファイル付き。初穂料1,000円。なくなり次第終了。通常御朱印は帳面に頂けます。 本日11月1日がワンワンワンで「犬の日」。ワンちゃんたちたっぷりな御朱印です。ペット絵馬も新たに頒布開始となりました。 新宿中央公園と隣接していますので、ワンちゃん達と散歩がてら一緒に参拝する方もとても多い神社です。 御朱印は他に11月7日-19日まで「大酉祭御朱印」を授与。酉の市に合わせた御朱印です。 今年の酉の市は11月7日が一の酉、19日が二の酉。三の酉はありません。当社では露店などは出ませんが神職さん手作りの熊手が頒布されます。 新宿では酉の市をやる神社が三社ありまして、「花園神社」「成子天神社」「十二社熊野神社」です。中でも規模が大きく熊手商や露店が24時間出て大賑わいになるのが花園神社の酉の市。関東三大酉の市の一社に数えられます。当社と共に新宿総鎮守の一社です。 ぜひ酉の市にも合わせて参拝してみて下さい。 ..... 十二社熊野神社の創建は応永年間(1394年-1428年)のこと。後に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州「熊野三山」より勧請して創建されました。 鈴木九郎は馬の売買や未開墾地であった中野付近の開拓を行い、商売で大成功したため「中野長者」と呼ばれるようになった人物。現在の西新宿から中野にかけてを開拓し、発展の基礎を作ったと人物です。 創建当時は「熊野三山」より若一王子のみを祀っていた当社。その後、家運が上昇した鈴木九郎は「中野長者」と呼ばれるまでに商売が大成功。応永十年(1403)には若一王子だけでなく熊野十二所権現(くまのじゅうにしょごんげん)を全てを勧請しました。 そのため当社は「熊野十二所権現社」と呼ばれ崇敬を集めました。 現在の十二社熊野神社は「十二社」と書いて「じゅうにそう」と読みます。初見ではまず読めない読み方だと思います。その由来は上述の通り熊野十二所権現から。 熊野十二所権現とは略して熊野権現とも呼ばれ熊野三山に祀られる神々の総称です。主祭神のみを指して熊野三所権現。主祭神以外の神々も含めて熊野十二所権現。区分としては三所権現・五所王子・四所明神に分けられます。 こうした熊野三山の神々を祀った神社だったため元々は「熊野十二所権現社」と呼ばれた当社。それがいつしか転訛して「十二社(じゅうにそう)」と呼ばれる事に。 じゅうにしょ→じゅうにそう 江戸時代の地誌『江戸名所図会』には「世人誤て十二そうといふ多景にして遊観多し」と記してありまして、江戸後期には既に「じゅうにそう」と呼ばれていた事が分かりますが、人々が誤って言い出したと書かれています。面白いですよね。 そんな当社が鎮守している現在の西新宿エリアはかつて角筈(つのはず)と呼ばれた一帯でした。 角筈(つのはず)の地名由来は当社創建以降に角筈周辺を開拓した渡辺与兵衛という人物に由来します。与兵衛の髪の束ね方が異様で角にも矢筈にも見えた事から、人々が与兵衛を矢筈と呼びこれが転じて角筈となったとか。こちらもユニークです。 江戸時代には社前に十二社池と呼ばれた大小2つの池が広がり大変雅な神社であったと伝わります。今の新宿中央公園などを含めた広い範囲が境内でした。熊野滝と呼ばれた大きな滝もあり江戸近郊の景勝地として人気に。歌川広重などが浮世絵にも残しています。また幕末から明治にかけて活躍した噺家(落語家)・初代三遊亭圓朝が創作した怪談『怪談乳房榎』にも熊野滝が登場します。 明治になると当社周辺に淀橋浄水場が建設。戦後になり新宿中央公園が開園し現在は隣接する形で鎮座しています。 都庁や新宿中央公園含めて楽しみながら参拝できる神社です。江戸時代からの文化財も多数。ぜひ参拝してみて下さい。 #御朱印
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新宿諏訪神社。新宿区高田馬場。 西早稲田・高田馬場・大久保地区の総鎮守。 11月1日-30日まで授与の「月替わりわんにゃん御朱印」を帳面に頂きました。初穂料はわんちゃん、にゃんこちゃん共に500円。 11月1日はワンワンワンで「犬の日」、11月22日は「わんにゃんの日」という事で、個人的にぴったりな御朱印です。 このシュールな姿の「わんにゃん御朱印」も元々は昨年の11月22日のわんにゃんの日に合わせて授与されたもの。とても人気だったので今ではこうして月替わりでスタンプが変わり定番化されました。今月はオータム仕様。初穂料各500円。 他にも月替わり御朱印も多数用意があります。帳面に頂けるのも多いので好きな御朱印を頂いてみて下さい。 恋の森御朱印帳も人気のようです。キラキラな金の箔押し仕様でかなり豪華で綺麗。初穂料3,500円。 新宿諏訪神社は6月と12月の大祓の茅の輪潜りで、ペット用の小さな茅の輪も設置していて、ワンちゃんも茅の輪潜りできるようになっていたりとユニークです。ぜひワンちゃんとも参拝してみて下さい。(新宿諏訪神社ではOKですが禁止の神社もありますので、その辺は臨機応変に対応して下さい) また11月3日の文化の日には「東京文化財ウィーク2026」の一環として、10時-15時まで文化財の絵馬などが公開されるそうです。新たに新宿区指定文化財となったもの。機会があれば文化の日にもぜひ。 ..... 新宿諏訪神社は弘仁年間(810年-820年)に小野篁が大国主命・事代主命を祀った事に始まると伝わります。 大国主命・事代主命とは今で言う大国様と恵比寿様。創建当時はこの2柱を祀る神社で現在のように諏訪信仰の神社ではなかったのが興味深いです。 平安時代にはオリジナル御朱印帳にもなった「恋の森」伝説が残ります。 それは平安時代の貴族・歌人であり伝説のイケメンとも言われる在原業平(ありわらのなりひら)の伝承によるもの。 在原業平が妻と当地周辺を彷徨っていると離れ離れになってしまいます。彷徨い続けたまま夜になり業平は妻を想い歌を詠みました。 「あすはかたここにうつしの宮居かな そのねぎ言をきくや神垣」 (明日はここに神がいて願いを聞いてくれるだろうか) 夜が明けると業平夫婦はお互いすぐ側で寝ていて、実は同じ大木の下で一夜を過ごしていた事が分かりました。それ以来この周辺は「恋の森」と呼ばれるようになったと言います。 江戸中期の随筆『南向茶話 追考』にも記されている伝承で江戸時代には伝わっていた物語のようです。 その後は源頼義と義家父子の戦勝祈願、源頼朝が故事に倣い戦勝祈願・社殿造営したりと源氏ゆかりの神社としても信仰されました。 当社が諏訪神社となるのは江戸時代初期の事。尾張藩初代藩主・徳川義直(家康の9男)によって信濃国「諏訪大社」の御分霊を勧請し合祀、「諏訪神社」と改称されます。 以後は徳川将軍家より庇護されました。 寛永年間(1624年-1644年)、第三代将軍・徳川家光により社殿造営。その後、第四代将軍・徳川家綱が鷹狩に使用していた手鷹を当社へ奉納。以降、老鳥は代々当社へ奉納することに。 明和年間(1764年-1772年)、第十代将軍・徳川家治が鷹狩りの際に参詣。当社の御分霊を江戸城内の紅葉山と吹上御殿(現・浜離宮)に勧請しています。 明治になると諏訪森と呼ばれていた当社周辺に諏訪森近衛射的場が設営。明治天皇が行幸され当社の境内から天覧、当社へ神酒と鴨を奉納されました。この事から当社の社殿に菊の御紋が付けられるようになっています。 古くから様々な伝承や歴史を有する地域を代表する一社。ぜひ参拝してみてください。 #御朱印
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渋谷氷川神社。渋谷区東。 旧下渋谷村・旧下豊澤村(現在の渋谷区南端一帯)の鎮守。 11月1日-30日まで授与の「月替わり御朱印」を帳面に、「新嘗祭特別御朱印」を書き置きで頂きました。初穂料各500円。 「月替わり御朱印」は🦉が可愛い。一粒万倍日には特別印が追加されます。 「新嘗祭御朱印」は11月15日-23日までは帳面にも頂けます。それ以外は書き置きでの授与です。 新嘗祭(にいなめさい)とは11月23日に宮中や神社で行われる収穫感謝祭です。その年の収穫を感謝して神様に新穀を捧げます。宮中でも天皇陛下が新穀を神様に供えて感謝の奉告を行い、これらを神様からの賜りものとして自らも食します。 現在では毎年11月23日は「勤労感謝の日」として祝日ですが元々は新嘗祭として同日が明治時代より祝日だったものです。戦後になり勤労感謝の日に改称されました。 他に御朱印は11月15日に恒例の「縁結び御朱印」を授与。毎月15日は縁結び祈願祭。縁結び神社として大人気のため時間が近づくと境内が人で溢れます。 15日は15時15分より縁結び祈願祭を斎行。入れる人の数に上限があるため参列希望の方は抽選式です。14時30分-15時までに抽選用紙に記入して提出。15時に発表という流れです。それとは別に縁結び祈願書も配布していたり、限定御朱印、限定の縁結び御守の頒布もありますので、ぜひ毎月15日にも参拝してみて下さい。 今月の1日は日曜日ということもあって朝から 縁結び絵馬お目当ての参拝者が続々と。皆さん絵馬に色々と書いているようでした。凄い人気。 絵馬掛けに大量に掛けられたハート型の縁結び絵馬。最近は推し活の一環で推しとの縁を求めて頂く方のほうが多いようです。ぜひ願いを書いて絵馬掛けに掛けて下さい。初穂料1,000円で通年頒布。 この縁結び絵馬と同じデザイン、同じ国産桧を使った授与品が縁結び御守り。推しカラーが選べるように全10色。好きなカラーをチョイスしてみて下さい。初穂料800円。 境内の落ち葉はハート型に集めてくれていました。人気の縁結び神社、押し活神社です。 ..... 渋谷氷川神社は渋谷最古の神社と伝えられる古社です。景行天皇の御代(71年-130年)に創建とされ、日本武尊が東征の際に当地に素蓋鳴尊(すさのおのみこと)を勧請したと伝えられています。 弘仁年間(810年-824年)には慈覚大師(円仁)が「宝泉寺」を開基し当社の別当寺に。 江戸時代になると寛文年間(1661年-1673年)に渋谷村が上渋谷村・中渋谷村・下渋谷村に分村。当社は下渋谷村の鎮守となりました。 この下渋谷村とは当社周辺だけでなく現在の恵比寿周辺や広尾の南部(渋谷川より南)を含む広い範囲です。現在の渋谷区南端一帯にあたり、こうした一帯の鎮守でした。 例祭になると行われていたのが奉納相撲。江戸時代の地誌には「角力を興行す」と相撲が行われていた事が記してあり、『江戸名所図会』には境内に土俵も描かれています。 この奉納相撲は「金王相撲」と呼ばれ江戸から多くの見物人が集まったそうです。当社の相撲は同じく奉納相撲が有名だった「世田谷八幡宮」「大井鹿嶋神社」と共に江戸郊外三大相撲とも呼ばれました。 その名残で現在も参道脇が「氷川の杜公園」として整備されている児童公園になっていてその一画に相撲場跡として土俵が置かれています。 また当社の御祭神となっている素盞鳴尊(すさのおのみこと)と稲田姫命(いなだひめのみこと)は夫婦神。そこから縁結びとされている訳ですが、そこに土俵形である円と縁をかけ縁結びの神として信仰されています。 元文・明和年間(1736年-1772年)に記されたと見られる筆者不詳の古随筆『望海毎談』には江戸の氷川明神が7社記されています。この7社がいわゆる「江戸七氷川」。当社はそのうちの1社です。 またこの頃の当社には常盤松と呼ばれる御神木があり有名でした。源義経の母である常盤御前が植えたとも、世田谷城主・吉良頼康の側室である常盤姫が植えたとも伝わっていた松の木。現存はしていませんが今も当社のほぼ隣にある渋谷区立常盤松小学校などに名前が残ります。 境内には古い物も多数。個人的に好きなのは境内社の稲荷社の前に置かれた小さくて可愛い狛犬、そして厳島神社の前に置かれた古い狛犬。中でも苔むした狛犬。 人気の縁結び神社。ぜひ参拝してみてください。 #御朱印 #限定御朱印
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ブログ更新 【2026年11月限定御朱印を頂ける東京都の神社まとめ】 酉の市や新嘗祭などの限定御朱印や月替り御朱印など。当ブログ内で記事を作成している神社のみ地域別に情報を簡易にまとめた形になります。詳細は各公式サイトやSNS・該当記事をご覧下さい。 ... jinjamemo.com/archives/20261…
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久國神社(久国神社)。港区六本木。 旧谷町・旧箪笥町の鎮守。古くは「久国稲荷神社」と称されていたお稲荷様。 久国の社号は鎌倉時代の刀工・粟田口久国作の刀が奉納された事に由来します。 御朱印は書き置きが拝殿横に置いてありセルフ式。昨年参拝した時は5種類ありましたが今回参拝時は4種類置いてありました。猫ちゃんと狐のシュールな御朱印を頂いています。初穂料500円は賽銭箱へ。 自分が参拝するといつも猫ちゃんがお出迎えしてくれる久国神社。この日は猫ちゃんの姿が見えなかったので「あら、今日は猫ちゃんいないね」なんて口に出したら、それに反応したように「ニャーニャー」言いながら茂みの奥から白い猫ちゃんが出てきてくれました。そのまま日向ぼっこ。この子は懐っこいし人の言葉も理解しています。 そんな訳で頂いたのは今回の御朱印。猫と狐の御朱印がぴったりです。 六本木の都会に鎮座する小さな神社ながら古き良き鎮守としての姿が維持されていて、知る人ぞ知る都会のオアシスとして親しまれています。場所を忘れるような静かな空間です。 ..... 久国神社の創建年代は不詳。古くは千代田村紅葉(今の皇居のあたり)と呼ばれた地に鎮座していたと伝わります。江戸城築城する以前より鎮座していたお稲荷様でした。 長禄元年(1457)、太田道灌が江戸城を築城。江戸城エリアにあった当社は遷座を余儀なくされます。 寛正六年(1465)、「城隍の鎮守」として溜池(現在より東側)に遷座。当時は御神木として榎の木があったそうです。 その後、太田道灌によって刀工・粟田口久国作の刀が奉納。これが久国神社の社号由来です。 粟田口久国(あわたぐちひさくに)は鎌倉時代の刀工。 粟田口派の祖を父に持つ刀工一家の次男で兄弟を総称して「粟田口六兄弟」と呼び、特に末弟である国綱は天下五剣の一つに数えられる鬼丸国綱(おにまるくにつな)の作者として知られます。 天保元年(1830)に成立した刀剣解説書『懐宝剣尺』では、久国の刀は「古刀最上作」に列していて古くから非常に稀少な刀でした。久国の刀は、1口が国宝、3口が重要文化財に指定されています。 ※当社の社宝となっている久国作の刀は非公開ながら現存しています。 太田道灌が当社に久国作の刀を奉納した当時からも大変に稀少な刀だったようです。そうした稀少な刀を道灌が当社に寄進した事からも、当社を「城隍の鎮守」として篤く崇敬した事が窺えます。 寛保元年(1741)、現在地に遷座。谷町(麻布谷町)と箪笥町(麻布箪笥町)の鎮守として崇敬を集めました。 なお、谷町は当時の麻布最北端の町、現在は首都高の谷町ジャンクションとして名が残ります。箪笥町は江戸初期に幕府の武具を掌った御箪笥奉行に由来します。 明治になり神仏分離。別当寺「林昌寺」の僧が復飾して当社の神職となり林昌寺は廃寺。 明治七年(1874)、近隣の火事により類焼。以後しばらく荒廃したものの再建。 昭和二年(1927)、社号を「稲荷神社」から「久國神社」へ改称。 昭和二十年(1945)の戦災で社殿を焼失。昭和二十八年(1953)に社殿が再建され復興を果たしました。 現在は港七福神めぐりの布袋尊を担っています。 ぜひ参拝してみてください。 #御朱印
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乃木神社。港区赤坂。 夫婦和合の神様。乃木大将夫妻を祀る神社。 10月中に授与の「月替わり御朱印」を頂きました。今年の月替わり御朱印は全て干支の馬がデザインされています。この馬は乃木将軍の愛馬・壽号(すごう)。日本の四季を旅するデザインとなっています。 今年は午年。乃木神社は馬と大変ゆかりのある神社です。御朱印にもデザインされている通りで、御祭神の乃木将軍が大変馬を大切にした人物として知られます。 特に日露戦争でロシアのステッセル将軍から贈られた白馬「壽号(すごう)」とその仔「璞号(あらたまごう)」が有名です。 当社に隣接する旧乃木邸には煉瓦造りの立派な馬小屋が今も残されていて馬を大切にした乃木将軍の姿を今に伝えています。ぜひ旧乃木邸にも足を運んでみてください。 今では乃木坂46ファンの聖地にもなっているので絵馬にはチケット当選祈願なども多いです。 ..... 乃木将軍・乃木大将とも称される御祭神の乃木希典(のぎまれすけ)は日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、水師営の会見をはじめとする多々の徳行・高潔な振舞いにより国際的にも名が知れた陸軍軍人です。 また学習院長に任命されて昭和天皇の教育係も務め質実剛健の教えを徹底したといいます。昭和天皇は後に「自身の人格形成に最も影響があった人物」として乃木の名を挙げる程でした。 彼の最期は明治天皇の後を慕って殉死したことで知られます。明治天皇の大葬が行わた当日、静子夫人と共に自刃して亡くなりました。 ※余談ですが夏目漱石の名作『こゝろ』は漱石が乃木希典の殉死に影響を受け執筆した作品として知られます。 大正元年(1912)9月18日、乃木夫妻の葬儀が行われると、葬儀には十数万の国民が自発的に参列しその様子から「国民葬」「世界葬」とも表現されました。 大正二年(1913)、当時の東京市長だった阪谷芳郎が中心となって乃木希典を敬慕する人々による「中央乃木會」を設立。乃木邸内の小社に乃木夫妻の御霊をお祀りしました。 大正八年(1919)、「乃木神社」創建の許可が下ります。大正九年(1920)には明治天皇を祀る「明治神宮」が創建。 既に創建の許可は下りていましたが、当社は乃木が慕った明治天皇を祀る明治神宮が創建した後に造営が行われました。 大正十二年(1923)、鎮座祭が行われ当社が創建。乃木夫妻が自刃・殉死した邸宅の隣地に創建されたのが乃木神社です。 今も旧乃木邸として自刃した邸宅も残ります。(邸宅の建物内は平時は入れませんがたまに一般公開されています)その敷地内に煉瓦造りの馬小屋があります。また境内には宝物殿があり乃木大将にまつわる品や資料を無料で色々と見る事ができます。 昭和二十年(1945)、戦火によって社殿など境内を悉く焼失。昭和三十七年(1962)、社殿が再建され復興を果たしました。 現在は特に夫婦和合の神様として信仰を集めている当社。神前結婚式も人気で授与品として「つれそひ守」「よりそひ守」は特に人気。 つれそひ守は、結婚より年月を積み重ねられた2人にこれからも長く「つれそって」いけますようにと願いを込めた御守。 よりそひ守は、新郎の紋服、新婦の白無垢をあしらい、夫婦となる2人が末永くよりそって頂くようにと願いを込めた御守。 結婚式や記念日など夫婦に向けての御守で、贈り物としても人気が高いです。 今ではアイドルグループ乃木坂46のおかげで全国区になった「乃木坂」の由来も乃木大将によるものです。大正元年(1912)に乃木の殉死を悼み赤坂区議会が坂の改名を議決。かつて「幽霊坂」と呼ばれていた坂の名を「乃木坂」としました。 今では乃木坂46ファンの聖地としても人気に。(乃木坂46は最終オーディション会場として使用された「SME乃木坂ビル」が由来だそうです)毎年成人になるメンバーは当社で成人式も行っていて絵馬など奉納されるのが恒例です。 馬とゆかりのある当社。ぜひ参拝してみて下さい。 #御朱印
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櫻田神社(桜田神社)。港区西麻布。 麻布桜田町(現・西麻布)の鎮守。新選組の沖田総司がお宮参りした沖田総司ゆかりの神社。 西麻布三丁目の再開発に伴う工事が約3年近く続いていましたが、新社殿が竣工して参拝できるようになっています。(詳細は後述) 4月25日より数量限定で授与している「JR東海コラボ新選組とドクターイエロー御朱印」を頂きました。(JR東海EXサイトより事前予約必須) 新選組隊士と新幹線ドクターイエローのコラボ御朱印です。JR東海EXサイトより事前予約が必須になります。当日予約可。 →JR東海EXサイトより予約 →櫻田神社の授与所でQRコードを読み込み御朱印を頂く といった流れになります。 予約なしで授与はしていませんので必ずJR東海EXサイトより予約して下さい。当日予約OKです。授与時間は10時-15時45分まで。神社に到着してからでも時間内に予約操作できるならOKです。 事前予約サイトはツリーに貼っておきます。 御朱印は他に通常御朱印、月替わり御朱印、干支御朱印の用意があります。(これらは予約いりません) 更に新選組デザインと桜デザインのオリジナル御朱印帳も。以前は正月期間限定での頒布でしたが現在は通年頒布しているようです。新選組デザインの絵馬や願守も増えていました。 ぜひ頂いてみて下さい。 ..... 西麻布三丁目の再開発の一環で2023年秋頃より工事が始まっていた櫻田神社。近くに仮社殿を設ける形で旧社殿などは完全に解体され、長い間工事が続いていたのですが、今年の8月21日に新社殿が完成して遷座となりました。 いつ工事が終わるのかな、なんてたまに前を通って確認していたのですが、先日夜に通ったらもう参拝できるようになっていた事に気付き、改めてゆっくり参拝。 一新という言葉がぴったりなくらい真新しくなりました。とは言え江戸時代の石造物(水盤や狛犬)、天水桶などは残してあります。色々と思い出もある神社なので感慨深い。 再開発は櫻田神社のある区画だけ先行して進められていたので、周辺のエリアは2029年末頃まで工事が続きます。地上54階建ての複合タワーが建つそうで風景もガラッと変わりそうです。街開きは2030年頃でしょうか。まだまだ先ですが楽しみですね。 ..... 櫻田神社は治承四年(1180)に創建と伝わるお稲荷様です。源頼朝の命で武州豊島郡の領主であった渋谷重国によって建立されたと伝わります。 創建には白い狐の伝説が伝わっています。 渋谷重国が霞ヶ関の山を焼いて狩りをしようとすると白い狐が出現。白い狐が天に向かって気を吐いたところ、十一面観音が現れた。重国は驚き源頼朝に乞うて社を創建した。 創建の地は霞山と呼ばれた地であったため、「霞山稲荷大明神」と称されました。当時は現在の霞ヶ関桜田門外に鎮座していたようです。 文治五年(1189)、源頼朝が奥州征伐の際に30貫の田地(神領)を寄進。 頼朝による寄進によって、一般農家の田と御神田を区別する必要があったため、御神田の畔ごとに桜の木を植えました。この事からこの御神田を人々は「桜田」と唱えるように。更に当社の付近も桜田郷、桜田村と称するように。 この事から当社は「霞山桜田明神」とも称されました。 ※桜田の地名由来は諸説あるのでこちらは1つの説です。 文明年間(1469年-1486年)には江戸城を築城した太田道灌が社殿を改修し当社を再興。道灌は当社に太刀甲胃等を寄進し、それらは長く当社の社宝として伝えられていました。(江戸後期の青山火事で焼失) 天正十八年(1590)に徳川家康が江戸入りすると、江戸城から近い霞ヶ関周辺には諸大名屋敷が連なるように。寛永元年(1624)に現在地へ遷座を余儀なくされます。氏子も共に移り当地は麻布桜田町と呼ばれるようになりました。 幕末には新選組の一番隊組長として有名な沖田総司が初宮参り(お宮参り)に参詣。この事から沖田総司ゆかりの神社、沖田総司の産土神と言う事ができます。 沖田総司は陸奥国白河藩藩士・沖田勝次郎の子として、江戸の陸奥国白河藩下屋敷で誕生。 当時の陸奥国白河藩の藩主は阿部家。当社のほぼ隣に陸奥国白河藩下屋敷が置かれていました。生まれた屋敷のお隣の神社だった訳ですね。 ※ちなみに沖田総司の墓所がある「専称寺」(元麻布3丁目)も当社からほど近い場所にあります。 さらに乃木希典(乃木大将)も同じく初宮参りに参詣しています。乃木大将の着用した産着は当社に寄進されましたが、現在は「乃木神社」に譲渡され社宝となっているようです。 明治になり神仏分離。明治二十八年(1895)に「霞山稲荷」から「櫻田神社」に改称。 昭和二十年(1945)の戦災で社殿など境内の殆どが焼失。昭和二十六年(1951)に社殿を再建。 そして上述した西麻布三丁目再開発によって令和八年(2026) に社殿や境内が一新され現在に至ります。 ぜひ参拝してみて下さい。 #御朱印
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掲示されていた御朱印、御朱印帳、御守りものせておきます。
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JR東海EXのコラボ御朱印予約サイトはこちら。 ec.travel.jr-central.co.jp/t…
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松陰神社。世田谷区若林。 吉田松陰先生を祀る神社。 本日10月27日は秋季例大祭。10月27日は松陰先生の御命日です。神社に隣接する墓地にも手を合わせに。 10月27日から11月3日まで限定授与の「秋季例大祭御朱印」を頂きました。(10月29日は休務日です)見開きサイズで初穂料500円。 今年の御朱印には松陰先生の言葉で「人賢愚ありといえども、各々一、二の才能なきはなし」の一文。 こちらもう少し長い文を書きますと「人賢愚ありと雖も、各々一二の才能なきはなし、湊合して大成する時は必ず全備する所あらん」です。 現代語にしますと「人間には賢い者や愚かな者といった差があるが、誰であっても1つや2つの優れた才能がないわけではない。それらを持ち寄って大きなことを成し遂げるときには、必ず万端そろった完全な状態になるだろう」という意味。 これは安政二年(1855)に野山獄での獄中教育の経験から書かれた著書『福堂策(ふくどうさく) 上』に記された言葉です。 本日は秋季例大祭でしたので松下村塾レプリカも開いていて花展も開催されていました。 10月25日は松陰神社参道商店街で「若林幕末祭り(第壱回)」が開催されました。これは元々「秋まつり」として開催していたものを幕末祭りに今年からリニューアル。神輿渡御、松陰神社境内ガイドツアー、奇兵隊と維新の志士の扮装パレード、幕末グッズの販売などなど楽しいお祭りだったようです。(一昨年参加しましたが楽しかったです) 松陰先生は様々な漫画やアニメ、ゲームのキャラにもなっていたりするからか、この日もぬいぐるみやアクスタを持って推し活する方もチラホラ。 ..... ちなみに松陰神社は東京の世田谷の他にも、長州藩である山口県萩市にもあります。 そんな萩の松陰神社では10月1日-12月末まで「銀魂コラボ御朱印」を授与しているとか。萩市が「銀魂暦」として大々的にコラボをやっているようでその一環。 もし機会があれば萩にも訪れてみて下さい。自分は難しいので行ける方が羨ましいです。 ..... 松陰神社の御祭神は吉田松陰先生。幕末の思想家・教育者で長州藩士。私塾「松下村塾」を指導し松陰の門人達は明治維新の際に活躍したことで知られます。明治維新、特に長州藩の精神的指導者・理論者でした。安政の大獄によって処刑、享年30(満29歳)。 境内に隣接するように吉田松陰先生の墓所があります。高杉晋作など吉田松陰の門人によって小塚原回向院にあった松陰の墓が当地(長州藩の抱屋敷があった地)に改葬されました。明治になり墓所は木戸孝允(桂小五郎)によって修復。墓所前の鳥居は当時のものです。手を合わせてみてください。 そんな墓所の隣に松陰先生の門人などによって明治十五年(1882)に松陰先生を祀り創建したのが松陰神社です。 明治四十一年(1908)には木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、乃木希典らによって松陰50年祭が行われました。この時の石灯籠などが境内に残ります。 昭和十七年(1942)には「松下村塾」のレプリカが建てられました。今も社殿右手にある松下村塾レプリカがそれです。平日は雨戸が閉じていますが、土日祝は雨戸を開けていて中を見る事ができます。 ちなみに上述したように松陰先生縁の地である山口県萩市にも「松陰神社」があります。こちらの境内ある松下村塾が幕末当時の塾舎が現存する本物です。 共に「松陰神社」がある事から平成八年(1996)に世田谷区と萩市は友好都市提携となっています。こうした繋がりや交流も素敵です。 近年は学問の神としても崇敬を集めている松陰神社。松陰神社参道商店街には美味しい名店もたくさんで楽しめます。ぜひ参拝してみて下さい。 #御朱印 #限定御朱印
松陰神社。世田谷区若林。 吉田松陰先生を祀る神社。 本日10月27日は秋季例大祭。10月27日は松陰先生の御命日です。今年も神社に隣接する墓地にも手を合わせに。 本日から11月3日まで限定で「秋季例大祭御朱印」も授与しています。(10月29日は休務日のため御朱印は頂けません) ※神社の詳細は夜に改めて。
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松陰神社。世田谷区若林。 吉田松陰先生を祀る神社。 本日10月27日は秋季例大祭。10月27日は松陰先生の御命日です。今年も神社に隣接する墓地にも手を合わせに。 本日から11月3日まで限定で「秋季例大祭御朱印」も授与しています。(10月29日は休務日のため御朱印は頂けません) ※神社の詳細は夜に改めて。
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白金氷川神社。港区白金。 白金一帯の総鎮守。猫神社。 本日10月24日から頒布開始の「猫御朱印帳」「プラチナ御朱印帳」を頂きました。それぞれ先頭ページに御朱印帳専用の限定御朱印付きで初穂料2,500円。 猫御朱印帳は以前頒布していた事がある御朱印帳の色違い復刻版です。猫神社らしいとても可愛らしいデザイン。可愛い猫ちゃんの限定御朱印付き。 (猫御朱印帳は紫陽花柄のもあります。こちらは在庫限りで終了です。) プラチナ御朱印帳は以前から青色が出ていましたが今回は新色のえんじ色。社殿が社紋、ロゴなどがキラキラ。さらに紙の上下も銀色になっているのでぜひ実物を確認してみて下さい。白金の地名からくるプラチナ豪華仕様です。鳳凰の限定御朱印付き。(鳳凰の御朱印は猫ちゃんの限定御朱印に変更も可能との事です) (プラチナ御朱印帳は青色もまだ少量あります。こちらは在庫限りで終了です。) 別postで投稿した通り10月24日から「季節の書置き特別御朱印(秋)」、10月17日-31日まで帳面に頂ける「ハロウィン特別御朱印」も授与しています🎃お好きな御朱印を頂いてみて下さい。 猫御朱印帳からも分かるように猫ちゃんに遭遇する事が大変多い猫神社。白金の地名からプラチナキャットとして親しまれています。 ぜひ参拝してみて下さい。 #御朱印 #限定御朱印
白金氷川神社で本日10月24日より新しい「書き置き御朱印」と御朱印帳2種類が頒布開始してます。 御朱印帳は以前より頒布していたものの色違い版。先頭ページに特別御朱印付き。 引き続き10月31日まで「ハロウィン御朱印」も帳面に頂けます🎃 今日も猫ちゃん可愛い🐈 ※詳細は夜に改めて。 #御朱印
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御縁年午歳の例祭に 穴守大神様との御神縁を 煌めく金の一筆に込めて ▶︎11/3(火・祝)当日のみ 正午~17時 ▶︎直書・書置共に頒布 ▶︎初穂料:通常通り ※正午以降の本社御朱印は全て金墨です ※奥之宮は通常通り 稲荷山には御縁年午歳印を添えてお頒ちします ⛩️特別な御縁日に、特別な御神縁を⛩️
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⛩️御縁年奉祝『御本社御朱印(金墨)』⛩️ この一年 御縁年午歳を祝し 初午「穴守神社(復刻印)」から 必勝稲荷 航空稲荷 献灯祭 奥之宮・稲荷山と 金墨の御朱印をお書き入れしてまいりました そして11月3日 12年に一度の御縁年午歳の例祭に 満を持して御本社「穴守稲荷神社」を金墨にてお頒ち致します✨
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白金氷川神社。港区白金。 白金一帯の総鎮守。猫神社。 本日10月24日から授与開始の「季節の書置き特別御朱印(秋)」を頂きました。こちらは書置き専用で無くなり次第終了。初穂料1,000円。 画像だと分かりにくいかもしれませんが、猫の足跡や一部の銀杏の葉がキラキラして少しぷっくり立体感のある手作りの御朱印。 御朱印にいる左右の猫ちゃんは白金氷川神社に参拝した事ある方なら見かけた事があるかも?神社でお馴染みの子たちです。本日も可愛く境内をウロウロ。撮影していたら足元にスリスリしてきて可愛かったです🐈 限定御朱印は他に、10月17日-31日まで「ハロウィン特別御朱印」を授与しています🎃こちらは帳面に頂けます。参考までに先週頂いたハロウィン御朱印も載せておきます。初穂料は500円。とても人気のようです。 さらに本日より新しい御朱印帳(色違い版)が2種類頒布開始になっています。そちらは別postで改めて。 今年7月を最後に諸般の事情により月替わり御朱印を終了した白金氷川さまですが、限定御朱印はこうした感じでやられるようなのでタイミングみて参拝してみて下さい。 #御朱印 #限定御朱印
白金氷川神社で本日10月24日より新しい「書き置き御朱印」と御朱印帳2種類が頒布開始してます。 御朱印帳は以前より頒布していたものの色違い版。先頭ページに特別御朱印付き。 引き続き10月31日まで「ハロウィン御朱印」も帳面に頂けます🎃 今日も猫ちゃん可愛い🐈 ※詳細は夜に改めて。 #御朱印
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白金氷川神社で本日10月24日より新しい「書き置き御朱印」と御朱印帳2種類が頒布開始してます。 御朱印帳は以前より頒布していたものの色違い版。先頭ページに特別御朱印付き。 引き続き10月31日まで「ハロウィン御朱印」も帳面に頂けます🎃 今日も猫ちゃん可愛い🐈 ※詳細は夜に改めて。 #御朱印
白金氷川神社。港区白金。 白金一帯の総鎮守。猫神社。 10月17日-31日まで授与の「ハロウィン特別御朱印」を帳面に頂きました🎃直書きも書き置きも対応可能です。初穂料は500円。 ハロウィンなデザインにたくさんの猫ちゃんたち。猫神社な白金氷川さまらしい御朱印です。 今年の7月を最後に諸般の事情により月替わり御朱印を終了した白金氷川さまですが、先月の例大祭、そして今回のハロウィンと、今後も期間限定の御朱印は行いたい意向のようです。 自分も含めて白金氷川さまの限定御朱印は毎月楽しみにされていた方も多いと思うので、またこうして定期的に限定御朱印をやって下さると嬉しいですね。 平時は通常御朱印として「狛犬御朱印」のみの授与となっています。ぜひ期間中に参拝してみて下さい。 白金氷川さまと言えば猫ちゃんたち。本日はご飯中の子が1匹。いつも癒されます🐈‍⬛ ..... 白金氷川神社は日本武尊の伝承が残り港区内最古の神社とされる古社。江戸時代は江戸七氷川のうちの一社に数えられた神社です。 社伝によると白鳳年間(673年-685年)に創建。さらに当社が創建するより以前に日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝承も残ります。 応永年間(1394年-1427年)になると南朝の国司であった柳下上総介が当地を開墾。開墾した地を白金(しろかね)と呼び白金村が成立、白金村の鎮守とされました。 白金の地名由来は、当地を開墾した柳下上総介が多くの銀(しろかね)を所有していたため白金長者と呼ばれるようになった事が由来とされています。(そのため古くは白銀と表記される事も) 読み方は昔も今も「しろかね」です。最近はシロガネーゼ的な造語から「しろがね」と濁点を付けて読む方もいますが公式の地名も駅名も今も昔も「しろかね」が正解です。 元文・明和年間(1736年-1772年)に記されたと見られる筆者不詳の古随筆『望海毎談』には江戸の氷川明神が7社記されています。この7社がいわゆる「江戸七氷川」。当社はそのうちの1社と見られています。 また境内社の建武神社は後醍醐天皇・護良親王・楠正成などの203柱の南朝の天皇や忠臣を祀る神社です。社号の由来は建武の新政から。小さなエリアですが緑に囲まれ奥に朱色の社殿が2つ並ぶ姿は美しい空間。 この建武神社の社殿で猫ちゃん達が横になっている姿もチラホラ見かけます。 御朱印にもなっている石段を上った先にいる一対の狛犬。こちらは安永六年(1777)に奉納されたかなり古い狛犬。当時の江戸の狛犬の特徴でもある江戸尾立の尾に細身の体躯。そして個性的な表情も特徴的です。どことなくパグっぽくも見えるキュートな狛犬。 ぜひ参拝してみてください。 #御朱印 #限定御朱印
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三谷八幡神社の夜間参拝。 幻想的でしたので動画でも少しだけ。 本日は十三夜。 授与所も特別に20時まで開いていて境内も綺麗。 武蔵小山のパルム商店街はとても賑わっていましたがこちらは静か。 良いお参りができました。 #御朱印
三谷八幡神社。品川区小山。 武蔵小山総鎮守。さんやはちまん。 10月23日-11月23日まで授与の「新嘗祭御朱印」「勤労感謝御朱印」を頂きました。並べて1つのイラストになる意匠。境内にいる福禄寿と大黒天がデザインされています。各500円。 本日は十三夜。十三夜に合わせて授与所が20時まで開いているとの事で夜間参拝を。境内には竹灯籠が設置されて石灯籠にも火が灯り幻想的な雰囲気に。手水舎もお月見仕様で素敵でした。 十三夜とは旧暦の9月13日の夜に行われる日本独自の月見の風習です。中秋の名月に並ぶともされますが、満月ではなく少し欠けたお月様を愛でる風習。欠けたものを美しいとする感覚って日本的だなと思います。 ..... 御朱印にある新嘗祭(にいなめさい)とは11月23日に宮中や神社で行われる収穫感謝祭です。その年の収穫を感謝して神様に新穀を捧げます。宮中でも天皇陛下が新穀を神様に供えて感謝の奉告を行い、これらを神様からの賜りものとして自らも食します。 この事から一部では神様に捧げる新嘗祭が終わるまで新米を食べるのは恐れ多いとして、新嘗祭が終わってから新米を食べる風習も。(現代は新米が出回るのが早いのでそう気にする必要もないとは思います) 現在では毎年11月23日は「勤労感謝の日」として祝日ですが元々は新嘗祭として同日が明治時代より祝日だったものです。戦後になり勤労感謝の日に改称されました。 御朱印も新嘗祭と勤労感謝の日、どちらもセットで用意しているのが嬉しいですね。 ..... 三谷八幡神社は三谷延宝・元禄年間(1673年-1704年)の創建と伝わります。2030年が御鎮座350年なので1680年を創建年としています。 小山村鎮守「小山八幡神社」の氏子内で宗教上の軋轢があり分祀という形で創建しました。 現在の武蔵小山や西小山を含む広い一帯は小山村と呼ばれる村でした。古くから小山村の鎮守だったのが長元三年(1030)創建と伝わる小山八幡神社。武蔵小山や西小山などにつく「小山」の地名由来にもなった神社です。 当社周辺(現在の武蔵小山エリア)は小山村の三谷/山谷(さんや)と呼ばれた地区でした。 延宝・元禄年間(1673年-1704年)に氏子の間で宗教上の軋轢があったため、三谷地区の名主・石井助太夫が小山八幡神社の八幡神像を屋敷内に遷します。その後に当地に古くから鎮座していた「出世稲荷大明神」の境内に八幡神像を遷したと言います。 小山村三谷地区の鎮守とされ「三谷八幡宮」と称され信仰を集めました。 ちなみに今は当然そうした軋轢はありません。毎年9月に合同で「小山両社祭」を行っている程とても密接で良好な関係です。 三谷地区が武蔵小山となったのは大正時代のこと。江戸時代から戦前にかけては筍(たけのこ)の産地と知られた武蔵小山一帯。江戸・東京市中で出回る筍の殆どを生産していた時期があったとも。 大正十二年(1923)、小山駅(現・武蔵小山駅)が開業。同年、関東大震災が発生で武蔵小山周辺は壊滅的な状況となります。 
大正十三年(1924)、小山駅が武蔵小山駅に改称。これは東北本線に既に小山駅(おやまえき)設置されていたため、混同を防ぐために旧国名「武蔵」を冠して「武蔵小山駅」に。 そして現在の武蔵小山駅周辺に三谷耕地整理組合が結成され耕地整理事業が行われます。駅の開業や関東大震災後の耕地整理によって爆発的に人口が増加。武蔵小山駅を中心として当地は発展していくことに。 武蔵小山といえばパルム商店街。こちらは昭和三十一年(1956)に武蔵小山商店街の第1アーケード(全長470m)が完成。その後第4アーケードまで拡張され、かつて「東洋一」とも称された「武蔵小山商店街(パルム)」に発展していきます。 昭和六十年(1985)にネーミング愛称「パルム-Palm」を決定。現在も都内では最長の800mのアーケードを有する都内でも有数の人気の誇る商店街となっています。 ちなみに武蔵小山駅を中心に「武蔵小山」(通称ムサコ)と呼ばれますが、現在の周囲の町名表記は小山・小山台・荏原・平塚・目黒本町などであり武蔵小山という地名は存在しません。これらは上述の三谷耕地整理事業が行われた地域で当社の氏子地域と重なるため当社は「武蔵小山総鎮守」という事ができます。 ぜひ参拝してみて下さい。 #御朱印 #限定御朱印
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三谷八幡神社。品川区小山。 武蔵小山総鎮守。さんやはちまん。 10月23日-11月23日まで授与の「新嘗祭御朱印」「勤労感謝御朱印」を頂きました。並べて1つのイラストになる意匠。境内にいる福禄寿と大黒天がデザインされています。各500円。 本日は十三夜。十三夜に合わせて授与所が20時まで開いているとの事で夜間参拝を。境内には竹灯籠が設置されて石灯籠にも火が灯り幻想的な雰囲気に。手水舎もお月見仕様で素敵でした。 十三夜とは旧暦の9月13日の夜に行われる日本独自の月見の風習です。中秋の名月に並ぶともされますが、満月ではなく少し欠けたお月様を愛でる風習。欠けたものを美しいとする感覚って日本的だなと思います。 ..... 御朱印にある新嘗祭(にいなめさい)とは11月23日に宮中や神社で行われる収穫感謝祭です。その年の収穫を感謝して神様に新穀を捧げます。宮中でも天皇陛下が新穀を神様に供えて感謝の奉告を行い、これらを神様からの賜りものとして自らも食します。 この事から一部では神様に捧げる新嘗祭が終わるまで新米を食べるのは恐れ多いとして、新嘗祭が終わってから新米を食べる風習も。(現代は新米が出回るのが早いのでそう気にする必要もないとは思います) 現在では毎年11月23日は「勤労感謝の日」として祝日ですが元々は新嘗祭として同日が明治時代より祝日だったものです。戦後になり勤労感謝の日に改称されました。 御朱印も新嘗祭と勤労感謝の日、どちらもセットで用意しているのが嬉しいですね。 ..... 三谷八幡神社は三谷延宝・元禄年間(1673年-1704年)の創建と伝わります。2030年が御鎮座350年なので1680年を創建年としています。 小山村鎮守「小山八幡神社」の氏子内で宗教上の軋轢があり分祀という形で創建しました。 現在の武蔵小山や西小山を含む広い一帯は小山村と呼ばれる村でした。古くから小山村の鎮守だったのが長元三年(1030)創建と伝わる小山八幡神社。武蔵小山や西小山などにつく「小山」の地名由来にもなった神社です。 当社周辺(現在の武蔵小山エリア)は小山村の三谷/山谷(さんや)と呼ばれた地区でした。 延宝・元禄年間(1673年-1704年)に氏子の間で宗教上の軋轢があったため、三谷地区の名主・石井助太夫が小山八幡神社の八幡神像を屋敷内に遷します。その後に当地に古くから鎮座していた「出世稲荷大明神」の境内に八幡神像を遷したと言います。 小山村三谷地区の鎮守とされ「三谷八幡宮」と称され信仰を集めました。 ちなみに今は当然そうした軋轢はありません。毎年9月に合同で「小山両社祭」を行っている程とても密接で良好な関係です。 三谷地区が武蔵小山となったのは大正時代のこと。江戸時代から戦前にかけては筍(たけのこ)の産地と知られた武蔵小山一帯。江戸・東京市中で出回る筍の殆どを生産していた時期があったとも。 大正十二年(1923)、小山駅(現・武蔵小山駅)が開業。同年、関東大震災が発生で武蔵小山周辺は壊滅的な状況となります。 
大正十三年(1924)、小山駅が武蔵小山駅に改称。これは東北本線に既に小山駅(おやまえき)設置されていたため、混同を防ぐために旧国名「武蔵」を冠して「武蔵小山駅」に。 そして現在の武蔵小山駅周辺に三谷耕地整理組合が結成され耕地整理事業が行われます。駅の開業や関東大震災後の耕地整理によって爆発的に人口が増加。武蔵小山駅を中心として当地は発展していくことに。 武蔵小山といえばパルム商店街。こちらは昭和三十一年(1956)に武蔵小山商店街の第1アーケード(全長470m)が完成。その後第4アーケードまで拡張され、かつて「東洋一」とも称された「武蔵小山商店街(パルム)」に発展していきます。 昭和六十年(1985)にネーミング愛称「パルム-Palm」を決定。現在も都内では最長の800mのアーケードを有する都内でも有数の人気の誇る商店街となっています。 ちなみに武蔵小山駅を中心に「武蔵小山」(通称ムサコ)と呼ばれますが、現在の周囲の町名表記は小山・小山台・荏原・平塚・目黒本町などであり武蔵小山という地名は存在しません。これらは上述の三谷耕地整理事業が行われた地域で当社の氏子地域と重なるため当社は「武蔵小山総鎮守」という事ができます。 ぜひ参拝してみて下さい。 #御朱印 #限定御朱印
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日比谷神社。港区東新橋。 旧芝口町(現・東新橋や汐留地区)鎮守。かつて鯖稲荷(さばいなり)と称された神社。 御朱印は書き置きのみ。鯖稲荷と称されたように鯖のイラスト入り。※毎週水曜日は休務日なので御朱印は頂けません。 鯖稲荷と称された由来は、旅人たちのために神社を開放し無病息災の祈願を受けさせた事に由来。霊験あらたかだった事から旅人たちから「旅泊稲荷(さばいなり)」と呼び信仰されました。 江戸時代にそれが転じて「鯖稲荷」に。 その頃には虫歯に苦しむ人が鯖を食べる事を断つ(鯖断ち)をすると治ったといい、人々はお礼に鯖を奉納する風習があったと伝わります。 ..... 日比谷神社の創建年代は不詳。古くは現在の日比谷公園内にあった大塚山という地に鎮座していたと伝わります。 ※日比谷神社なのに日比谷ではなく新橋近くに鎮座している理由はこのように旧社地が日比谷だったためです。 かつての日比谷周辺は日比谷入江と呼ばれ海に面していました。現在の東京駅と皇居の間まで海が食い込んでいたとされています。現在の日比谷公園の大半は日比谷入江と呼ばれた海の中で一部が入江沿いの海岸だったようです。 徳川家康が入府以降は神田山切崩しなどの土で日比谷の入り江が埋め立てられて行きます。 江戸城増築のため現在の日比谷交差点付近に日比谷御門が造営されました。そうして埋め立てられた日比谷周辺には大名屋敷が立ち並ぶことに。 日比谷からの遷座を余儀なくされた日比谷神社は芝口(現・東新橋)へ遷されました。当社の氏子であった日比谷一帯の住民も当社と共に芝口(現・東新橋)へ移転。芝口にありながら暫くの間は町名も元々いた地名である日比谷町を使用していたといいます。 その後、芝口御門を造営にする事になり町名を日比谷町から芝口町へ改称。しかし、当社は日比谷の名を変える事なく現在まで使用を続けています。 そのため今は日比谷には鎮座していないけれど日比谷神社です。歴史を伝える社号です。 かつての日比谷の鎮守であった当社は、当社と共に移ってきた氏子が住む芝口町(現・東新橋)の鎮守とされ崇敬を集めました。 そして上述したように江戸市中からは通称「鯖稲荷」として親しまれるようになっていきます。 また当社周辺は日陰町とも呼ばれました。江戸切絵図にも「日カゲ丁通り」と記されているのですが、これはこの道がとても狭かった事によるもの。 なお、境内に古い社号碑が今も残っているのですが、そちらには「日陰町」の文字を見る事ができ、当時周辺が日陰町と呼ばれていた事を偲びます。 当時は初午(はつうま)=2月最初の午の日の事に例祭が行われ江戸庶民からとても人気を博し、その様子は浮世絵にも描かれています。 大正十二年(1923)の関東大震災が発生では、新橋地区は焦土と化し当社も焼失。 昭和三年(1928)、震災復興の都市計画のため当社は愛宕下町2丁目(現・新橋4丁目)に遷座。社殿が造営され以後、80年余りの間は新橋4丁目に鎮座する事となります。※現在の新橋プラザビルあたり。 平成二十一年(2009)、都市道路計画で環状2号線を建設のため再度遷座。これが現在の鎮座地です。その後も境内整備が進み現在に至ります。 現在は新橋・東新橋・汐留の鎮守として崇敬を集めています。※当社と共に新橋鎮守に「烏森神社」があり大祭は当社と交互に隔年で行われています。 ぜひ参拝してみて下さい。 #御朱印
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烏森神社。港区新橋。 新橋烏森の鎮守。カラフル御朱印の先駆け的な神社。 10月14日-年内限定授与予定の「鉄道開通記念御朱印」と、10月20日-授与開始の「新嘗祭御朱印」を頂きました。御朱印は書き置きのみ。初穂料は各500円。 ..... 「鉄道開通記念御朱印」は横浜総鎮守「伊勢山皇大神宮」と共に頒布する鉄道開通記念の御朱印です。 明治五年(1872)に新橋-横浜(現桜木町駅)間で日本最初の鉄道が開業。約150年(正確には154年目ですが)を記念してご縁に感謝して新橋の烏森神社、横浜の伊勢山皇大神宮の2社で授与することに。 1872年10月14日(太陽暦)が正式開業した日。そのため10月14日は「鉄道の日」に定められています。この御朱印も鉄道の日に合わせて同日より年内限定で授与となりました。 ..... 「新嘗祭御朱印」は金の箔押し仕様。黄金の稲が新嘗祭ならでは。 新嘗祭(にいなめさい)とは11月23日に宮中や神社で行われる収穫感謝祭。(烏森神社では少し早く11月20日に斎行します)その年の収穫を感謝して神様に新穀を捧げます。宮中でも天皇陛下が新穀を神様に供えて感謝の奉告を行い、これらを神様からの賜りものとして自らも食します。 この事から一部では神様に捧げる新嘗祭が終わるまで新米を食べるのは恐れ多いとして、新嘗祭が終わってから新米を食べる風習も。(現代は新米が出回るのが早いのでそう気にする必要もないとは思います) ※毎年11月23日は「勤労感謝の日」として祝日ですが元々は新嘗祭として同日が明治時代より祝日だったものです。戦後になり改称されました。 ぜひ御朱印を頂いてみて下さい。 ..... 烏森神社は平将門を討った藤原秀郷による創建の歴史を持つ神社です。 天慶二年(939)に東国(関東)にて「平将門の乱」が発生。翌年、平将門討伐のため東国に向かった秀郷が武蔵国のとある稲荷社で戦勝祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えました。秀郷はその矢を持って平将門の乱を鎮める事ができたといいます。 秀郷は感謝の証として稲荷社を一社勧請しようと検討。すると白羽の矢をを授けた白狐が夢の中に出てきて「神鳥が群がる場所が霊地である」と告げました。秀郷が当地の森まで来たところお告げの通り烏(カラス)が群がっていたのでそこに神社を創建。これが烏森神社の始まりです。 享徳四年(1455)には古河公方と呼ばれた足利成氏(あしかがしげうじ)が当社に戦勝祈願。この時の祈願状は当社の社宝として現存していて港区指定文化財となっています。 江戸時代には江戸町民からも人気の神社に。中でも明暦三年(1657)に発生した「明暦の大火」での神威が江戸町民に広く知れ渡るように。 明暦の大火とは江戸の大半を焼失させた大火事です。諸説ありますが当時の総人口50万人のうち10万人が亡くなったとも伝わります。江戸城の天守閣を含む江戸市中の大半が焼失。(江戸城は以降天守閣が再建されませんでした) この大火の際、当社の周辺も壊滅的に焼けてしまいますが当社だけは不思議と類焼を免れました。これは神威によるものと考えられ江戸市中で大いに崇敬を集めていきます。 万治元年(1658)になるとこうした神威が第四代将軍・徳川家綱の耳に達します。家綱は社地250坪を当社に寄進。その後も徳川将軍家からの崇敬は続きました。 江戸時代の江戸では何でも番付にする事が流行。自然とお稲荷さんも番付化されました。今で言うランキング付けやTier表のようなもので江戸の頃も現代もやる事は変わらないなと思います。 天保五年(1834)に成立した『祠曹雑識(しそうざっしき)』によれば、100社程の稲荷番付の中で烏森稲荷は「東の関脇」に。三役にされている事からも江戸の稲荷社の中でも特に崇敬を集めた事が分かります。 そんな歴史のある神社ですが今は大都会の新橋において現代的な神社として存続しています。昭和四十六年(1971)に建立されたモダンな社殿、さらに平成五年(1993)に建てられた鳥居が特徴的です。 現代ではカラフル御朱印の先駆けもと言える存在に。 まだ今のような御朱印にバリエーションはなく通常の御朱印が当たり前だった時代、平成二十年(2008)前後より四隅に四色の神紋を押したカラフルな御朱印を用意するようになったのが当社。カラフル御朱印の先駆けとも言える神社として人気を博しました。現在の御朱印ブームの立役者的な一社だと言えます。 また烏森神社には様々な御神徳がありますが、癌封じの神社としても知られています。癌封じ御守は定番の授与品。 癌にならぬよう、また癌を封じ平癒するよう、精神的に癌に打ち勝つよう祈願した御守。かぼちゃがデザインされているのですがこれはかぼちゃは古来より良薬として用いられた事から。 新橋駅からもすぐ近く。ぜひ参拝してみてください。 #御朱印 #限定御朱印
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