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2019年、私は嵯峨にある明治17年の町家を購入し、1年半の歳月をかけて全面的なリノベーションを行い、自身初となる建築事務所のオフィスを構えました。これは、長年日本建築を研究し学んできた成果と、日本の美しい暮らしに対する私の夢を、初めて現実の形に落とし込んだものでした。
その後、私たちは中国の非常に著名な起業家の方々から依頼を受けるようになりました。その中には、世界的に名を知られる方も複数いらっしゃいます。彼らは、日本に構える大型のプライベート邸宅の設計を、私に託してくださったのです。
今後、クライアントのプライバシーには十分に配慮した上で、彼らと共に紡いできた建築にまつわるストーリーを、少しずつお話ししていけたらと思っています。
#寛山建築 #數寄屋 #日本建築士 #在日生活日記 #KanzanArchitect
京都の民泊規制案。「10分以内に駆け付け」から、原則「施設内か近隣10m以内の建物に常駐」へ。既存施設にも経過措置後に適用する方針です。
10分から10mへ。単位の変更で、経営が成り立たなくなる宿もある。
当時のルールに従って物件を買い、融資を受け、町家を修繕し、許可を取った。工事代金は支払い済み。借金は残っている。
そこでルールが変わる。
新条件を満たせず、特例も受けられない。その損失は、誰が負うのでしょうか。
「経営にはリスクがある」で済ませるのは簡単です。しかし、客が来ないリスクと、行政が営業の前提を変えるリスクを、一緒にしてはいけない。
騒音やごみへの対策は必要です。住民に我慢を強いる営業は許されません。
ただ、常駐コストに耐えられることと、地域に誠実であることは別です。
丁寧に営む小さな宿が撤退し、資金力のある企業が残る。それで「地域との共生」が進むのでしょうか。
町家保全も同じです。市自身が、常駐義務による内部空間の改変や、空き家化・解体を懸念しています。
宿を減らして、町家まで失ったら、何を守ったことになるのか。
行政にルールを変える権限があるなら、変更の負担に向き合う責任もあるはずです。
実質的な経過措置、明確な特例基準、着工済み案件への対応、改修・転用支援。「配慮を検討する」だけでは、融資の返済はできません。
住民の暮らしを守ることと、適法に投資した人の信頼を守ること。行政には、両方が求められます。
ルールを守っても、後から経営の土台を崩される。その不安を放置すれば、京都が失うのは民泊だけではありません。都市への信用です。
#京都 #民泊 #京町家
昨日の京都市の民泊規制案についての投稿には、大きな反響がありました。
今回、変更内容が分かりやすいように説明図をつくってみました。
ポイントは、
「10分以内に駆け付ける」から「10m以内に常駐する」へ。
この違いは想像以上に大きい。
これまで複数の一棟貸し施設を、離れた管理拠点から運営できていた事業者も、今後は施設ごとに常駐場所の確保が必要になる可能性があります。
すると何が起こるのか。
管理人件費の増加。
管理拠点の確保。
運営施設の集約。
採算の合わない施設の撤退。
そして、建物所有者にとっては、宿泊施設以外の活用方法を検討する必要も出てきます。
重要京町家への特例や、優良な既存施設への配慮は検討されていますが、適用条件はまだ十分に明らかではありません。
規制によって変わるのは、宿泊施設の管理方法だけではない。
建物の収益性が変わり、
不動産の活用方法が変わり、
場合によっては資産価値にも影響する。
京都の一棟貸し旅館は、大きな転換点を迎えるかもしれません。
今後は、規制の詳細だけでなく、規制後に京町家をどう活かしていくかという議論も重要になると思います。
睿衍 retweeted
【中国人经营管理签证被拒,向有关部门询问申请未获批准的原因。得到的答复令人难以置信:“申请材料中填写的营业时间,与店铺官方网站上公布的营业时间不一致。”】
当局に不許可となった理由を尋ねた。返ってきた答えは、耳を疑うものだった。「申請書類に記載された営業時間と、店のホームページに掲載された営業時間が一致していない」 / htn.to/Jejge23fXM
睿衍 retweeted
Replying to @maruiyan2
这么多简中网友谴责苦主没做充分准备…反过来,如果一个高龄外国人落地北京大兴机场因为入境卡的问题被滞留三小时,这些网友会是什么态度?指责对象会是外国人?🤔
【77岁父亲在关西机场的三个多小时,让我再度思考日本社会。】
昨天,我发了一条简短帖子,讲述了我77岁的父亲独自来日本,在关西国际机场入境时遇到困难的经历。今天,我附上两张真实的微信通话记录,把事情讲得更清楚一些。
去年4月28日,父亲一个人从无锡乘飞机来到大阪。由于之前我多次带着父亲来过日本,这次本来也是安排我提前一天飞回去接他。但父亲执拗的拒绝我,说他一个人过来能行。
但就是这个决定,让我当天在机场接他时心急如焚。
我们的微信记录可以看到:
13:18,我给父亲发送了日本入境卡照片、住址和联系电话。
13:25,我们已经开始通话。
此后,我不断尝试联系他。机场海关入境官(一位女士)也曾打电话给我,只是确认父亲的身份,她态度冷漠的告诉我他没有出境卡。
父亲遇到的困难其实很简单:他不会填写入境卡,也无法与工作人员正常沟通。
17:04,我们仍有通话记录。
从13:25到17:04,整整过去了3小时39分钟。
如果从航班实际降落时间计算,可能等待的时间可能更长。
最终,帮助父亲顺利完成入境手续的,是一对素不相识的中国年轻情侣(父亲说他们是湖南人👍)。我始终感谢他们。
昨天,有日本网友告诉我:「小さな親切大きなお世話」意思是小恩小惠能惹出大麻烦。
我能够理解这种顾虑。但这让我产生了更深的疑问。
如果帮助一个77岁的老人都需要首先考虑风险,那么一个发达社会的公共服务制度,究竟应该承担什么责任?
我并不是要求工作人员违反规定,也不是要求任何人为我父亲提供特殊待遇。我只是希望,当一个老人明显无法独立完成手续时,有人能够提供必要的语言协助。
文明更应该体现在:当一个人无法适应流程时,制度是否愿意为他提供必要的帮助。
我更想讨论的是:
为什么一个社会可以把规则建立得如此完善,却仍然可能让一个需要帮助的老人,在规则面前如此无助?
一个社会的文明程度,不仅取决于它如何对待能够独立解决问题的人,更取决于它如何对待那些年老、弱小、语言不通的人。
如果善意意味着风险,而不作为意味着安全,那么我们是否应该重新思考,这样的社会机制究竟在鼓励什么?
我想认真听听日本朋友的意见。
这不是中国与日本谁更文明的问题。
这是一个关于现代社会如何对待弱者的问题。
睿衍 retweeted
日本人的规则体系下,小恩小惠真能惹出大麻烦,因为做任何事都可能给自己带来责任,不做不错,多做多错,日本社会的要义是“把锅甩出去”,而不是“惹麻烦”。
他们似乎认为对陌生人伸出援手,会让自己成为“担保人”,如果被帮助之人犯错,他们会被追究责任。人和人之间,没有信任,而是担心被利用。
比如在海关帮陌生人填表格,他们会担心:万一陌生人是坏人呢,入境后造成伤害海关会不会把自己揪出来担责?这种草木皆兵的脑回路真让我无语。
我感觉是因为他们会被过度指责有关,整个社会就像一群螃蟹,彼此揪着微不足道的小错反复辩经。
【77岁父亲在关西机场的三个多小时,让我再度思考日本社会。】
昨天,我发了一条简短帖子,讲述了我77岁的父亲独自来日本,在关西国际机场入境时遇到困难的经历。今天,我附上两张真实的微信通话记录,把事情讲得更清楚一些。
去年4月28日,父亲一个人从无锡乘飞机来到大阪。由于之前我多次带着父亲来过日本,这次本来也是安排我提前一天飞回去接他。但父亲执拗的拒绝我,说他一个人过来能行。
但就是这个决定,让我当天在机场接他时心急如焚。
我们的微信记录可以看到:
13:18,我给父亲发送了日本入境卡照片、住址和联系电话。
13:25,我们已经开始通话。
此后,我不断尝试联系他。机场海关入境官(一位女士)也曾打电话给我,只是确认父亲的身份,她态度冷漠的告诉我他没有出境卡。
父亲遇到的困难其实很简单:他不会填写入境卡,也无法与工作人员正常沟通。
17:04,我们仍有通话记录。
从13:25到17:04,整整过去了3小时39分钟。
如果从航班实际降落时间计算,可能等待的时间可能更长。
最终,帮助父亲顺利完成入境手续的,是一对素不相识的中国年轻情侣(父亲说他们是湖南人👍)。我始终感谢他们。
昨天,有日本网友告诉我:「小さな親切大きなお世話」意思是小恩小惠能惹出大麻烦。
我能够理解这种顾虑。但这让我产生了更深的疑问。
如果帮助一个77岁的老人都需要首先考虑风险,那么一个发达社会的公共服务制度,究竟应该承担什么责任?
我并不是要求工作人员违反规定,也不是要求任何人为我父亲提供特殊待遇。我只是希望,当一个老人明显无法独立完成手续时,有人能够提供必要的语言协助。
文明更应该体现在:当一个人无法适应流程时,制度是否愿意为他提供必要的帮助。
我更想讨论的是:
为什么一个社会可以把规则建立得如此完善,却仍然可能让一个需要帮助的老人,在规则面前如此无助?
一个社会的文明程度,不仅取决于它如何对待能够独立解决问题的人,更取决于它如何对待那些年老、弱小、语言不通的人。
如果善意意味着风险,而不作为意味着安全,那么我们是否应该重新思考,这样的社会机制究竟在鼓励什么?
我想认真听听日本朋友的意见。
这不是中国与日本谁更文明的问题。
这是一个关于现代社会如何对待弱者的问题。
我父亲77岁,自己搭乘航班来大阪,我在机场接他。由于出境时父亲语言不通,不会填写海关单,但机场工作人员不予理睬无一帮助。电话打来给我他自己也说不清楚状况,最后用了2小时还是遇上了中国一对小情侣的帮忙,护送他顺利出关。
【当演员穿上国家主义的戏服,艺术还剩下多少自由?】
日本是民主国家,却同样能够拍出充满国家主义色彩的影视作品。
这并不奇怪。民主制度保障表达自由,也包括表达爱国主义的自由。
真正值得思考的是,日本那些优秀的演员,为什么越来越多地出现在以国家安全、秘密情报机构和国际对抗为主题的商业大片中?
是艺术的选择?是市场的选择?还是社会情绪正在悄悄改变艺术的方向?
中国的主旋律电影,往往可以看到政策力量的推动。而在日本,可能不需要任何行政命令,资本、收视率和民族情绪就足以完成类似的工作。
两者的制度机制不同,却可能产生相似的银幕叙事。
我并不反对爱国主义电影。
但我始终认为,一个国家的文化成熟度,不在于它能塑造多少英雄,而在于它能否允许艺术家质疑这些英雄。
当一流演员只能代表国家的光荣,却越来越难以表现国家的阴影时,真正值得担忧的不是演员的前途,而是艺术本身的未来。
睿衍 retweeted
日本を旅行する外国人の皆さんへ。
法律に違反しない限り、
どうかあなたたちのありのままの個性を大切にしてください。
異なる国々、民族、文化があるからこそ世界は豊かになり、
人類は偉大であるように感じられるのです。
ネトウヨの言うことなど気にしなくていい。
彼らはただ、
自分たちには手に入らない自由と楽しさを嫉妬しているだけなのだから。
Replying to @maruiyan2
動画の対話日本語訳:
学生:先生は中国の遅れを康雍乾三代に特に帰しすぎ、歴史以来の深い華夷意識を無視していませんか。その意識が閉鎖と遅れを招きました。
教授:最も深刻なのは遅れではなく、認識しないことだ。康雍乾期の文字獄が思想を厳しく禁錮し、知識人が問題を発見・提言できなくした。遅れは南宋から始まり、理学と八股文が発展を妨げた。当時中国は欧州より強かったが、認識できなかった。
睿衍 retweeted
今日は、ずいぶん久しぶりに中華料理店の王将に行った。注文をしようとすると、店員はネパールから来たアルバイトらしかった。ぼくがちょうど中国語の本を読んでいたので、中国人だと思ったのだろう。ごく自然に中国語で話しかけてきた。そのあと、厨房に戻ると、今度は日本人の同僚と日本語で話している。さらに、そのそばにいた別のネパール人も会話に加わり、二人は自分たちの言葉で話し始めた。
わずか二分足らずの間に、中国語、日本語、そしてネパール語が、ぼくの周りを次々と飛び交っていた。
何か特別な場面だったわけではない。誰かが自分の語学力を見せようとしていたわけでもない。すべてはごく自然に起きていた。飾り気のない、ありのままの日常。そのとき、これこそ一つの時代の表れなのかもしれないと思った。
言葉はもはや、特定の国や民族だけに属するものではない。人々の移動に伴い、仕事や暮らしとともに国境を越え、異国の地へとやって来る。そして、ごく普通の中華料理店で、何の不思議もなく出会う。
ぼくはただ、そこに座って食事をしていただけだった。それなのに、思いがけず、この時代の声を耳にした。
日本“失去的三十年”:是不是该换件衣服了?
一位在马来西亚的日本学者把东亚社会的“建前文化”比作衣服。我觉得这个比喻实在精妙。
🔴所以我想聊聊,日本的“失去的三十年”。
我先讲两个画面:
一个是盛夏穿着好几层冬装的人,你问他“热不热?”
他回“大家都这么穿,你别让别人尴尬。”
于是天气问题变成礼貌问题,先喊热的人有问题,而不是天气。
再看日本面对的国际竞争。
现在的日本,像极了穿着传统华美访问服去跑百米,枪一响,别人已经冲出去了,他还在整理袖口。
跑不过怎么办?先研究对手穿着够不够庄重,顺便羞辱一下那位冠军“衣着下品”。再宣布“我们那里跑步得先讲礼数”。
体面保住了,成绩可能就先放一边,美其名曰,结果不重要。
当然,经济和政策很复杂。不能把三十年的账都记在一件和服头上,和服很无辜,它本来就不是用来跑百米的。
但我想问,如果一个社会要求把“遵守旧规则”看得比“解决新问题”更重要。
把“指出不适的人”看得比“不适的规则”更碍眼。试问它要怎么适应变化?
最难脱的往往是那件曾经让自己风光过的衣服:“我们当年就是穿它成功的。” 但当年合身,不等于人永远不会长大,衣服永远不用改尺寸。
我欣赏得体的礼仪,也喜欢和服。但该穿的时候好好穿;该跑的时候,就脱下和服换上运动服,让腿迈得开一点。
传统值得珍惜,人也需要喘气。
成熟的社会,应该容得下这样一句:“这件衣服很好,但今天穿不适合。”
更应该容得下一个脱掉外套的人,而不是马上开会讨论他是不是不够尊重集体。
说到底,衣服是给人穿的。总不能为了证明衣服合身,就要求所有人停止长大吧。






























