
https://teapawt.net/t.co/5aA4mLbyN7 ←和製英語「ロマンチックラブイデオロギー」論公開中/関心:キリスト教神学と結婚思想史ー美学ー情動論ー欲望論、恋愛哲学(エロス論)、西洋古代末期〜中世初期セクシュアリティ研究/「神学と日本恋愛思想史」読書会主催。信者ではありません/[email protected]
王子さまの星のバオバブの根蔓延る地下に通じる巣穴
Joined July 2013
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読書会します。希望者は記事お読みの上、もぐら@sagtmodかホリィ・セン@holysen さんにお問い合わせを【☆読書会告知&参加者募集☆】恋と愛の交差点ーー日本恋愛思想史研究とキリスト教神学| note.com/sagtmod/n/n807470e3…
20世紀の無神論というか世俗主義側からの宗教共同体への暴力を扱ったのが、トーマス・アルバート・ハワードの『壊れた祭壇』。ハワードによれば、世俗主義の3タイプ、消極的、戦闘的、排除的の内、後2者は危険らしい。yalebooks.yale.edu/book/9780…
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キュレネのシュネシオスって調べてて初めて知った神学者です。新プラトン主義者で後に司教になりました。
シュネシオス自身も髪の毛が謙虚なことに悩んでいたそうですが、ディオン・クリュソストモスの『頭髪賛美』に対抗して、禿頭の素晴らしさを論じました。
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出典
1. ソゾメノス『教会史』8巻9章
(PG 67, 1537–1541)
newadvent.org/fathers/26028.…
2. パラディオス『クリュソストモスの生涯に関する対話』17章
tertullian.org/fathers/palla…
3. ヨハネス・クリュソストモス『オリンピアス宛書簡』
newadvent.org/fathers/1916.h…
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貧しい人たちに優しい眼差しを持っていたクリュソストモスですが、支援が支援者自身の名誉や自己満足のために行われることには批判的でした。これは現代でも考えさせられるテーマですね。
日本の儒教の強さは、同じ儒教圏の東アジアの中では一番弱いが、国内思想割合図中では群を抜く程ではないが一番強い位の、見方次第で隠れやすい強さだと思う。東亜内で差異化したい場合神道仏教に注目したくなるが、欧米で中韓人と会うとかなり感覚合うのに気付いたり、思ってるより儒教はずっと強い
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手塚治虫や宮崎駿が共産党員でもあって、そっち側の思想がクリエイターのワンマン気質にマッチしたと言う分析もある。
たしかオタキングかな?
アンチテーゼ側は妖怪容認だったか?
ノンポリが日常かw
この二つの漫画、まさにこの辺のシーン、ワイの幾原邦彦論でも引用した。“良くも悪くも戦後日本の大衆娯楽の典型であるアニメや漫画やゲームのオタク文化の世界では、ぼんやりとキリスト教風に描かれる救済宗教上の神的存在が作内に登場する場合、物語の展開の方向は決まって「神からの解放」や「神殺し」である。神は押し付けがましい抑圧的な支配者であり、信徒達は心の弱さに付け込まれて騙される可哀想な弱者達や狭量で画一的な風紀委員的堅物あり、指導者たる聖職者達は神の権威を笠に着て信者を貪る搾取的な偽善者や狂信者といったところである。” note.com/sagtmod/n/na3804e9e…
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Noteの方を読んだ、なるほど自分がイクニを見ていてよくわからなかった部分が繋がってスッと腑に落ちた
同時に他の引用を見て取れるのは、日本社会における神的救済というのが極めて現世利益的で全能全体完全なものとしてしか受け取られておらず、隣人愛的な慈愛という感覚を欠いているということだ
この二つの漫画、まさにこの辺のシーン、ワイの幾原邦彦論でも引用した。“良くも悪くも戦後日本の大衆娯楽の典型であるアニメや漫画やゲームのオタク文化の世界では、ぼんやりとキリスト教風に描かれる救済宗教上の神的存在が作内に登場する場合、物語の展開の方向は決まって「神からの解放」や「神殺し」である。神は押し付けがましい抑圧的な支配者であり、信徒達は心の弱さに付け込まれて騙される可哀想な弱者達や狭量で画一的な風紀委員的堅物あり、指導者たる聖職者達は神の権威を笠に着て信者を貪る搾取的な偽善者や狂信者といったところである。” note.com/sagtmod/n/na3804e9e…
なので、になってないやろ。他力本願当てにならん。自力救済せよ、てハガレンもベルセルクも言ってんだから。
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俺自身がそう言ってるよ“ニーチェが言うように、大衆は教養人の曇った鏡像に過ぎないのであって、文学作品ではハイネの『流刑の神々』に典型的に表れる、デタラメな脳内理解に基づくどこまでも自慰的な異教復興嗜好を伴う一神教敵視は、そのハイネの文芸作品をあろうことか学術資料扱いした柳田国男を経て継承される、16世紀末以来の排耶的文化偏向の存続であり、それはまた世界的な近現代化の今なお続く時代精神に良く馴染むものでもあるのだろう。本邦で一度も浸透した事の無いキリスト教を敵視して安全に反骨児を気取り極めて安上がりに自惚れを満たすお馴染みの姿勢は天動説・地動説論争を扱った最近の『チ。』でも繰り返されている ”note.com/sagtmod/n/na3804e9e…
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これよ“「キリスト教徒」であるといった程度のことで、「キリスト教が理解できている」などということにはならない。私(加藤)は、フランスに長くいたが、フランス(特に私が滞在した「アルザス地方」)では、基本的に全員が「キリスト教徒」である。しかし彼らが「キリスト教」を理解しているだろうか。また日本に即して言うならば、「仏教徒ならば仏教が理解できている」ということにならない、ということは議論する必要もないだろう。”
note.com/sagtmod/n/n807470e3…
「おれは日本人なんだから、日本人の宗教観についてはおれが一番よくわかっている」みたいなひとが多すぎる。日本人であることで分かるのは、自分が今どう感じているかであって、日本人が歴史上どう信じてきたかは、記録を読まないと分からない。日本語が話せても日本語の歴史は分からないのと同じ。日本語話者であっても、「は」が「パ」と発音されていた時代をだれもが知っているわけではない。同じように、毎年初詣に行く人のすべてが初詣が明治に始まったことを知っているわけではない。感覚は今の自分を教えてくれるが、過去は教えてくれない。「伝統的に」と言った瞬間、それは感覚ではなく歴史の主張になっている。そこに無自覚なひとが多すぎる。
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これは戦前の国家神道に対する忌避感が、戦後のクリエイターに伝播したからだろうと思います
この二つの漫画、まさにこの辺のシーン、ワイの幾原邦彦論でも引用した。“良くも悪くも戦後日本の大衆娯楽の典型であるアニメや漫画やゲームのオタク文化の世界では、ぼんやりとキリスト教風に描かれる救済宗教上の神的存在が作内に登場する場合、物語の展開の方向は決まって「神からの解放」や「神殺し」である。神は押し付けがましい抑圧的な支配者であり、信徒達は心の弱さに付け込まれて騙される可哀想な弱者達や狭量で画一的な風紀委員的堅物あり、指導者たる聖職者達は神の権威を笠に着て信者を貪る搾取的な偽善者や狂信者といったところである。” note.com/sagtmod/n/na3804e9e…
グループ毎に割れている、というのが一番簡単な答えですね。性をタブー視しているのは、日本人の方じゃないですか?世界で一番セックスしない方の国民が、どうして自分たちよりセックスしてる一神教徒達の世界を、性…(あと63文字)
note.com/qa/sagtmod/q/7e00fd…
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ドラマ「海に眠るダイヤモンド」だと長崎クリスチャンの生き残りがガッツリ神を批判し、原爆症で苦しむ母親がそれでもなお信仰し続けるのを苦々しく感じ対立する作劇が上手いなと感じた。
今は神殺しだけだとやり尽くされているから安易なんよね。
この二つの漫画、まさにこの辺のシーン、ワイの幾原邦彦論でも引用した。“良くも悪くも戦後日本の大衆娯楽の典型であるアニメや漫画やゲームのオタク文化の世界では、ぼんやりとキリスト教風に描かれる救済宗教上の神的存在が作内に登場する場合、物語の展開の方向は決まって「神からの解放」や「神殺し」である。神は押し付けがましい抑圧的な支配者であり、信徒達は心の弱さに付け込まれて騙される可哀想な弱者達や狭量で画一的な風紀委員的堅物あり、指導者たる聖職者達は神の権威を笠に着て信者を貪る搾取的な偽善者や狂信者といったところである。” note.com/sagtmod/n/na3804e9e…
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これ、漫画やアニメの中で時折散見するけど、本当になんとかならないのかな…
自国史であれだけ美しい宗教的遺産を創り上げてきた国民の宗教理解が、いつのまにか軽薄になってしまったこと、そしてその無理解が漫画やアニメで再生産されることが、本当に悲しい
この二つの漫画、まさにこの辺のシーン、ワイの幾原邦彦論でも引用した。“良くも悪くも戦後日本の大衆娯楽の典型であるアニメや漫画やゲームのオタク文化の世界では、ぼんやりとキリスト教風に描かれる救済宗教上の神的存在が作内に登場する場合、物語の展開の方向は決まって「神からの解放」や「神殺し」である。神は押し付けがましい抑圧的な支配者であり、信徒達は心の弱さに付け込まれて騙される可哀想な弱者達や狭量で画一的な風紀委員的堅物あり、指導者たる聖職者達は神の権威を笠に着て信者を貪る搾取的な偽善者や狂信者といったところである。” note.com/sagtmod/n/na3804e9e…
俺自身がそう言ってるよ“ニーチェが言うように、大衆は教養人の曇った鏡像に過ぎないのであって、文学作品ではハイネの『流刑の神々』に典型的に表れる、デタラメな脳内理解に基づくどこまでも自慰的な異教復興嗜好を伴う一神教敵視は、そのハイネの文芸作品をあろうことか学術資料扱いした柳田国男を経て継承される、16世紀末以来の排耶的文化偏向の存続であり、それはまた世界的な近現代化の今なお続く時代精神に良く馴染むものでもあるのだろう。本邦で一度も浸透した事の無いキリスト教を敵視して安全に反骨児を気取り極めて安上がりに自惚れを満たすお馴染みの姿勢は天動説・地動説論争を扱った最近の『チ。』でも繰り返されている ”note.com/sagtmod/n/na3804e9e…
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昭和期の物語群に既にその傾向はあったように思う。神仏への信仰は前近代的で、弱く、不自由という見方。私は学林での経験からそれが偏見に過ぎないと思い知った。だから私は『王立宇宙軍 オネアミスの翼』が信仰という心の働きを肯定的に描いてくれたことが本当に嬉しかったんだ。
この二つの漫画、まさにこの辺のシーン、ワイの幾原邦彦論でも引用した。“良くも悪くも戦後日本の大衆娯楽の典型であるアニメや漫画やゲームのオタク文化の世界では、ぼんやりとキリスト教風に描かれる救済宗教上の神的存在が作内に登場する場合、物語の展開の方向は決まって「神からの解放」や「神殺し」である。神は押し付けがましい抑圧的な支配者であり、信徒達は心の弱さに付け込まれて騙される可哀想な弱者達や狭量で画一的な風紀委員的堅物あり、指導者たる聖職者達は神の権威を笠に着て信者を貪る搾取的な偽善者や狂信者といったところである。” note.com/sagtmod/n/na3804e9e…














