私は
1995年〜2021年迄
約26年間『整骨院』
をやって来ました。
やってて1番辛かったのは
『ほぼ治る見込みの無い症状』
に対して行う治療でした。
①高齢者の膝痛
②五十肩
③坐骨神経痛
④慢性腰痛
⑤腱鞘炎
⑥股関節の痛み
極端に言うと、やっても効果の薄い事をやり続け治療費を頂く!
そして次回の予約を促す!
ホント辛かった!
しかし、生きていく為にこの事をやり続けました。
ですので、『罪滅ぼし』の
意味を込めて、上記の様な症状の方は、速やかにペインクリニックや整形外科を受診する様促しています。
大阪人が用いる『知らんけど〜』
について
『知らんけど〜』は、
大阪人が用いる
『口癖』
『文末表現』
『決め台詞』的意味合いの文言で
意味とニュアンスは
『知らないけれど』ですが、実際はそれ以上の働きをします。
①自分の発言に確証がないことを示す
②断定を避けて責任を軽くする『自分の見解に責任は持てないよ』という保険的意味合い
③話を少し軽くしたり、冗談めかしたりする
④場合によっては、相手に『知らんのかい!』とツッコミを入れてもらうための『前振り的要素』
大阪人特有の!
『知らないことでもとりあえず話して、最後に『知らんけど』を付ける』が大阪人の特徴の一つとされています。
使い方の例
『あの店、美味しいらしいで〜、知らんけど』
『あの焼き鳥屋流行ってるらしいで、知らんけど』
『あいつ金持ちらしいわ〜知らんけど』
いずれも「そう聞いた、そう思うけど、100%の保証はできないよ」というニュアンスです。
大阪人に多い理由
漫才文化の影響もあり、正確さよりも話を面白くしたり、場を和ませたりすることを最優先する傾向があります。その結果、「情報は共有したいけど責任は持てない」という場面で自然に使われるようになりました。
もともと「よう知らんけど」という形だったものが、現在では文末にサッと付けるスタイルになったとも言われています。
横山やすし氏について!
意外と知られていない事ですが
横山やすし氏が不祥事を重ね、
吉本興業より契約解除されたのは
1989年で彼が『45歳』の時でした
また、酒癖の悪さから、アルコール性肝硬変て亡くなられたのは1996年『51歳』の時でした。
亡くなられたのは65歳〜70歳ぐらい?と勘違いされている方も多いと思いますが、亡くなられたのは
『51歳』と言う若さでした。
五十肩でお悩みの方
痛くて肩が上がらない
痛くて動かしにくい
夜間痛が酷くて眠れない
この様な状態の方は
整骨院や整体院などに長期間通うよりも!(回数券など買わずに)
ペインクリニックにて、ステロイド注射を打てば早期に痛みは取れます
ほぼ一発で痛みは取れます。
そもそも整骨院(整体院)は
五十肩を治療出来る免許(資格)では無いので!
虹4 fake love retweeted
Replying to @mnetseven
家に火をつけてオトンころすとかいうネタ?w 横山やすし師匠の叱り方は上品だなw ちなみにライト兄弟て飛行機好きなやすし師匠のご機嫌とりのために付けたコンビ名だとかw
怒られる youtu.be/ra7qMuUx0uQ?si=ti5Z… via @YouTube
横山やすし氏を激怒させた、具体的な漫才ネタとは?
と言うタイトルにて、新たにポストしました。
ご興味のある方は是非読んでみて下さい
横山やすし氏を激怒させたダウンタウン(ライト兄弟)の漫才ネタとは?
横山やすし氏は1982年末のテレビ番組で当時若手だったダウンタウン(ライト兄弟)の漫才を見て激怒した。その漫才の内容とは、以下の通りでした。
父親が近所の人からタバコの火(ライター)を借りた話を受けて、
『借りたものは利子をつけて返さなあかん』と言って翌日その人の家を燃やした。
父親に腹が立って藁人形を作り、釘を打ったら本当に苦しんでいた。
横山やすしはこれを見て
『笑いの中には良質なものと悪質な笑いがある。あんたら二人は悪質な笑いや』『テレビでやるような漫才ちゃう』
またコンビ名『ライト兄弟』についても
『航空ファンにも迷惑や』と指摘したと伝えられています。
また、横山やすし氏がダウンタウンを楽屋で殴ったという別のエピソードも存在しています。
松本氏を考察する④
(1987年の記憶)
『圭・修』の東京進出(1987年夏〜1988年春頃)が定着せず撤退した後、ダウンタウンは関西での大ブレイクを経て段階的に東京へ進出していきました。
時系列
1987年 ダウンタウンは関西で『4時ですよーだ』をスタート。ここからアイドル的な大ブレイクを果たす(女性ファンを中心に社会現象級)。
1988年 フジテレビ『夢で逢えたら』に出演開始ウッチャンナンチャン、野沢直子、清水ミチコらと共演したコント中心の深夜番組で、これが東京での本格的な足掛かりとなる。当初は関東ローカル、後に全国ネットへ。
しかし、まだ関西拠点で、東京の収録のために毎週上京する形を取っていた。
吉本内では『圭 修』の苦い経験から当初慎重な姿勢を取らざるを得なかった。
1989年 満を持して!吉本から本格的な東京進出の指示が出る。
『笑っていいとも!』レギュラーに。
9月29日に『4時ですよーだ』が最終回を迎え、そのまま東京へ。
10月3日に日本テレビ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』がスタート(当初は関東ローカル)。これが東京での看板番組の一つとなる。

























