おそらくですが、「不毛」と「過剰」、「無変」と「有変」の違いかと考えます。
といいますのは、砂漠は不毛です。自然の脅威が"なさすぎる(草が生えない)"という形であるのです。そしてそれが変わらない。
しかし北海道は自然の脅威が"ありすぎる(雪降りすぎ、木生えすぎ)"という形で、季節によってはサケや鹿が大量に獲れて備蓄できる。
この違いによって、
人間は神の「奴隷」である一神教
人間と神は「契約関係」である多神教
になったのだと考えられます
現場のリスクを背負わないエリートが、自身のステータスのために「崇高な道徳」を語る。
という動きは歴史上に何度もありました。
イエスの時代は日々の労働に追われる羊飼いや大工には実践できない「教条主義的な神への信仰」であり、
現代ではセレブがセキュリティーの強固な高級住宅街に住み、ボディガードをつけながら、「トランス女性の女子更衣室受け入れ」や「無差別な移民受け入れ」を語ることです。
生活者の剥き出しの現実や、現場にかかる物理的な負担、治安の悪化といった実害から完全に遮断された、恵まれた環境にいるからこそ掲げられる「特権階級の理想論」。
ブッダ、イエス、ムハンマドたちが猛烈な「逆張り」を仕掛けた対象は、実はまさにそこでした。
だとすれば。
今一度問い直すべきは、本来の「リベラル」のあり方ではないでしょうか。
現代におけるリベラルは、生活の実害から守られた安全な場所から、現場の人々の命や安全、治安のリスクを差し出して「崇高な道徳ゲーム」に興じることへと形骸化してしまっています。
まるで免罪符をお金で買えば天国へ行ける時代のようです。
しかし、本来の意味におけるリベラル(進歩・解放)とはそんな薄っぺらな綺麗事ではありません。
始祖たちはその生き様によって、硬直化した過去の特権や不条理から現場の人々を解放しました。
その教えは、その時代の、その土地の現実に最も適した形で、民族を団結させるためのシステムや教えを構築しました。
宗教というと重苦しい伝統のようなイメージを持たれがちですが、実は「リベラルポリコレ現場おじさん達」の軌跡なのです。
この疑問の"違い"こそが、実は答えです。
なぜ日本は一神教がない国なのに平和?
西洋はなぜ一神教があるのに荒れるの?
↑ここに現れているように、そもそも、「人間という存在をどう捉えるか?」が東洋と西洋では反転しています。
すなわち、東洋は「性善説」
西洋は「性悪説」という前提によって成り立っています。
この人間観の違いは、決して偶然生まれたものではなく、それぞれの民族が生き抜いてきた「地理的な環境(風土)」と、そこから紡ぎ出された「宗教の歴史」に根ざした必然の帰結なのです。
旧約聖書や新約聖書、あるいはイスラム教の聖典が生まれた古代中東アジアから地中海世界にかけての地域は、峻厳な砂漠や乾燥地帯が広がる過酷な風土です。
水が極限まで乏しく、放っておけば飢えと渇きが命を脅かす世界において、自然は「恵み」ではなく「牙を剥く脅威」でした。
このような環境下では、限られた資源を巡って激しい奪い合いが日常化します。
実際、出エジプト記やバビロン捕囚が旧約聖書に残っている通り、ユダヤ人は大変な迫害からユダヤ教を確立しました。
「人間は放っておけば自分の生存のために他者を排斥し、悪に染まっていくものである」
という、ユダヤ教のアダムとイブ追放そしてカインとアベルの兄弟間での殺し合いや、キリスト教の「原罪」に代表されるような性悪説的な人間観は、この過酷な風土がもたらした生存の実感でした。
人間が本質的に不完全で、放っておけば社会が瓦解してしまう世界。そこに必要なのは、人間を超越した絶対的な存在による、上からの強固なコントロールでした。
「唯一、永遠に、絶対的に、正義であり、正しいとされる『神の掟』」
正解をたった一つに定め、それに背くものを「悪」「間違い」として厳格に裁く一神教のシステムは、この不条理で過酷な砂漠で迫害された民族が生き抜くために集団の統治力を極限まで高めた、極めて合理的な「サバイバル・システム」だったのです。
西欧世界において一神教があるにもかかわらず激しい対立や荒波が絶えないのは、元来そこが「絶対的な正解で縛り付けなければ、たちまち崩壊してしまうほどに過酷な世界」であるからに他なりません。
一方で、私たち日本が位置する東洋の風土は、それとは全く対照的です。
「一神教があるから平和になる」
これは実は因果が逆です。
「共同体外の人間を信じないことが生存戦略となる世界(砂漠・迫害)」だから、一神教が必要とされ、広がり、宗教が同じことを相手を信じる根拠にした。
逆に日本は、
「共同体の垣根を越えて助け合うことが生存戦略となる世界(農耕・島国)」だから、それぞれの価値観を内包する多神教と、"唯一絶対"を拒否する仏教によって和を生み出した。
このように歴史と地理、そして宗教の成り立ちを紐解いていくと、二つの世界はどちらが優れていて、どちらが劣っているかという二元論では決して語れないことが分かります。
絶対的な幻想を強力な武器にして、乾きを乗り越え国を作った西洋。
絶対的な幻想を手放すことで、協力して治水して国になった日本。
そのどちらもが、与えられた環境の中で人間が懸命に命を繋ぐために紡ぎ出した、等しく尊い「生きるための知恵」なのです。
今はまさにこのような時代の境目ですので、万が一にも(というほど低い確率ではなさそうですが)口座やカードの情報を抜かれ全財産を失ったとしても、「どうにか生きていける」。
例えば、現物資産、知識、健康、助け合える人間関係、コミュニティ、本、日常の記録。
そのようなものに、今持っているお金を変換させることが、直近での最適の"資産運用"だと考えております。
・ブラウザの中身を抜く現在主流のウイルス「Lumma Stealer」の闇市場レンタル価格:月額250ドル(約3.9万円)〜
・犯罪者がいま一番使っている感染ルート1:Google検索の一番上に出る「公式そっくりのスポンサー広告」
・感染ルート2:普通のサイトで突然出る『私はロボットではありません』の偽画面(ClickFix)
・最大の盲点:怪しい裏サイトを一切見なくても、仕事用の有名ソフトを検索して入れた瞬間に抜かれる
前回の「ブラウザの丸ごとコピー」について、「そもそも怪しいサイトを見なければウイルスなんて感染しないでしょ?」と思うかもしれませんが、今のサイバー犯罪者はそんな待ち方はしていません。
現在、闇市場で月額数万円のサブスクとして貸し出されている「Lumma Stealer」などの主流ウイルスは、誰もが毎日使う「普通の入り口」に罠を張っています。
いま普通の人が引っかかるケースで特に多いのが、PCを買い替えた時や仕事で「Slack」「Zoom」「OBS」といった有名ソフトをGoogle検索した時です。
検索結果の一番上に出てくるスポンサー(広告)の枠を犯罪者が買い取り、URLも見た目も本物そっくりの偽サイトへ誘導して、ウイルス入りのソフトをダウンロードさせます。
それともう一つ急増しているのが、Webサイトを開いた時に出る「私はロボットではありません」という確認画面の偽物です。
チェックを入れると「人間であることを証明するため(または認証エラーを直すため)、キーボードのWin+Rを押して、コピーされた文字を貼り付けてEnterを押してください」と案内が出ます。実はこれ、チェックを入れた瞬間に「ウイルスを呼び込むコマンド」が勝手にコピーされており、言われるがままキーを押すと、自分自身の手でウイルスを起動してしまう仕組みです。
今のウイルスは、起動してからわずか数秒でブラウザのログイン情報と端末の指紋を抜き取り、自分自身のファイルや痕跡を消して証拠隠滅まで終わらせます。
対策として、ソフトを入れる時は検索結果の一番上の「広告枠」を絶対に踏まないこと。そしてWebサイト上でどんな理由があっても「キーボードのショートカット操作(Win+Rなど)」を指示されたら即座にページを閉じること。今の時代、一番危ない地雷は裏サイトではなく表の検索画面に埋まっています。
代わりに答えさせていただきますが、
歴史的な「成り立ち」というリアルな視点に立てば、輪廻転生はもともと仏教のオリジナルではなく、古代インドの土着の宗教・社会観でした。
説法での後付けはいくらでもできますが、フラットに答えるとするなら
Replying to @ichiki_817
諸法無我で徹底的に実体化を否定する仏教が「輪廻転生」だけは頑なに肯定し続けるのは何故?我空法有の説一切有部ならダルマの作用で何とか説明可能だけど、色即是空の大乗仏教(特に中観派)では合理的な説明は困難では?
私自身も自営業をする中で、お金目当ての人々が仕掛け、情弱が仕掛けられて巻き上げられる消費社会に辟易したので、世の中の真実を片っ端からバラしていきます。
仏様の教え、宗教学、裏側まで、好きなように語ってまいります。
本当に好きに語りますので、都合の悪い誰かさんにアカウントごと消される可能性がございます。
フォローして、決してお見逃しなく。
諸行無常
→全ては移り変わり、永遠に固定されたものは何一つない
諸法無我
→ すべては繋がりの中で成り立ち、単体で『絶対的に独立して存在する個』などない
中道
→ 極端な二択(右か左か、善か悪か)のどちらにも偏らず、執着を手放した柔軟な視点に立つこと
これが仏教です。
そのため一神教と日本の宗教は、陰と陽のように、得意分野が反転していると、(あくまで私は)解釈しています。
一神教は「正解を一つにすることで支配力を高めた統治システム」
日本の宗教は「境界を無くすことで自然や他者と溶け合う循環システム」








