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共著論文が出ました:英語教育改革における「切り札」幻想 - TERASAWA Takunori's blog terasawat.hateblo.jp/entry/2…
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法令文の我流解釈はツイッターの風物詩。しかし,いまやメジャーな法律だったら,素人よりもAIのほうが断然有能だよな・・・。まともな「素人」はどんどんAIに頼るようになるので,Xには「より純度の高い我流解釈」だけが垂れ流されるようになる悪寒。
寺沢 拓敬 retweeted
Replying to @zonozono1
教育基本法は、教育の「目的」を定めた法律であって、帰化の適格性を判定する基準ではありません。しかも同法は「個人の価値の尊重」「他国の尊重」も掲げています。都合のよい一節だけを根拠にするのは無理があります。義務教育の履修歴が不適切な帰化を防ぐという具体的な根拠は何でしょうか。教育の理念と帰化審査の合理性を混同すべきではありません。
寺沢 拓敬 retweeted
Replying to @naomi_tokashiki
「受けなければ反社会的」なんて言ってない。義務教育受けた人が全員社会的で、受けてなければ全員反社会的なんてあり得ず、当然両方に例外はいる。それを前提に書いてる。
「教育歴だけ」とも言ってない。昨今の帰化厳格化の流れでもう一歩厳格化するならって場合の追加提案。「法令遵守や生活実態」の審査ももちろん絶対すべき。
ちなみに根拠は教育基本法。「国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養う」と書かれてるので、例外はいるにせよ、履修歴で境界を作ることは十分合理的。
まあ後は、外国人帰化の門戸の広さと、不適切な帰化者による不利益減少のどっち重視かのバランスの話。その辺は議会にお任せ。
寺沢 拓敬 retweeted
小説『パチンコ』の作者ミン・ジン・リーへのインタビュー。たった2分で「なぜ『ナメるな』『なめられたら終わり』という価値観が生まれるのか」「なぜ高級ブランドで身を固めるのか」「なぜ敬語を使われたか否かに異様に気を使う人達がいるのか」を説明している。今年見た中で1番、見る前と見た後とで意識が変わった。
…………………………
「私の両親は仕事の現場でいつも侮辱されており、幼い頃の私にもはっきりとわかりました。──この世界は私の親をリスペクトしてくれていない、と。小さな子供にとって、自分の親が軽んじられ、蔑まれているのを見るのは本当につらい。
貧しい環境で育った人はわかってくれると思うのですけれど、貧困と呼ばれるコミュニティの中で育つ人間にとって、何よりも切実に求めるのが『リスペクト』なのです。他に持っている何かがないから、通貨のように『リスペクト』を扱う。過剰なまでに尊敬を求める。だからこそギャングの抗争が『なめやがった』というだけの理由で始まったりする。
成長し、恵まれた環境を得た今の私ですら、『リスペクトされていない』と感じる、失礼な扱いを受けると心の中のある部分が烈しく反応し『はい、ライン越え』と思ってしまう。お金を騙し取られることよりも──普通の人なら、お金をとられるほうが大問題だと捉えるのでしょうけれども──ずっと、許せない、と感じるのです。
(ミン・ジン・リーさんが最後にそんな扱いを受けたのはいつなんでしょう、と聞かれて)
「大勢の人が、私が英語を話せないと思い込んでいます。ですからパブリックな場に出かけるときは、いつも服装に気を使っています。生活に余裕がなさそうに見えたり、身だしなみが整っていなかったりすればあからさまに対応を変えられますからね。実際、何度か(服装を変えて)試してみたんです。……ああ、これじゃあ心が擦り減っちゃう、と思いました。
よく人から「どうしてアジアン・アメリカンは高級品をステイタス・アイテムとして身につけたがるのか?」と聞かれます。私はこう答えます。「目に見える高級アイテムを身につけていたら、万国共通商業主義のおかげで、『この人はお金を持ってる。リスペクトしなかったらしっぺ返しがあるかもだぞ』と思ってもらえるでしょ」と。
マテリアリズム(物質主義)なんて、ほとんどの人にとっては苦しくて痛いんですから、こんなの、本当に悲しい状況です。でも私は、お金がない若い人が無理をして高価なスニーカーを買い求める気持ちが痛いほどわかります。そういう若者たちを責めるのは、その人達がマテリアリズムを遵守しなきゃいけない背景、文脈を無視してると思うんです」
………………………
まるで、知っていたことを別の角度から説いてもらったような気持ちになった。なぜいつも過剰に「敬語」が問題になるのか。頭を下げる角度が問題になるのか。以前不動産仲介業の方がぼそっと言っていた、「信じられないほどの金持ちは信じられないぐらいペコペコしてる」という言葉。
・たった2分20秒で、幼い子供にとっての「親が軽んじられている」が与える痛み、ギャングの「なめられたら終わり」ルール、アジア系の全身高級ブランドの理由の一端、余裕がなくても高価な靴を求める文脈へと無理なくすらすら話題が広がっている。会話の中でぐんぐんと世界観が広がっていく。これが作家の話し方か……。
日本の英語教育をどう変えるか:AI時代の英語教育改革――その条件と道筋 - さくら社 sakura-sha.jp/book/gengo/978…
監修:吉田研作
著:吉田研作 岸田 隆博 根本孝女 小野里 健太 田渕和明 酒井英樹
企画:NPO法人 共育の杜
「英語教育実態調査」って何?このNPOの独自アンケート?
国際ジャーナルからの査読依頼を decline した。興味があるテーマだったので,3年前だったら受けてただろうなあ。最近たてつづけにAIコンタミっぽい,しょうもない論文を読まされていたので,専門ど真ん中以外は decline することにした。こうやって,AI革命で,査読はハックされ,信頼は毀損される。
寺沢 拓敬 retweeted
こういうの大事よね。示されてることで指摘もしやすくなるし。質問の仕方とかも含めて、「わかるでしょ」でやってきたことがきちんと示されるようになるのはいいことな気がする。
jss-sociology.org/wp/wp-cont…
性格心理学の「外向性」って,「最近の若者は内向きだ」言説の対概念として扱っていいの?/【教育人間科学部】秋元涼之介さんと荻原祐二准教授が、日本人の外向性は低下していることを明らかに ~言説として存在していた内向き化のエビデンス~ | 青山学院大学 aoyama.ac.jp/faculty115/2026…
寺沢 拓敬 retweeted
「宿泊予約をしてきた登山者がいる」と山小屋から警察に連絡
🤔
技量と装備が不足…北アルプス北穂高岳の南稜付近 兵庫県の53歳女性を救助 1日未明に山小屋に収容/長野 newsdig.tbs.co.jp/articles/s…
寺沢 拓敬 retweeted
夕暮れの河川敷、雨上がりのアスファルト、夏休み最終日の夕焼け、放課後の誰もいない教室、冬の朝の白い息、使われなくなったプール、色褪せた集合写真、取り壊される母校、消えかけた黒板の落書き、名前も思い出せない同級生、もう二度と集まらないメンバー、You are a professional proofreadear
寺沢 拓敬 retweeted
クリエイティブ・コモンズ CC BYライセンスに基づき、翻訳してみました。コメント可能にしていますので、変なところがあれば書き込んでください。
ケイト・ユアン=メアリ・ピーターソン「倫理学者の倫理違反:性的非行に関する引用実践」
docs.google.com/document/d/1…
寺沢 拓敬 retweeted
Yuan, K., & Peterson, M. (2025). Ethicists failing ethics: Citation practice for sexual misconduct. Hypatia.
doi.org/10.1017/hyp.2025.100…
倫理学者が性的非行を疑われている場合、その道徳的権威ゆえ、引用に際してはその疑惑の情報を付加することを提唱。引用による権威の再生産を問題視する。
寺沢 拓敬 retweeted
書籍『なぜ英語なのか? ヒドラと対峙する』
英国文化協会と世界銀行が仕掛ける新植民地主義
ギリシャ神話には、首を一つ切り落とせば二つに増えて再生する怪物ヒドラが登場する。本書が描き出す英語の世界的覇権も、まさにこのヒドラそのものである。
私たちは英語そのものを否定しているのではない。しかし、英語が他の言語を「減法的」に排除し、社会的格差を固定化する構造を見過ごすわけにはいかない。英語の拡大は、単なるコミュニケーション手段の普及ではない。それは資本主義の国境を越えた拡張であり、新植民地主義の継続なのである。
1835年、トマス・マコーリーは「インド教育に関する覚書」でこう記した。「現地の言語は劣っており、英語こそが文明化の鍵である」と。このレトリックは形を変え、現代の英国文化協会や世界銀行のレポートにも脈々と受け継がれている。
「英語は基本スキルである」「グローバル化には英語が不可欠だ」という主張は、一見もっともらしい。しかしその裏には、英国の英語教育産業が年間数十億ポンドの利益を上げ、現地の教育実態を無視した市場開拓を行っているという冷徹な政治経済学が横たわっている。
世界銀行やIMF(国際通貨基金)は、構造調整プログラムを通じて発展途上国に対し、教育予算の削減と英語導入をセットで要求してきた。その結果、現地語での教育への投資は断たれ、子供たちは理解できない言語で授業を受けざるを得なくなっている。
これは「援助」ではない。現地の知的自立を奪い、従属的な労働力を生み出すための「新植民地主義的支配」なのだ。
この支配がもたらす悲劇は、教育現場で起きている。パキスタンの少女ナディアは、医師になることを夢見て学校に通う。しかし、彼女が通う公立学校では、英語もままならない教師が、英語の教科書を使って理科や数学を教えている。子供たちは内容を理解できず、ただ文字を暗記するだけだ。
ナディアが複雑な概念を母語で語ろうとすれば沈黙するか、拙い英語でしか答えられない。彼女は「学習障害」扱いされるかもしれないが、本当は「言語の壁」によって認知発達の機会を奪われているだけなのである。
インドやアフリカ諸国でも同様だ。エリート層の子供たちはバイリンガルに育ち、英語を武器にグローバルな権力を握る。一方、大多数の子供たちは、母語を無視された教育システムの中で脱落していく。
英語は「成功への切符」ではなく、多数派を排除するための「言語的アパルトヘイト(隔離)」装置として機能しているのだ。
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ここで、私たちが無批判に信じ込まされてきた前提を覆す事実を提示しよう。「英語を早期から導入すれば、子供たちの未来は開ける」という神話である。
しかし、世界の教育データは全く逆の現実を示している。母語を基盤とせず、早期から英語で授業を行う「引き算的」な教育は、子供の認知発達を阻害し、結果として英語習得を含む全教科の学力を低下させることが明らかになっているのだ。
パキスタンやインドの英語を教育言語とする私立学校が、公立学校よりも優れた学習成果をもたらしていないという調査結果がこれを裏付けている。子供たちが思考の基盤となる母語を奪われたとき、彼らは深い理解や批判的思考力を獲得できない。
英語は「魔法の杖」ではなく、むしろ子供たちの知的能力を窒息させる「致命的なガジェット」として作用しているのである。
英語を学ぶことが「個人のエンパワーメント」であると信じ込まされているが、実はそれは「新自由主義的市場への従属」を強いられているに過ぎない。
現地の言語や文化を「遅れたもの」として蔑視し、英語を「先進的なもの」として崇拝する構造。これこそが、植民地主義が去った後も残り続ける「ヒドラの首」の正体である。
では、どうすればいいのか。解決策は明確だ。母語を基盤とした多言語教育(MLE)への転換である。
オディシャ州(インド)やモーリシャス、アフリカ諸国の草の根の運動が示しているように、子供たちが自分の母語で学び、その上に段階的に英語を追加していく「足し算的」なアプローチこそが、結果として高い英語能力と、自らの文化に対する自信、そして批判的思考力を育む。
英語を「支配の道具」としてではなく、自らの言語的権利を維持した上で利用する「対等なツール」として取り戻すこと。それこそが、ヒドラと対峙し、その首を一つずつ確実に落としていく唯一の方法なのである。
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書籍『Why English? Confronting the Hydra』 2016年
寺沢 拓敬 retweeted
Netflix「100日の嘘」6話まで観たが作中何度も言及される「桂岩里事件」、モデルがあるんだろうなと思って調べたらGoogleAIがちゃんと教えてくれた。韓国の人には常識レベルなんだろうから、何も教えてこなかった日本の教育は全然「自虐」でもなんでもないよ。
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F…




















