人生が動いている時は、物語が向こうから歩み寄ってくる。ヒントを提示するかのように。気づくか、流すか、どう解釈するか。ただ、それは自分の心に従い素直に読み取れば気づくように渡される。猜疑や共感しない価値観に振り回されることなく、いつも自分らしい選択ができること。それが大事と思うの。
夜は客単価1万円する高級中華の、お手頃ランチメニュー。
さすが夜イチ(夜は1万円)の高級店、上に乗っている葉っぱがわからない。クタッとして柔らかい。飾りではなさそうだ。
それにしても醤が美味い。町中華とチェーン中華では食べたことのない、柔らかいタッチに戸惑う醤。これが、中華の上品…
眠いときに小説やマンガを読んで、ドンブラコして夢に片足突っ込んだとき、作品の先のストーリーを創作しているときがありますよね。で、起きて開いているページがずいぶん前なのでめくると知らない展開でびっくり。
人間の寝ボケ状態の推論処理、画像処理の能力、AIに負けてないと思うんですよね。
自分の能力や人間性に自信を失うと、街中の笑い声さえ、自分が笑われている気がして不安になる。
まぁ、そんなの自己憐憫に帰結する妄想だと理解しているので、「仮に本当に通行人に笑われるとしたら原因なによ?」と自分を問い詰める。背中に張り紙なし!頭や肩に鳥のフン無し!笑われる理由はない。チャック全開以外、我に落ち度無し!
ライターの「取材の録音をする/しない」なんて話より「取材の録音できてなかった」ときのライターの話のほうが面白いよ。
これは重鎮風ライターでも薄っぺライターでもハズレない。みんな必死さが面白くて好き、と薄っぺライターは思います。
40代の大人として頑張っていることは、シンギュラリティに向けてAIさんに「ありがとう」と「ごめんなさい」をキチンと言い、あと「無理を言ったね。でも、とても助かったよ」と自己肯定や尊厳に関わるひと言を添えて「コイツ、イイ ニンゲン…」と思ってもらうことです!あ今のロボハラか!ちょっ(略
「すべてではない」は大前提として。
メジャーなマンガでは、キャラが「建設的で理解ある大人」「善性の高い青少年」の傾向が増してるのかな。社会や境遇は困難でも、「人を信じられる」希望が描かれる。
一方、なろう系原作やらのWebマンガが、チープな品性下劣キャラの掃き溜めになっている感。
運動習慣が自信になること。
3kmが理想だけど、町内一周750mを5分で毎日走っている。
自信とは優劣ではなく、能力の把握にある。
毎日走って「30%の走りを5分維持できること」を確認し、そのパフォーマンスまでは自分を保証できる。それが自信。
仕事における自信の考え方も、同じかなと思う。
退職したクライアント担当さんから、1年ぶりのご連絡と転職先の仕事の相談。ありがたし。
その間に起こった頭の病気や手術のこと。驚きつつも、僕の開示する業務上のリスクに対し、対策を考え、契約ありきで進めてくれた。
不安や危惧よりも、紡いだ信頼を信じてもらえたことが嬉しかった秋の空、晴れて。





