井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa) header
井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa) profile picture

非営利・フィランソロピー・社会革新の交差点で、グローバルと日本の実践知をつなぎ、セクターのOSを更新中。TBP-J設立者・共同代表/SSIR-J副編集長/助成金責任者・設計者/元AVPN

家は白のハイエース
Joined June 2017
Photo by 井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa)Photo by 井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa)Photo by 井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa)Photo by 井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa)Photo by 井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa)Photo by 井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa)Photo by 井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa)Photo by 井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa)Photo by 井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa)Photo by 井川 定一|社会をよくする資金と知に革命を (@sada_ikawa)
【再掲】ある非営利団体の経営者から「資金がないから、やりたい活動ができない」と相談を受けた。非営利組織の経営において、資金不足の悩みは尽きない。しかし、この考え方は、根本的に間違っている。↓↓ まず「やりたい・やりたくない」はどうでもいい。最も大切なのは、人生をかけて解決すべきと信じぬける社会の課題は何かを徹底的に考え抜くこと。これがないと経営者は、孤独の中、多くの困難に立ち向かい続ける力が沸いてこない。そして、これまでなぜそれが解決されていないのかを調べ上げ、他の国や他の業種のビジネスモデル、自身の経験を踏まえて新しい解決方法をまた徹底的に考える。ここまでくれば、サントリー創業者鳥井信治郎氏ではないけど「やってみなはれ」なのだと思う。 真に社会に必要なことを最も効果的と思われる方法で解決しようとしていて、そのプロセスが広く可視化され、参加の窓口が開かれている場合、その活動や組織に共感し、ともに行動してくれる人は必ず出てくる。そういう人が表れていない場合、課題設定が一人よがりだったり、アプローチが悪かったり、プロセスが可視化されていなかったり、どこかに問題があるのだと思う。 当初思った通りの方法で山頂にたどり着けないことが分かる日がやって来る。でも、その頃には、傍らには以前見えていなかった山頂に通じると思われる別の道が見えているはず。その道を歩めばいい。雨や石やらが降ってきて、更に新たに歩んだ道もまた山頂には通じてなかったことに気が付き、心が折れそうになるが、再び傍らにある山頂に通じると思われる別の道を歩めばいい。天候もルールも急激に変わり、誰も正解を持ちえない状況において、中期的な計画は意味をなさない。経営とは、強い信念とポジティブな気持ちを最後まで持ち続け、資源を最大化しながら柔軟に道を変えて山頂まで歩み続けるゲームなのだと思う。
8
91
9,770
先週、フィランソロピーについて取材を受けた際、「どうすればフィランソロピストを増やせるか」という問いがあった。つまり、社会を良くするために、自らの資金や時間、知識、ネットワークなどを自発的に活用しようとする人を、どう増やしていくかという問いだ。もちろん、そうしたマインドを持つ人を増やすことは大切だ。しかし、その手前に問うべきことがあるのではないか、と話した。 社会を良くしようという強い意志を持たなくても、特別に利他的な選択をしなくても、日々の暮らしのなかで自然と社会を良くする行動を取る。そんな仕組みをどうつくるか、という問いだ。 私たちは、社会を良くするために、人々の意識を変えようとする。寄付やボランティアの大切さを伝え、社会課題への関心を高めようとする。しかし、人々の意識を変えることだけが、行動を変える方法ではない。例えば、環境問題に強い関心がなくても、環境への負荷が少ない選択肢が、より便利で、安く、当たり前のものになれば、多くの人が自然とそれを選ぶ。変えるべきは、人々の意識だけでなく、その行動を形づくっている社会の側の仕組みでもある。 それは言い換えると、社会を良くしようという個人の「意図」を必要としない仕組みを、私たちは明確な「意図」を持って、どうデザインするかということだ。 そして、もう一歩踏み込めば、そもそも社会課題を解決する行動を増やすこと自体が、最終的な目標なのだろうか。例えば、車いすを利用する人が階段で困っているとき、手を貸す人を増やすことも大切だ。しかし、最初から誰もが利用できるように設計されていれば、そもそも誰かの助けを必要としない。社会課題の解決に参加する人を増やすことと、社会課題そのものが生まれにくい仕組みをつくることは、同じではない。 自分がNPOをやっていたとき、「社会を良くするために行動する人を増やそう」と口癖のように言っていた。その思いは今も変わらない。ただ、活動を続けるなかで、人々の善意や努力を増やすだけでは変えられないものがあることも学んできた。 どうすれば善意を持つ人を増やせるかは大切な問いだ。しかし、それと同時に、少なくとも考えるべき問いもある。善意がなくても社会を良くする行動が広がる仕組みをどうつくるか。そして、誰かの善意がなければ解決できない問題そのものを、どう減らしていくか。
4
397
NPOのリーダーに業務や意思決定が集中している。次世代のリーダーが育たない。理事会やスタッフが十分に力を発揮できていない。そして、リーダー自身が休みたくても休めない。そんな組織課題を抱えるNPOは少なくないのではないでしょうか。 「リーダーが離れる時間を、組織が育つ時間に」を合言葉に、2026年度後期サバティカル助成の公募が開始となりました。リーダーが2か月以上、完全に業務から離れることを通じて、権限委譲や次世代リーダーの育成、理事会やスタッフの役割の見直しなど、組織そのものが強くなる機会をつくるものです。 リーダーがいなくても組織が自ら考え、動けるようになることを目指す。そして、リーダー自身も心身を休め、新たな視点を得る機会にする。組織基盤強化助成でもあり、ウェルビーイング助成でもある、ユニークな取り組みです。日本では今年初めて行われましたが、米国では30年以上の歴史があります。 サバティカルを組織基盤強化の一つの方法として、日本のNPOに根づかせていきたいと考えています。そんな新しい文化を一緒につくっていく仲間を募集しています。「サバティカルって何?」「まだ応募するかどうかもわからないけれど、話だけ聞いてみたい」という方も、事前相談会へのご参加は大歓迎です! オンライン事前相談会 ・2026年11月2日(月)12:00-13:00(申込期限:10月31日) ・2026年11月9日(月)12:00-13:00(申込期限:11月7日) ・2026年11月17日(火)11:00-12:00(申込期限:11月15日) (シェアも大歓迎です!) sabalabo.jp/contents/010
7
331
10/30(金)にUNBOUND SAPIENSを開催します。これまで壮大なテーマを掲げ、NPOのタブーにも切り込んできた本オンラインイベントですが、今回は少し趣向を変えたタイトルにしてみました。 私はイタリアに行ったことがないのですが、青木さんと藤村さんがイタリアから帰ってきたということで、「そもそも、なんでイタリアに行ってたの?」「何をしてきたの?」「藤村さん、ピザおいしかった?」「青木さんは、イタリア語をビジネスレベルではなせるってほんと?」といった話を聞いていこうと思っています。 少し真面目な話をすると、お二人がイタリアに行ったのは、世界のソーシャルセクターのウェルビーイング向上に取り組むThe Wellbeing Project(TWP)の研修に参加するためです。 実はTWPは、2020年にSSIRで連載記事を発表しています。そのときの主張を私なりにまとめると、「社会を変えるとは、外側の仕組みを変えることだけではない。その仕組みをつくり、維持し、ときに再生産している私たち自身のあり方を問い直すことでもある」ということだったと思います。 あれから6年。こうした議論はどう発展してきたのか。そして、日本のNPOにとってどのような学びがあるのか。そんなことも、お二人のイタリアでの体験を通じて聞いてみたいと思っています。 準備も打ち合わせもゼロなラジオ感覚の雑談です。さて、どうなるやら。
1
3
299
『Forbes JAPAN』2026年12月号「本当に強い会社2026」で、「トラスト・ベースド・フィランソロピー――『良き資金提供』が導く新社会循環モデル」と題した4ページの特集を組んでいただきました。 TBP-Jの理事である青木さん(salasusu)、一木さん(サントリー)、岨中さん(みてね基金)、そして私の4人による座談会です。それぞれまったく異なる道を歩んできた4人が、なぜトラスト・ベースド・フィランソロピー(TBP:信頼ベースの資金提供)にたどり着き、どのような経緯でTBP-Jの設立や活動に関わるようになったのかを語っています。 私たちは、社会課題の解決にどれだけのお金が投じられたかを議論しがちです。でも、同じくらい重要なのは、そのお金がどんな関係性を生み出し、人々が持つ力や可能性をどれだけ引き出しているか、ということだと思うのです。 だからこそ私は、助成金を単なる資金配分の仕組みとしてではなく、人々の主体性や新たな挑戦が生まれる仕組みとして設計することを大切にしています。一見すると目立たない細かな仕掛けや導線、そこに込めるナラティブに何百時間も費やし、こだわるのも、そのためです。資金の「量」だけでなく「質」を問う議論が、もっと広がっていけば嬉しいです。 それにしても、大企業特集ともいえるこの号で、決して売り上げに貢献しない超マニアックなTBPというテーマに、これだけのページを割いていただけるとは。メディアとしての矜持を感じます。 執筆いただいた山本さん、Forbesの皆さん、ありがとうございました。ネットでも購入できます。
16
447
私たちが本当に育てたかったのは、NPOに代表される市民の自発的な行動そのものが、社会にとって大切な価値を持つというナラティブ(物語)だったのではないだろうか。最近、ふとそういうことを考える。 資金提供者にとっては管理・監督すべき対象、行政にとっては公共サービスの補完者、企業にとっては寄付先、メディアにとっては困っている人を助ける善意の人々、市民にとっては特別な人たちによる慈善活動。もちろん、NPOに対する見方はそれだけではない。しかし、こうした期待に応えて信頼や評価を得ようとするほど、かえって既存のナラティブを強めてきた側面はないだろうか。 例えば、資金提供者からの信頼を得るために進めてきた情報公開、会計基準の整備、監査、第三者認証、ガバナンスの強化。いずれも重要だが、その努力が「NPOは厳しく管理・監督されて初めて信頼できる」というナラティブを強めてはいないだろうか。また、行政が定めた計画や仕様を忠実に遂行することで信頼を得ようとすることが、「NPOは行政の決めたことを実行する組織」というナラティブを強め、政策や制度そのものを問い直す役割を見えにくくしてこなかっただろうか。 社会を変えようとする組織が、社会から認められるために既存の価値基準に適応し、その基準自体を再生産してしまう。しかも、それは信頼を得ようとする真摯な努力の結果として起こり得る。では、私たちは何を変えることに、もっと資源を投入すべきだったのか。 資金提供者がNPOを管理対象ではなく、社会変革のパートナーとして捉えること。行政がNPOをサービスの補完者ではなく、公共のあり方をともに考える主体として認めること。企業がNPOを単なる寄付先ではなく、自らの事業や社会との関係を問い直す相手として捉えること。そして、市民がNPOを特別な誰かの活動ではなく、自分たち自身の社会参加の一つの形として捉えること。 ナラティブは、単なるイメージの問題ではない。社会がNPOをどう捉えるかによって、資金提供の条件や評価基準、意思決定のあり方も変わる。そして、そうした制度や関係性が、社会の認識をさらに強めていく。だからこそ、ナラティブを変えることは、システムチェンジの重要な一部でもある。 振り返ってみると、この数十年間、私たちはNPO自身を改善するための仕組みには投資してきた。しかし、NPOを取り巻く社会のナラティブを変えることには、どれだけ戦略的に資源を投入してきただろうか。私たちは、社会から求められる基準に応え、評価されるための努力を重ねる一方で、その評価基準自体を変えることを後回しにしてこなかっただろうか。
【「ナラティブ」に関する読書会】寄付募集の「困っている人」「助けるNPO」「寄付する私たち」というわかりやすい物語。その物語が強くなるほど、政府、企業、市場、制度、歴史、権力、そして困難を生む構造の一部でもある私たちは、見えなくなっていないでしょうか。 ssir-j.org/event-2026-narati…
3
204
スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー日本版(SSIR-J)を引き継がせていただいてから、2年が経ちました。翻訳記事の定期公開、毎月のオンラインイベント、熱気あふれる対面イベント「ソーシャル・イノベーション・モーニング」、Forbesとの連携を通じたビジネスセクターへの発信、そして完全手作りのウェブサイトでの記事公開など、多くの方々のおかげで、少しずつ前に進んできました。 そして今年度後半は、もう一つの大切な取り組みである「日本発の記事」の充実に力を入れていきます。その第一歩として、10月31日まで、日本発のソーシャルイノベーションに関するオリジナル記事の企画を募集します。ようやくここまでこれました!お待たせいたしました! 日本各地には、社会をよりよくしようとする多様な実践や、そこから生まれた知恵、問い、学びがあります。それらを一つひとつの現場にとどめず、言葉にして社会にひらいていく。他の誰かがその経験から学び、自分たちの実践に生かしたり、新しい取り組みを始めたりする。そして、時には既存の常識や社会の仕組みを問い直すきっかけになる。 SSIR-Jを、そうした知と実践が行き交い、次の実践や新たな社会の変化につながっていく場にしていきたいと思っています。成功事例だけでなく、試行錯誤から得られた学びや、まだ答えの出ていない問いも歓迎します。皆さまからの多様な視点と知見をお待ちしています。
【記事募集】SSIR-Jでは、日本発のソーシャルイノベーションに関するオリジナル記事企画を募集します。皆さまからの多様な視点と知見をお待ちしています。 ■ 応募締切:2026年10月31日(土) ■ 募集テーマ:日本発のソーシャルイノベーション ssir-j.org/news/call-for-art…
2
170
長くて難しい記事ではあるけれど、2018年にSSIRで2番目に読まれた記事でもあるので、ぜひ。
「物語でシステムを変える」物語は、人の心を動かすだけでなく、社会の仕組みそのものをどう形づくり、変えうるのか。「光」「接着剤」「網」の3つのキーワードで考える。2018年、SSIRで2番目に読まれた記事。SSIR「ナラティブ」特集第2弾。 ssir-j.org/using-story-to-ch…
1
7
484
NPOの人に読んでほしいなぁ
「インパクトをどう物語るか」「困っている人がいた。私たちが助けた。その人の人生が変わった」。NPO等が発するわかりやすい物語のなかから、社会課題を生む構造や、変化を生み出す多くの人びとが消えていないか。SSIR「ナラティブ」特集第1弾。 ssir-j.org/how-to-tell-real-…
2
24
3,610
今日の山元さん、鈴木さん、青木さんとのunboundを終えても、残った問いがある。NPOのファンドレイジングが生みうる「外部不経済」を、誰が内部化するのか。 寄付につなげるために、「困っている人」「その人を助けるNPO」「寄付する私たち」というシンプルな物語が構築されるとき、そのナラティブは最終的に寄付をした人だけでなく、寄付しなかった100倍以上の多数の人にも届く。寄付者には、その後、課題の背景にある制度や市場、政策、歴史を伝えることができる。しかし、寄付しなかった人には、その「続き」がない。 仮に、こうしたコミュニケーションが社会課題を生み出す構造を見えにくくし、結果としてその構造の温存や強化につながることがあるとすれば、そこには「社会的コスト」が生じているとも考えられる。例えば、公害では、企業が経済的便益を得る一方、汚染のコストを地域住民や社会が負担してきた。そのため、規制や課税、賠償、環境対策への投資などを通じて、外部化されていたコストを企業活動の内部に戻してきた歴史がある。 ファンドレイジングはどうだろう。寄付額やコンバージョン率はNPOの成果として計測され、NPOは活動のための資金を得る。一方で、そのコミュニケーションが社会の問題認識にどのような影響を残したのかは、NPOの会計には載らない。それを「ファンドレイジングの外部不経済」と名付けてみた。個々のNPOにとって合理的なファンドレイジングであっても、それが集合することで、社会課題を生み出す構造を見えにくくしているとすれば、その社会的コストを引き受けるのは、結局、NPOが最も心を寄せてきた人々になってはいないだろうか。 そのコストを「内部化する」とは、具体的に何を意味するのだろう。一つは、NPOが寄付を集めるとき、寄付額やコンバージョン率だけでなく、そのコミュニケーションが社会にどのような認識を残すのかまで、自らの成果と責任の範囲に入れることかもしれない。課題背景を述べたあと、アクションとして寄付のみを求めるようなマーケティング・コミュニケーションをやめ、課題解決に真に必要ないくつかのアクションを提示し、寄付はone of themにできないだろうか。 もう一つは、ファンドレイジングとは別に、社会課題を生み出す構造そのものへの理解を広げる「ナラティブ・チェンジ」に投資することかもしれない。寄付募集を通じて社会に広がった、時に過度に単純化されたナラティブを、どう「回収」していくのか。そして、それを上回る力で、社会変革につながる新しいナラティブを社会に広げていけるのか。 寄付を集めるためのナラティブを生み出すだけでなく、そこから社会的コストが生じうることまで視野に入れ、そのコストをどう内部化するのか。ファンドレイジングを社会変革の手段と考えるなら、そこまで問う必要があるのではないだろうか。 そんなことをお昼にunboundで考えつつ、夜にSSIR-Jでは今月の「ナラティブ(物語)」特集の第一弾として「インパクトを、現実に即した物語でどう伝えるか」の記事を公開しました。ご関心がある方はぜひ。 ssir-j.org/how-to-tell-real-…
3
262
寄付募集の「困っている人」「助けるNPO」「寄付する私たち」というわかりやすい物語。その物語が強くなるほど、政府、企業、市場、制度、歴史、権力、そして困難を生む構造の一部でもある私たちは、見えなくなっていないでしょうか。 一週間前、この問いをFBに投稿したところ、1万人以上の方に読んでいただきました。次回のUNBOUNDでは、日本ファンドレイジング協会代表理事の山元さん、寄付の女神と呼ばれる(自分で呼んでいる?)鈴木さん、25年以上寄付募集をひたすらがんばってきた青木さんとこの問いをめぐり、あえて結論のない話をします。 筋書きなし、着地点なしのラジオ的雑談です。よほどお時間のある方は、ぜひ。 n-pivo.jp/info/action/202609…
5
337
人生もおなじだなぁ
NPO経営における資金調達の本質は、「初期投資資金確保」→「安定ストック収益化」にある。前者はクラファン、融資、パトロン、自己負担からの資金確保。後者はマンスリーや自主事業等システム化された安定収益源構築。後は仲間を増やす、時流を読む、心の安定を持つことを通じたしなやかさ。
1
269
NPOへの資金提供において、申請書の簡素化、資金提供者による事前調査、複数年・大規模な助成、管理費や基盤強化への資金、非資金的支援、会計報告の免除、不採択理由の公表、地域主導・革新的な活動の優先が、常に正しいとは限らない。 先日の日曜日、約6時間にわたり、トラスト・ベース・フィランソロピー・ジャパン(TBP-J)の理事会・事務局会議を行った。そのなかで、私は、特定の手法を一律に正しいものとして推奨するのではなく、「どのような状況で、どのような方法を選べば、構造的に信頼関係を高められるのか、活動している人たちの能力を最大限活かすことができるのかを考えることが重要だ」という話をした。 「申請書の簡素化」は、一見すると申請者に優しい。しかし、応募が増える一方で、書類だけでは団体の違いや実態が見えにくくなる。その結果、申請段階で、トレンドや資金提供者の限られた視野に合わせて、テーマや応募条件が狭く設定される可能性がある。さらに選考段階では、申請書に書かれていないイメージや評判、口コミ、既存の関係性などに、評価が左右されやすくなる。 「資金提供者が団体や活動を事前に調べること(do the homework)」は、一見すると、申請団体の説明負担を減らす。しかし、資金提供者がアクセスできる情報やネットワークには偏りがある。そのため、情報発信力や既存のつながりに恵まれた団体ほど有利になり、小規模団体や地方の団体が見落とされることもある。 「複数年助成」は、一見すると、団体の安定や長期的な視野の獲得につながる。しかし、複数年にわたる会計管理や報告が小規模団体の負担になったり、新規団体への助成枠を狭めたりすることもある。 「大規模な助成」は、莫大な資源を基に活動を大きく前進させる可能性を生み出す。しかし、団体の能力を超える資金は、組織や地域の文化・関係性を変え、これまでの強みを損なったり、問題を齎すこともある。助成終了後には、急激な資金減少による「資金の崖(funding cliff)」も起こりうる。 「一般管理費の計上」は、一見すると、団体の持続可能性を高める。しかし、経理を適切に行おうとする組織ほど、按分などの事務負担が増える。外務省資金や休眠預金レベルの大規模助成では意義があっても、日本で大多数を占める数百万円規模の民間助成では、そもそも直接費さえ十分ではない。管理費を計算・計上するための負担が、かえって重くなる。 「基盤強化への資金提供」は、一見すると、組織を強くする。しかし、資金提供者が考える「強い組織」のモデルを押しつければ、団体本来の強みや、地域に根ざしたあり方を損なう可能性がある。また、(債務超過団体や超小規模団体以外では、)数百万円の資金で組織が大きく変わるのであれば、なぜ各団体の自己資金や融資では実施されないのかという問いにも答える必要がある。 「非資金的支援」は、一見すると、資金以外の面でも団体を支えられる。しかし、専門家の助言や伴走が、団体の主体性を奪い、資金提供者側の「正解」を押しつけになることもある。スポット的な課題への対応であればまだ提供しやすいが、より根源的な組織課題に関わる対応ほど、難易度はとてつもなく高い。 「会計報告の免除」は、一見すると、事務負担を減らす。しかし、会計に不慣れな団体にとって、報告は組織の成長や説明責任を学ぶ機会にもなりうる。また、会計報告を通じて、資金提供者と活動の学びや気づきを共有できる場合もある。資金提供者が提出不要と言っても、内部統制としての支出管理は必要になるので、どこまで事務負担が減少しているかは見極める必要もある。 「不採択理由の公表」は、一見すると、審査の透明性を高める。しかし、資金提供者の基準に合わせた提案が増え、団体本来の強みが失われる可能性もある。多様な申請が資金提供者の視野を広げ、制度そのものを問い直すきっかけになることもある。不採択は、団体の価値を否定するものではなく、制度との適合性や限られた予算のなかでの相対的な判断にすぎない。 「地域主導の優先」は、一見すると、住民自治や当事者性を尊重する。しかし、それが課題解決の「正解」とは限らない。地域は一枚岩ではなく、「地域の声」が誰の声なのかによっては、声を上げやすい人の意見だけが反映されることもある。
1
6
533
大切なのは、これらの手法の有無に優劣をつけたり、一般論だけで判断したりすることではない。助成の対象となる団体の規模や段階、地域や課題の特性、そして時代の変化や資金提供者の責任を踏まえ、何が関係性を育み、信頼を高めるのかを考え抜くことである。私は、それこそが「資金の質」の議論の本質だと思っている。 一方で、日本の資金提供があまりに一つの型に偏ってきた結果、NPOや地域の多様な活動に資金が届きにくくなっている現実もある。資金が届いたとしても、その団体や活動が本来の力を発揮しにくい場合もある。そのことも、私たちは直視しなければならない。その点で、私は、上記のような助成設計がもっと増えてほしいとも思っている。 多様な資金が、多様な活動を生む。そして、多様な活動が、多様な人々の存在や生き方が尊重される、豊かな社会をつくる。 だからこそ、「これが正しい」と一つの方法を示すことはしたくない。同時に、日本社会に上記を含む多様な資金のあり方が生まれていくことは、人生をかけて全力で応援したい。
79
「フィランソロピーだけでは世界を救えない」ODAの縮小によってグローバル開発の資金不足が深刻になるなか、改めて考える必要があるのは、フィランソロピーだけで社会課題に必要な資金をまかなうことには、そもそも限界があるということ。だからこそ、フィランソロピーか商業投資か、という二者択一で考えるのではなく、助成、譲許的資本、開発金融、インパクト投資、商業資本など、それぞれ異なる性質を持つ資本を、どのように組み合わせていくのかを考える必要がある。 本記事は、SSIRに「『インパクト投資』など存在しない」と書いたケビン・スター氏の主張に対し、国際NGOセーブ・ザ・チルドレンの事例をもとに、ポール・ロナルズ氏が反論するものです。 「従来のモデルは、そもそも以前から課題の規模に見合うものではなかった。ODAとフィランソロピーを合わせても、持続可能な開発目標(SDGs)の達成に必要な資金20ドルに対して、提供できているのはわずか1ドルにすぎない。寄付者がどれほど資金提供を増やしたとしても、現実的にこのギャップを埋めることはできない。」 この指摘は、私が国際協力NGOの事務局長をしていた10年前に感じていたこと、そのものです。フィランソロピーだけでは世界を救えない。 だからこそ、社会課題に必要な規模の資金を生み出すために、異なる資本を、それぞれどのような役割で組み合わせるのかを考えなければならないのだと思います。 一方で、著者はフィランソロピーの役割を否定しているわけではありません。「フィランソロピーは依然として不可欠である――むしろ、これまで以上に重要かもしれない。ここまで述べてきたことは、従来型のフィランソロピーが時代遅れになったという意味ではない。緊急の人道危機、激しい紛争下にある脆弱国、子どもの保護が緊急に必要な状況などでは、迅速かつ柔軟に使える助成資金だけが適切な対応となる場合がある。災害地域で子どもたちが差し迫った危険にさらされているとき、正しい答えはブレンデッド・ファイナンスの仕組みではない。」 この整理は、とても重要だと思います。2024年度には、外務省NGO研究会の資金を活用し、日本ファンドレイジング協会として国際協力NGO向けにさまざまな研修を実施しました。そのなかでは、NGO向けのインパクト投資のセッションも、日本で初めて実施しました。一連の研修を設計するなかで私が伝えたかったメッセージも、まさに同じでした。 まず、従来の公的資金中心の開発援助モデルだけでは限界があることを認めること。そのうえで、インパクト投資を含む多様な資金の可能性を開いていくこと。そして同時に、フィランソロピー資金については、フィランソロピーにしかできないことに、より集中していくこと。 多様な資金を増やすことと、フィランソロピーの役割を薄めることは、同じではありません。むしろ、他の資本でもできることは他の資本に委ね、フィランソロピーにしか担えないリスクや領域に資金を振り向ける。その方が、フィランソロピーの価値はより明確になるのではないかと思います。 フィランソロピーだけでは世界を救えない ssir-j.org/philanthropy-is-t…  令和 6 年度外務省 NGO 研究会 mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/f…
1
3
1
15
1,106
「助成金に依存せず、自立できるように。」NPOの事務局長をしていた頃、公的機関や民間の資金提供者から、何度もこんな言葉をかけられた。もちろん、善意から出た言葉だったと思う。助成金には終わりがある。その間に寄付や会費、自主事業を増やしていくべきだ、と。ただ、正直にいうと、私は「助成金に依存せず、自立を」という言葉に、ずっと違和感を持っていた。 一つ目の違和感は、シンプルになぜ助成金だけが「依存」と呼ばれるのか、ということだ。寄付にも安定したものと一過性のものがあり、事業収益にも継続的なものと単発のものがある。寄付や事業収益が増えれば必ず安定するわけではないし、複数年の助成金の方が安定していることもある。では、寄付が主な収入になれば「自立」なのだろうか。それは、助成金への「依存」が寄付への「依存」に変わっただけではないのか。そもそも、自立や依存とは何を指すのだろう。政府も税収に、財団も運用資産に、企業も顧客に依存している。それでも通常、資金提供者は自らを「依存状態」と認識しないのはなぜか。 もう一つの違和感は、社会課題を解決する責任が、いつの間にかNPO側に置かれていることだ。「この助成が終わるまでに、次の資金を自分たちで見つけてください」。この言葉の背後には、社会課題を解決するのはNPOであり、政府やフィランソロピーは「NPOを応援する側」だという構図があるように思う。しかし、貧困、孤立、虐待、災害、教育格差といった課題は、NPOが生み出した問題ではない。社会全体の問題である。NPOがその課題に取り組み始めた瞬間に、なぜ解決責任も、解決に必要なお金を集める責任もNPOに移るのだろう。 NPOは課題を解決する側、資金提供者はそれを応援する側。そう整理した瞬間に、資金提供者は「どこまで出すか」を選べる一方で、NPOには「最後まで解決すること」が期待される。「助成金に依存せず、自立を」という言葉によって、社会課題そのものへの責任までNPO側に押し戻してはいないだろうか。 そして、話は少しずれつつ、そもそも論として、私は「自立」という言葉そのものが、好きではないのだと思う。NGOやODAなどのいわゆる「国際援助業界」では、「地域が『援助』に『依存』せず、『自立』できるようにすることが目標」という言葉が、ごく当たり前に使われる。食料もエネルギーも海外に大きく依存している国からやってきた若者が、アジア各国の地域で「みなさん、自立してください」と語る。わたしにとっては違和感でしかなかった。 そもそも、人も組織も地域も国も、互いに依存し、支え合いながら成り立っている。「私は自立している」と思えるのは、自分を支えている多くの人や制度、社会とのつながりが見えていないだけにすぎない。 「助成金に依存せず、自立を」という言葉に私が敏感になり引っかかるのは、たぶん、そういうところにもある。よりよい社会をつくるために必要なのは、「依存しないこと」を目指すことではなく、よりよい相互依存のあり方をつくることなのではないの?そんなことを、ずっと思っていた。
3
283
AIによって仕事が奪われる、とよく言われる。しかし、それと同じくらい、あるいはそれ以上に恐れるべきなのは、人と人との関係をつくる機会が奪われることではないかと思っている。 フィリピンで働いていたとき、学んだことがある。本当に重要なことは、正式な会議ではなかなか出てこない、ということである。会議で交わされるのは、場の空気を読み、その場にふさわしい形に整えられた発言である。 しかし、別の地域まで一緒に移動しているとき、食事をしているとき、誰かを待っているとき、会議後の立ち話。そんな時間に、「実は……」という話が出てくる。表向きの合意の裏にある違和感や、言葉になっていない不安。そうしたものが少しずつ見えてくる。信頼も、そういう時間のなかで育まれていった。だから私は、会議そのもの以上に、会議ではない時間を大切にしていた。 最近、AIを使って仕事をするなかで、この感覚を思い出す。AIの便利さによって削られているのは、作業時間だけではないのかもしれない。誰かに聞く。相談する。一緒に考える。待つ。雑談する。意見が食い違う。それでも関係を続ける。こうした一見非効率な時間こそが、信頼をつくり、違和感を拾い、異なる立場の人が一緒に動くための土台だったのかもしれない。 今回のForbes JAPANでは、AI時代にむしろ重要になる「RQ(Relational Intelligence/関係性知性)」について書いた。問われているのは、質の高い関係性が生まれる余白や仕組みを、組織や社会のなかにどう意図的に残していくのか。効率化が進む時代だからこそ、これからますます重要な問いになると考えている。 forbesjapan.com/articles/det…
1
154
熊本地震の発生から数日後、毎月出しているメルマガの冒頭に、被災された方々へのお見舞いと、現地で救助や復旧に尽力している方々への感謝を記そう、という提案がチームからありました。当然のことのようにも思えます。けれど私は、どうしても違和感を拭えず、賛成できませんでした。反対ではないけれど、それでよかったんだっけと思ったわけです。 私自身、今回の被災地の近くに1年以上暮らしたことがあり、報道を見れば多くの人の顔が浮かびます。過去に真夏の被災地で活動していたときには、1か月で7キロほど体重が落ちたこともあります。子どもの頃には、自分自身が地震の被災者でもありました。だから、被災した方々への思いも、現場で活動している人たちへの感謝も、心からのものです。それでも、違和感は残りました。なぜ災害のときだけなのだろう、と。 貧困や孤立、自殺、人権侵害、紛争などによって、災害発生時以外にも多くの人が苦しんでいます。そのそばで、命や暮らしを支え続けている人たちもいます。けれど私たちは、そうした人々に日々お見舞いを表したり、その営みを担う人たちに社会全体で感謝したりはしてきませんでした。自然災害は、何が違うのでしょうか。 たしかに地震そのものは自然現象です。しかし、誰がより大きな被害を受けるかは、自然だけでは決まりません。貧困、孤立、住まい、福祉、地域のつながり。平時からある社会の脆弱さが、災害によって一気に露わになります。つまり災害は、平時とは別の「非常事態」なのではなく、平時の社会のあり方が増幅されて現れる出来事でもあります。 にもかかわらず、私たちは発災すると一斉に資源を動かします。それ自体は必要です。けれど、災害が起きる前から被害を小さくしている地域づくり、防災・減災、福祉、人権、貧困対策には、十分な資源が届いているでしょうか。 平時には十分な資源を向けない。災害が起きる。被害が大きくなる。現場の人たちが限界まで働く。そして関心が薄れると、また元に戻る。この循環を繰り返している限り、犠牲になる人も、疲弊する実践者も減りません。 私が感じた違和感は、お見舞いや感謝そのものへのものではありません。災害が起きた瞬間だけ「非常事態」として深く反応し、その被害を大きくしてきた平時の社会には、そのまま戻っていく。そこに自分たちも加わってしまうのではないか。そこへの恐れだったのかもしれません。 本当に被災者を中心に考えるなら、発災後にどれだけ動くかだけでなく、次の災害で被災する人をどう減らすか、そのために平時から何に関心と資源、そして感謝の心を向けるのかまでを、社会の気持ちが大きく動くこの時期にこそ、災害への応答として考える必要があるのではないか。そう思うのです。
5
379
フィランソロピー飢餓サイクル「ここに、二重の飢餓サイクルが生まれる。資金提供者は、より多くの資金を助成に回すために、自らの組織基盤を細らせる。組織基盤が弱くなるほど、柔軟な判断や丁寧な対話が難しくなり、画一的な審査、細かな使途制限、過剰な書類を助成先に求めやすくなる。そして、その助成金を受け取るNPOもまた、より多くの資金を事業の直接費に充てることを求められ、自らの組織基盤を細らせていく。」 @sada_ikawa note.com/sadakazu_ikawa/n/n8…
3
383
7月26日(日)開催の「ソーシャルイノベーションモーニング」は、参加申込が140名に迫っています。昨年度の参加者数100名をすでに大きく上回っており、定員に達し次第、受付を終了する可能性があります。参加をご検討中の方は、ぜひお早めにお申し込みください。 ssir-j.org/social_innovation…
1
2
7
2,041