【人はなぜ結婚するのか】にはまな読書会“前半”字幕つき!!! youtu.be/5f0AKcphhQo?si=fl4q… @YouTubeより
震えが止まらないほど凄かった。
前作で強く引っかかっていた「犠牲を美談へと仕立て上げてしまう姿勢」。あの居心地の悪さと、どうしても拭えなかった倫理的な違和感。今作『ゴジラ-0.0』は、その課題を真正面から受け止め、鮮やかに乗り越えていた。
作品の根底において、国家や権力の横暴に対して「個」がいかにして自らの生を握り直し、合理的な抗いを選択するかという姿勢が、きわめて意図的かつ細やかに描かれており、その意志の強さにまず深く心を揺さぶられた。
とりわけ物語の核心を支えていたのが、田中泯という圧倒的な身体の存在感だ。
彼が演じる博士は、ヒロシマで愛する家族を奪われ、原爆を投下した国に対する苛烈な復讐心を内心抱え続けている。その情念の原動力を単なる「悪」、たんなる「醜」として切って捨てることはできない。そこには歴史の渦に巻き込まれた人間としての必然性と、あまりに痛烈な正直さがあるからだ。
しかし、その正当な怒りはあまりに深く、彼自身を逃れようのない狂気の渦へと引きずり込んでいく。その「狂わざるを得なかった者のやるせなさ」を、田中泯という稀代の表現者は圧倒的な実在感をもって体現していた。
並の俳優が演じれば、単なる記号的な「イカれた科学者」という浅はかなカリカチュアに陥りかねない役柄である。しかし、彼は普段はしれっと「正気の人間」の皮を被りながら、その眼光や肉体の佇まいの奥底に、決して消えない本物の狂気を密かに湛えている。
ここには間違いなく、彼が長年追求してきた暗黒舞踏的な身体性、すなわち「普段の日常的な身体からいかに逸脱し、異質の存在を宿すか」という鍛錬の結実が、スクリーンへと地続きに流れ込んでいた。
舞踏家が劇映画に出演する際、ともすれば「取ってつけたような舞踏表現」として浮いてしまう危うさがあるが、映画としての芝居をも完全に血肉化している田中泯だからこそ、その境目を驚くほどシームレスに繋いでみせたのだ。「あ、いま文字通り“世界の田中泯”がスクリーン上に立ち現れた!」と戦慄混じりに納得させられるほどの圧倒的な説得力。これまでの居心地の悪さが一気に拭い去られ、胸のすく思い(まさに溜飲が下がる感覚)を味わった。
作品全体を通しても、重厚な人間ドラマと怪獣映画としての圧倒的なアクションの均衡が絶妙に保たれていた。
安易なヒューマニズムに逃げず、苛烈な残酷描写のコントラストをきっちりと対置させることで、戦後を生きる庶民の歯に衣着せぬ本音や生活感が浮き彫りになっていく。
そして何より、暴力や理不尽によって生み出された過剰な「復讐心」が、怒りの連鎖に呑み込まれることなく、どのような回路を通って昇華されていくのか。
その回答の差し出し方に至るまで、極めて誠実で力強い映画体験だった。
震えが止まらん。
#ゴジラマイナスゼロ #ゴジラ #田中泯
YoHacQ??
【週刊📕療界ウォッチ009】鍼灸師の施術着〜月1000万級の“治療家たち”〜詐欺容疑接骨院〜Googleレビュー強要事件〜長尾会長が総理に提出〜その他 youtube.com/live/Jg3-vW1xrEk… @YouTubeより
早起きしたのでフルーツ盛り合わせなどつつきながら辻本侑生『繰り返すことの民俗学』を開いたら止まらなくなって、あと数ページとなったところで部屋を出る時間ギリギリなことに気がついて慌てている。慌てていた。出た。間に合いそう。あと数ページが心残り。帰るの楽しみ。
今週の到着🛬
宮台真司監修『統治・自律・民主主義』
シュワルツ『複雑性PTSDの理解と回復』
木村覚『ダンスの美学』
辻本侑生『繰り返すことの民俗学』
海野弘『モダン都市東京』
ギタール『フランス革命下の一市民の日記』
#鍼灸師の本だな
#均整師の本だな
#読書好きと繋がりたい
小柳弐魄(ニハク) retweeted
甲野善紀 @shouseikan 先生との共著「強さは誤解されているー人生を無駄にしないための古武術からの提案」がAmazonにて予約受付開始。
12月10日発売です。
@bookyakan
link.amazon/B0gowpO2d
「いざ戦争になったら、現在の生活はどうなるのか?」
その問いに対する、ひとつの生々しい答えを見せてくれる映画を観てきた。
『 #プーチンの愛国教室 』。
今年のアカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞した、大傑作!!
舞台はロシア・ウラル地方の小さな町、カラバシュの学校。
撮影担当の教員だったパヴェル・タランキンが、2022年のウクライナ侵攻以降、子どもたちを「未来の兵士」に育てるために急激に変わっていく教育現場を、約2年間にわたって記録し続けた作品である。
観ていて、とにかくヒヤヒヤした…。
国旗掲揚、愛国詩の暗誦、手榴弾投げコンテスト、傭兵による武器講習。
通達に従って進められる「愛国教育」の中で、タランキンは命じられた記録をこなしながら、同時にその変化そのものをカメラに収めていく。
日常が、いつの間にか戦時体制の一部に組み込まれていく過程が、淡々と、しかし容赦なく映し出される。
危険は明らかだったはずだ。
それでも彼は撮り続け、映像を国外に送り続け、最後には自らも国を離れることになる。
その覚悟と孤独が、画面から強く伝わってくる。
しかし、よく見ると、そんなに無謀でもないことがわかる。
むしろ極めて繊細に、危険が避けられている。
子どもたちは主に集団の中で捉えられ、批判的な言葉はほとんどタランキン自身の独白に限られる。
周囲の教師や生徒たちが「知らなかった」と主張できる余地を、意図的に残してあるわけだ。
命がけの告発でありながら、関係者を巻き込みすぎないための、冷静な配慮が随所に感じられる。
この映画が恐ろしいのは、特別な悪人が登場しない点にある。
普通の教師が、普通の子どもたちに、普通に戦争の準備をさせている。
通達に従い、仕事をし、生活を守りながら、気づかぬうちに「戦争の側」に立たされていく。
そのプロセスを、内側から記録した作品が他にあっただろうか??
戦争が始まったとき、私たちの日常はこうして溶けていくのかもしれない。
その可能性を、猟奇的なシーンもなく、しかし極めて強烈に突きつけられる90分だった。必見!!















