
読み、書き、表現。内向哲学(@naikoutetsugaku)などメディア運営を手掛けたり、裏方でコンテンツ事業のマーケティング戦略を立案したり、noteでエッセイ書いたりしてます。
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小林のnote 【内向哲学運営記】では、
そんな媒体をつくった「リアルな裏側」を書いてます。note.com/yumaknote/m/mb38792…
モラハラのような振る舞いをしてきたかと思えば、急に優しくなり、時に音信不通になる。愛着不安が強い男を「回避型」と呼んだりする。この言葉はSNSでも広まっているが、実際に中身を説明できる人はほとんどいない。回避型とは何者なのか。彼らは、母親の愛に飢えている男である。note.com/yumaknote/n/nb87b1c…
僕がこれまで観測してきた範囲で言えば、色々と「低い」男ほど性格が面倒くさくて、こじらせてる。強男の「承認欲求」は健全な欲求に見える一方で、弱男の「承認欲求」は、なんかちょっとキモいのである。note.com/yumaknote/n/n9f9d0d…
弱者男性の「承認欲求」は、余裕がなく、攻撃的で、言ってしまえばキモいのが特徴だ。
「承認欲求」というのは社会学やら心理学やらの学問的な用語なのだろうけど(たぶん)、いまやポピュラーな日常語である。
たとえば「女は承認欲求の生き物だ」というのは、もはや定説になったような感がある。インスタを開けば、今日も誰かがブランドバッグやらプールサイドでシャンパンやらビジネスクラスのシートに座る自分やらを見せびらかしている。
一定の影響力があるインフルエンサーや、たまたまバズってしまった素人キラキラ女子の投稿には、「マウント乙」「はいはい承認欲求女さん」「量産型顔面」「お前大して可愛くないよ」というような、クソリプを通り越して誹謗中傷コメントが並ぶ。
「女は承認欲求の生き物だ」という言葉は、たいていそんなテンプレ的光景とセットで語られる。
たしかに、女性は女性で承認欲求があるのだろうが、男のそれは、女子のものとは質が違うと思っている。
女の承認欲求が「共有したい」「共感されたい」という横の広がりなら、男の承認は徹底して縦だ。どちらが上で、どちらが下か。ほとんどがこの一点に回収されてしまう。
男性ホルモンであるテストステロン値の高い男は、集団のなかで序列が上がるほど非妥協的になると言われている。
いわばチンパンジーの群れでいう「アルファ・オス」、あるいはゴリラの群れでいう「シルバーバック」だ。
これは直観的に理解できることだと思う。
いつの時代も上司は偉そうだし、部活の先輩は高圧的だ。「モラハラ」などの言葉あるいは枠組みが出てくるのは、そういう風にして概念化して規制しないことには「アルファ・オス」の暴走が止まらなくなってしまうから。
さて、序列が上がるほど非妥協的になるというのは「俺は偉いんだからオマエら従え」という承認欲求の表現のように思われるが、では「弱男」の方はどうなのだろうか。
僕がこれまで観測してきた範囲で言えば、色々と「低い」男ほど性格が面倒くさい。色々とこじれてる。
例えば身長、学歴、肩書き、年収、おつむのレベル。何かしらの物差しで自分を下だと感じている男は、ハリネズミのようにびくびくと臆病であり、そして攻撃的だ。
強者男性の承認欲求の表現は「逆らったら殺すぞ」という高圧性とともに、強者たる余裕があるものだ。「札束で殴る」みたいなニュアンスかもしれない。チンパンジーもゴリラも上位オスは力を誇示するが、メスや子どもにキャンキャン噛みついたりしない。(そのかわり、ライバルオスと地位を争う場合や、手下オスに偉そうな振る舞いをされた場合は、文字通り「集団リンチ」で殺害してしまう。)
一方で弱男の承認欲求の表現には「余裕のなさ」が常につきまとう。
これ以上書くと怒られそうなので続きはnoteで↓
非モテ男子は、女性に対して「極端に前のめり」か、「極端に回避拒絶的」になりやすい。いずれにせよ「不自然」なのである。リラックスしている男がいちばんモテる。note.com/yumaknote/n/n1a1521…
モテる男とモテない男の差は、顔でも年収でも会話術でもなく「女性に飢えているかどうか」の1点にありそうだ。
女性は目の前に座っている男を一瞥し、「この男が女に飢えているか否か」を本能的に見抜くらしい。
本人がどれだけ虚勢を張ったりしても、言葉の選び方や、視線の向け方や、返信の速さや、会話の中でヘンにガツガツしている感じ(あるいは不自然なまでに臆病な感じ)に、「性への欠乏」がにじみ出てしまうものだ。
「飢えている」と言うと言葉が強いかもしれないけど、それって要は恋愛/性が人生の中心に据えられていて、それに振り回されている状態のことである。
彼女がいないと休日を持て余してしまう。好きな人からの返信が来ないと1日が沈む。女性と話せる機会があると、地道に関係を深めるよりも「この機会を逃したくない」「早くヤることヤりたい」という前のめりな気持ちが先行してしまう。余裕がない。
あるいは非モテ男性って、臆病になりすぎて「回避的」になってしまう、ということもある。日本人男性はどちらかと言えばこのタイプが多い。
たとえば「俺は女なんて全然興味ないもんね」という風に振る舞う。
斜にかまえて自分からコミュニケートしようとしない。キャバクラとか合コンでスカしてる感じの男ってだいたいこうだ。
本当は近づきたくて近づきたくて仕方ないし、願わくばワンチャンありつきたいムッツリスケベである。
まぁ、そんな虚勢・下心は100人中100人の女性から見抜かれているし、お愛想で女性から話しかけてくれることもあるのだろうが、普通に「何で来たん?帰れよ」と思われてるし、真っ先に恋愛対象外判定されている。
上記のような男は、どんなに優しくても、どんなに清潔感があっても、どんなにお金があっても、たいていモテない。
そりゃ、経済力や肩書きに女性が寄ってくることはあるけれど、それはその「男性本体」が魅力的だということではない。その男性が何かの不運でお金や肩書きを失えば、女性も離れていってしまうだろう。いわば「ATMとしてモテている」ということである。
では逆に、「本体的にモテる男性」とはどういう男性だろう↓
「友達は多いのに孤独」という状況ほど寂しいものはない。
そして「寂しい」という感情ほど、誰もが知っているのに誰も説明できないものは少ない気がする。
空腹なら食べれば治るし、眠気なら寝れば治る。
ところが寂しさだけは、治し方がはっきりしない。
人に会えば治ると思って飲み会に行き、帰りの電車で前より寂しくなった経験は、たぶん多くの人にあるはずだ。
内向哲学のほうで届く相談のなかでも、寂しさに関するものはかなり多い。
しかも相談してくる人の大半は「友達がいない人」ではなく、家族がいて、仕事があって、連絡を取り合う相手もいるのに寂しい、という人たちだ。そして「こんなことで寂しがるのは贅沢だ」と思って誰にも言えずにいたりする。
寂しさについて書かれたものを読んでいると、言い方は違っても、だいたい同じところに行き着く。
「寂しさとは、誰にも求められていないと感じたときの感覚だ」「人の輪の中にいても、そこにいる人たちとのつながりを感じられなければ寂しい」。
つまり寂しさは知り合いの頭数ではなく、関係の中身/濃さで決まる。寂しさを一度でも真面目に見つめた人なら、誰でも気づくことだと思う。
だから「人といるのに寂しい」は矛盾でも贅沢でもない。むしろ寂しさがもっとも鋭くなるのは人の中にいるときだ↓
内向型は人との深い関係を築くことができるが、回避型は深い人間関係に困難を感じる。
内向型というのは刺激の量に関する気質で、回避型というのは「人に頼ること」に対する自己防衛だ。
内向型の人は一人の時間で回復したあと、ちゃんと人のところに戻っていける。そして幾分コミュニケーションがニガテであっても、大切な人と親密な関係を築くことができる。
回避型の人は一人の時間で回復しているというより、大切な人との関係性を「拒絶」していると表現する方が近い。
「内向型」と「回避型」は似ているように見えて、その実質は大きく違うのである。
こじらせている男性の正体は「母親の愛に飢えてる男」である。
「男は全員マザコン」ではなく、「こじらせ男は全員マザコン」なのだ。
彼はあなたを好きなはずなのに、近づくと離れていく。LINEの返事が遅くなり、「重い」と言い、ふとした瞬間に別人のように冷たくなる。
そういう男を世間は「回避型」と呼ぶ。この言葉はSNSでもラベルとして広まりすぎているが、実際に中身を説明できる人はほとんどいない。回避型とは、要するに何者なのか。結論から言えば、母親の愛を今も待ち続けている男である。
回避型という分類は、もともと赤ちゃんの研究から生まれた。生後1年ほどの赤ちゃんを母親から数分間だけ離して、再会したときの反応を観察する実験がある。
安心型の赤ちゃんは母親が戻ってくると泣きながら抱きつき、しばらくするとケロッと落ち着いて遊びに戻る。ところが回避型の赤ちゃんは、母親が戻ってきても顔を上げない。おもちゃで遊び続ける。まるで何事もなかったような、平気な顔をしている。
ここからが本題だ。
研究では、この平気な顔の裏側で、回避型の赤ちゃんの心拍数が安心型の赤ちゃんと同じくらい上がっていたことがわかっている。つまり怖くないのではない。怖いのに、怖がっても無駄だと生後1年ですでに学んでいるのである。
なぜそんなことを学ぶのだろう。研究では、回避型の赤ちゃんの母親には、子どもが抱っこを求めてきたときに嫌がったり、体の接触を避けたり、泣いても放っておいたりする傾向があったと報告されている。
泣いても来ない。
甘えると面倒くさそうな顔をされる。
手を伸ばしても抱き上げてもらえない。
それが何百回と繰り返されたとき、赤ちゃんはいよいよ泣くことをやめる。求めることをやめる。
「どうせ来ない」という予測のもとで、甘えたい気持ちそのものをしまい込んでしまう。
これが回避型の原型であり、そして人は、この仕組みを抱えたまま大人になり恋愛をする。
「マザコン男子」はこうしてできあがる↓
義実家で妻が傷つく理由は、夫が妻を「尊厳ある女性」として扱ってくれないからだ。
「義母の言うことを私より優先する」ということだが、もう少し正確に言えば、義母と自分の意見が食い違ったときに、有無を言わさず「ママサイド」につくなどは、女性にとって吐き気以外の何ものでもない。
結婚ではリスペクトが何より大事、という基本中の基本を忘れてはいけないのだと思う。
文章発信は最高のライフワークである。
スマホが1台あればよく、年齢も体力も関係がない。80歳になっても続けられる趣味というのは実はそう多くない。文章は数少ない「生涯趣味」だ。
しかもやる気があるなら、noteなどで収益を得る道もある。
僕自身も文章好きが高じてnoteで飯を食っている。
だけど最初からそこを目指す必要はなくて、まずは「一生付き合える相棒としての文章力を手に入れる」くらいの気持ちでいい。
「文章を書くのが苦手だ」という人は多い。
学生時代の作文で懲りたとか、何を書けばいいのかわからないとか、理由は人それぞれあるのだと思う。でも苦手だと言う人のほとんどは、単に書いてる量が足りていないだけだと思う。
文章のスキルは才能も少しはあるのかもしれないけど、「人に読ませる文章を書く」という程度であれば、誰でも到達可能だ。
続き↓
