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「中学3年生に、コンドームの使い方まで教える」
京都市立大原野中学校で行われた性教育の授業。教えていたのは、保健体育ではなく数学の教師、三觜なつ美先生だった。
「セックスってみんな…何か知ってる?」
授業では性行為や妊娠について説明するだけでなく、自身の出産映像を生徒に見せ、コンドームメーカーの担当者を招いて正しい使い方まで実践的に教えた。
実は、授業で行ったアンケートでは、約70人のうち25人が「恋人同士なら性行為をしてもよい」と考えていた。
一方、授業後には、コンドームが何に使われるのかさえよく知らなかったと話す生徒もいた。
日本の中学校の学習指導要領には、妊娠の過程を扱わないとする、いわゆる「はどめ規定」がある。ただし、必要な理解や協力を得たうえで、さらに踏み込んだ内容を教えることまで禁止されているわけではない。
4人の子どもを育てる母親でもある三觜先生。
先生が心配していたのは、大人が性の話を避け続けた結果、子どもたちがSNSなどの不確かな情報に頼り、性被害や性加害につながってしまうことだった。
授業を見学した保護者からは、スマートフォンでさまざまな情報に触れる時代だからこそ、学校で正しい知識を学べてよかったという声も上がった。
子どもに性について教えることと、まだ早いからと教えないこと。
中学生を守るために、学校はどこまで教えるべきだと思いますか?
【地震による被害 愛知県豊橋市】
震度4を観測した愛知県豊橋市で、建物への被害が確認されています。
市内の自動車販売店では、ショーウィンドウのガラスが大きく割れ、窓枠だけが残るような状態に。
砕けたガラスは店内だけでなく、店舗前の道路にも散乱しています。
付近を通行する方は、足元や落下物に十分注意してください。
深夜1時4分ごろ、東海地方で強い揺れ。愛知県西部で最大震度5強を観測しました。
長野県南部、岐阜県美濃東部、静岡県西部、愛知県東部では震度5弱。岐阜県美濃中西部、静岡県中部、三重県北部でも震度4を観測しています。
8日午前1時4分には、愛知・静岡・岐阜の一部地域を対象に緊急地震速報が発表されました。
揺れを感じた地域では、まず身の安全を確保してください。最新の情報は、気象庁や自治体の発表をご確認ください。
71歳の祖母が、知的障害のある孫を県外の施設に預ける決断をした。
本当は、できることなら近くで暮らしたかった。
しかし、地元には受け入れてくれる施設が見つからない。
しかも、彼女にはもう一つ、深刻な悩みがあった。
同じ家で暮らす実の息子が、ひきこもりがちになっていたのだ。
日本には、80代の親が、ひきこもり状態にある50代の子どもの生活を支え続ける「8050問題」と呼ばれる深刻な社会問題がある。
親は年を取り、やがて自分自身にも介護が必要になる。それでも、成人した子どもの生活を支え続けなければならない家庭がある。
この71歳の女性も、そんな問題に直面していた。
「テレビの力を借りてでも、なんとかしたい」
そう訴えたのは、滋賀県東近江市に暮らす神馬好枝さん。当時71歳。
好枝さんは、重い知的障害のある孫を長年支えてきた。
食事や身の回りの世話など、日々の生活には多くの支援が必要だった。
けれど、自分自身も年を重ね、これまでのように介助を続けることが難しくなっていった。
そこで、孫が安心して暮らせる施設を探し始めた。
しかし、滋賀県内では受け入れ先が見つからず、最終的に石川県の施設を頼ることになった。
住み慣れた地域から離れた場所に、孫を送り出さなければならなかった。
そして、好枝さんの心配はそれだけではなかった。
自宅には、社会との関わりが少なくなっていた実の息子がいた。
孫の将来を考えながら、同時に息子のこれからも心配しなければならない。
一人の高齢女性が、家族の複数の問題に向き合っていた。
自分が元気なうちは、何とか支えられるかもしれない。
けれど、病気になったらどうするのか。介護が必要になったら誰が支えるのか。そして、自分が亡くなった後、息子はどうやって暮らしていくのか。
ひきこもりに至る事情は人によって異なり、本人の努力不足だけで説明できるものではない。
仕事、人間関係、心身の不調など、さまざまな背景がある。
社会との関わりを持てずに苦しむ本人がいる一方で、支え続ける家族もまた、誰にも相談できないまま孤立してしまうことがある。
ABCテレビは、そんな神馬さん一家の姿を取材した。
取材から見えてきたのは、家族を支える責任が、一人の高齢者に集中してしまう現実だった。
孫のために施設を探しても見つからない。息子の将来も心配で、自分がいつまで支えられるのか分からない。
「家族なのだから、家族で何とかするべきだ」
そう考える人もいるかもしれない。
けれど、親が高齢になっても、すべてを家庭の中だけで解決しなければならないのだろうか。
家族の愛情だけでは、どうにもならないこともある。
高齢の親が限界を迎える前に、そして支えを必要とする人たちが孤立してしまう前に、社会ができることはないのだろうか。
家族の問題は、どこまで家族が背負い、どこから社会全体で支えるべきなのでしょうか。
51歳の男性が、
自宅で低体温症により亡くなっていた。
真冬の屋外ではない。
東京のマンションの一室だった。
室内には物があふれ、
暖房設備もなかった。
亡くなってから約1週間、
誰にも気づかれなかったという。
正月に会った家族は、
異変に気づいていなかった。
「もっと早く気づいていれば…」
弟を失った兄が始めた、
ある取り組みとは。
誰にも気づかれないまま命を落とす、
孤独死とセルフネグレクトの現実。
👇続きを読む🙇
teapawt.net/dataanalyst1309/status…
東京のマンションで一人暮らしをしていた51歳の男性が、自宅で低体温症により亡くなっていた。
真冬の屋外ではない。自分の部屋の中だった。
室内には暖房器具もエアコンもなく、物があふれ、ベッドで眠っていた形跡もなかった。
しかも、亡くなってから約1週間、誰にも気づかれなかったという。
正月に会った家族は、まさかそんな生活を送っているとは思っていなかった。
東京都内で暮らしていた紺野由夫さん。当時51歳。
自宅でソフトウェアの開発や保守の仕事をしていた。
ある年の2月、兄の紺野功さんのもとに、警察から突然連絡が入った。
弟が自宅で亡くなっているという知らせだった。
死因は「低体温症」。
功さんは驚いた。寒い冬とはいえ、東京のマンションの室内で、なぜ低体温症で亡くなってしまったのか。
後日、遺品の整理のために弟の部屋を訪れると、そこには想像していなかった光景が広がっていた。
仕事や趣味に関する雑誌、パソコン機器などが大量に積み重なっていた。
浴槽には水をためた形跡がなく、入浴していた様子もうかがえなかったという。
由夫さんは、必ずしも経済的に困窮していたわけではなかった。
かつてはシステムエンジニアとして働き、収入を得ていた。
しかし、次第に仕事が減り、人とのつながりも少なくなっていたと兄は振り返っている。
生活の乱れや社会的な孤立が重なり、自分自身の健康や暮らしを十分に守れなくなる「セルフネグレクト」の状態に陥っていたとみられている。
そして、誰にも異変を知られないまま、命を落とした。
功さんの心に残ったのは、もっと早く弟の異変に気づけていたら、という思いだった。
その経験から、功さんはある仕組みを考えた。
LINEを使った安否確認サービスだ。
利用者には定期的に通知が届き、元気であれば「OK」を押すだけ。
反応がない場合には再度確認し、それでも連絡が取れなければ、本人や登録された緊急連絡先へ電話する仕組みになっている。
誰かが突然倒れても、何日も気づかれないままになる状況を少しでも減らしたい。
弟を亡くした経験が、この活動の出発点になった。
孤独死は、高齢者だけの問題ではない。
仕事をしていても、収入があっても、家族がいても、日々の暮らしの中で人とのつながりが薄れていくことがある。
正月には家族と会っていた51歳の男性。
その翌月、彼は自宅で亡くなっていた。
一人暮らしの人が突然倒れたり、助けを求められなくなったりしたとき、私たちはどうすれば、その異変に早く気づけるのでしょうか。
東京のマンションで一人暮らしをしていた51歳の男性が、自宅で低体温症により亡くなっていた。
真冬の屋外ではない。自分の部屋の中だった。
室内には暖房器具もエアコンもなく、物があふれ、ベッドで眠っていた形跡もなかった。
しかも、亡くなってから約1週間、誰にも気づかれなかったという。
正月に会った家族は、まさかそんな生活を送っているとは思っていなかった。
東京都内で暮らしていた紺野由夫さん。当時51歳。
自宅でソフトウェアの開発や保守の仕事をしていた。
ある年の2月、兄の紺野功さんのもとに、警察から突然連絡が入った。
弟が自宅で亡くなっているという知らせだった。
死因は「低体温症」。
功さんは驚いた。寒い冬とはいえ、東京のマンションの室内で、なぜ低体温症で亡くなってしまったのか。
後日、遺品の整理のために弟の部屋を訪れると、そこには想像していなかった光景が広がっていた。
仕事や趣味に関する雑誌、パソコン機器などが大量に積み重なっていた。
浴槽には水をためた形跡がなく、入浴していた様子もうかがえなかったという。
由夫さんは、必ずしも経済的に困窮していたわけではなかった。
かつてはシステムエンジニアとして働き、収入を得ていた。
しかし、次第に仕事が減り、人とのつながりも少なくなっていたと兄は振り返っている。
生活の乱れや社会的な孤立が重なり、自分自身の健康や暮らしを十分に守れなくなる「セルフネグレクト」の状態に陥っていたとみられている。
そして、誰にも異変を知られないまま、命を落とした。
功さんの心に残ったのは、もっと早く弟の異変に気づけていたら、という思いだった。
その経験から、功さんはある仕組みを考えた。
LINEを使った安否確認サービスだ。
利用者には定期的に通知が届き、元気であれば「OK」を押すだけ。
反応がない場合には再度確認し、それでも連絡が取れなければ、本人や登録された緊急連絡先へ電話する仕組みになっている。
誰かが突然倒れても、何日も気づかれないままになる状況を少しでも減らしたい。
弟を亡くした経験が、この活動の出発点になった。
孤独死は、高齢者だけの問題ではない。
仕事をしていても、収入があっても、家族がいても、日々の暮らしの中で人とのつながりが薄れていくことがある。
正月には家族と会っていた51歳の男性。
その翌月、彼は自宅で亡くなっていた。
一人暮らしの人が突然倒れたり、助けを求められなくなったりしたとき、私たちはどうすれば、その異変に早く気づけるのでしょうか。
7年間、水をあげて大切にしていた植物が、造花だった。
俳優の桐谷健太さんが、日本テレビ系「DayDay.」で明かしたエピソードだ。
引っ越しをしたときに買ったのは、小さなガラスの器に入った多肉植物。片手に乗るほどの大きさで、時々水をあげながら育てていたという。
何年たっても枯れない姿を見て、丈夫な植物だと感心していた。
気づいたきっかけは、近くで見たときに見つけた「つなぎ目」。本物だと思って世話をしてきた植物は、精巧に作られた造花だった。
話には、まだ続きがある。
桐谷さんが番組で写真を紹介すると、知り合いのパパから、自分の植物も造花だったと聞かされた。その人は、なんと10年間も水をあげていたという。
植物は育たなくても、気にかけて水をあげた時間まで消えるわけではない。驚きと一緒に、二人のまじめな世話ぶりが伝わってくる話だった。
皆さんにも、長年そうだと思い込んでいて、あとから思わず笑ってしまった経験はありますか?
がんの再発で「余命2〜3カ月」と告げられたその日、路上で現金2200万円を拾った43歳の男。
「神様からもらったものだと思った」
末永拓也被告は、法廷で当時の心境をこう語った。
仙台市の病院からの帰り道、青葉区の路上で袋を見つけた。近くの公園のトイレで開けると、中には多額の現金が入っていたという。
それは、現金を輸送していた警備会社が落としたものだった。
末永被告は届け出ず、約1800万円を使った。治療費や食費のほか、ベトナムと伊勢への旅行にもあてたと説明している。
ベトナムには交際相手の実家があり、二人であいさつに訪れた。以前から行きたかった伊勢には、友人と出かけたという。
逮捕されたときには、当初告げられた余命の期間をすでに過ぎていた。
検察側は「身勝手極まりない犯行」として拘禁刑1年を求刑。弁護側は、執行猶予付きの判決を求めた。
2200万円は警備会社の保険で補填され、被告は保険会社に月3万円ずつ返済することになった。ただ、完済までには50年以上かかる見込みだった。
仙台地裁は、拘禁刑6カ月の実刑判決を言い渡した。
裁判官は、長期の返済計画を現実に履行できるか疑問があると指摘。余命宣告を受けて自暴自棄になっていたとしても、事情を酌む程度には限度があるとした。犯罪歴がないことなどを考慮しても、実刑は避けられないと判断した。
判決を聞き、末永被告は何度もうなずいたという。余命宣告から、すでに8カ月がたっていた。
命の期限を告げられた人の絶望を、他人のお金に手をつけた責任とともに、司法はどこまで酌むべきなのでしょうか。
流出したのは、最大およそ30万件の顧客情報。一部には、銀行口座や勤務先、法定代理人、子育て応援プログラムに関する情報も含まれていた。
不正アクセスを受けたNTTドコモが明らかにした。すでに解約した人の情報も、流出の対象になっていたという。
11月6日午後7時、ドコモは緊急会見を開いて謝罪。今後、見舞金を支払う方向で検討していると説明した。報道では、金額や支払い時期は示されていない。
会見では、別の問題にも言及した。
契約者の同意を得ずに、およそ34万人分の電話番号などをアマゾンジャパンに漏えいさせたとして、総務省から行政指導を受けたという。
こちらは、不正アクセスによる流出とは別の事案だ。二つの数字を足して、そのまま被害を受けた人数とすることはできない。
前田義晃社長は、顧客情報の取り扱いが重要であるという認識を、会社全体で改めて徹底する考えを示した。
携帯電話の契約で企業に預ける情報は、連絡先だけにとどまらない。支払いに使う口座や、申し込んだサービスに伴う情報もある。今回の説明からは、流出が生活のさまざまな部分に関わっていたことが分かる。
特に、過去の契約者にとっては、もう使っていないサービスで自分の情報が流出したことになる。解約後に何が残り、何のために保管され、いつ削除されるのか。普段は意識しにくい情報の行方が、突然、自分に関わる問題になった。
謝罪や見舞金とともに、利用者が確かめたいのは、自分のどの情報が対象になったのか、そして今後どう扱われるのかという点だ。
契約が終わったあとも残る個人情報について、企業にはどこまで分かりやすい説明が求められるのでしょうか。
毎日、欠かさず仕事に通っていた。
しかし、自宅には
約3トンものゴミが積み上がっていた。
高さは1メートル以上。
冷蔵庫もまともに開けられず、
ゴミの上で眠る日々。
それでも、仕事には通い続けた。
週7日働くこともあった、
東京都内の30代男性。
自分自身の生活を維持できなくなる
「セルフネグレクト」。
なぜ、働き続けていた男性が
ここまで追い詰められたのか。
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毎日欠かさず仕事に通う30代の男性。しかし、自宅には約3トンものゴミが積み上がり、その上で眠ることが日常になっていた。
ゴミの高さは1メートル以上。冷蔵庫の扉もまともに開けられず、エアコンのリモコンさえ埋もれていた。
それでも男性は、仕事に通い続けていた。
なぜ、働いて生活費を稼いでいる人が、ここまで自分の暮らしを維持できなくなってしまったのか。
東京都内で一人暮らしをしていた30代の男性。
工場や倉庫で派遣の仕事をしており、週7日働くこともあったという。
暑い職場で長時間働き、帰り道にコンビニで食事や飲み物を買う。
自宅に戻る頃には疲れ切っていて、部屋を片付ける気力が残っていなかった。
食べ終わった容器やペットボトルが少しずつ増えていく。
片付けなければと思っても、また翌日には仕事がある。
そんな生活を繰り返すうちに、部屋はゴミで埋め尽くされていった。
やがて男性は、押しつぶしたゴミの上で眠るようになった。
外では働き続けながら、自宅では生活するための環境さえ保てなくなっていた。
男性は、お金を稼ぐことを優先し、帰宅後は何もする気力が残らなかったと話している。
そして、ついに専門の清掃業者に助けを求めた。
作業員5人が約5時間かけて、大量のゴミを運び出した。
TBS「報道特集」が取材したこの男性の生活は、「セルフネグレクト」という問題を考えさせるものだった。
セルフネグレクトとは、食事や入浴、掃除、健康管理など、自分自身が生活していくために必要なことを十分に行えなくなる状態を指す。
単に掃除が嫌いだから、だらしないからという理由だけで説明できるものではない。
仕事による疲労や心身の不調、孤立など、さまざまな事情が重なって起こることがある。
この男性も、外から見れば毎日働いている一人の社会人だった。
けれど、仕事を終えて家に帰れば、自分の生活を整える余裕さえ失っていた。
男性は最終的に清掃業者の力を借りることができた。
ただ、同じような状況に置かれた人が、必ずしも自分から助けを求められるとは限らない。
仕事に行けているから大丈夫。収入があるから生活できている。
私たちは、そんなふうに考えがちかもしれない。
けれど、誰かが社会の中で働き続けていることと、自分自身の生活を守れていることは、必ずしも同じではない。
働くことに精いっぱいで、自分の暮らしを維持する力まで失ってしまったとき、それは本人だけの責任なのでしょうか。それとも、社会が目を向けるべき問題でもあるのでしょうか。
毎日欠かさず仕事に通う30代の男性。しかし、自宅には約3トンものゴミが積み上がり、その上で眠ることが日常になっていた。
ゴミの高さは1メートル以上。冷蔵庫の扉もまともに開けられず、エアコンのリモコンさえ埋もれていた。
それでも男性は、仕事に通い続けていた。
なぜ、働いて生活費を稼いでいる人が、ここまで自分の暮らしを維持できなくなってしまったのか。
東京都内で一人暮らしをしていた30代の男性。
工場や倉庫で派遣の仕事をしており、週7日働くこともあったという。
暑い職場で長時間働き、帰り道にコンビニで食事や飲み物を買う。
自宅に戻る頃には疲れ切っていて、部屋を片付ける気力が残っていなかった。
食べ終わった容器やペットボトルが少しずつ増えていく。
片付けなければと思っても、また翌日には仕事がある。
そんな生活を繰り返すうちに、部屋はゴミで埋め尽くされていった。
やがて男性は、押しつぶしたゴミの上で眠るようになった。
外では働き続けながら、自宅では生活するための環境さえ保てなくなっていた。
男性は、お金を稼ぐことを優先し、帰宅後は何もする気力が残らなかったと話している。
そして、ついに専門の清掃業者に助けを求めた。
作業員5人が約5時間かけて、大量のゴミを運び出した。
TBS「報道特集」が取材したこの男性の生活は、「セルフネグレクト」という問題を考えさせるものだった。
セルフネグレクトとは、食事や入浴、掃除、健康管理など、自分自身が生活していくために必要なことを十分に行えなくなる状態を指す。
単に掃除が嫌いだから、だらしないからという理由だけで説明できるものではない。
仕事による疲労や心身の不調、孤立など、さまざまな事情が重なって起こることがある。
この男性も、外から見れば毎日働いている一人の社会人だった。
けれど、仕事を終えて家に帰れば、自分の生活を整える余裕さえ失っていた。
男性は最終的に清掃業者の力を借りることができた。
ただ、同じような状況に置かれた人が、必ずしも自分から助けを求められるとは限らない。
仕事に行けているから大丈夫。収入があるから生活できている。
私たちは、そんなふうに考えがちかもしれない。
けれど、誰かが社会の中で働き続けていることと、自分自身の生活を守れていることは、必ずしも同じではない。
働くことに精いっぱいで、自分の暮らしを維持する力まで失ってしまったとき、それは本人だけの責任なのでしょうか。それとも、社会が目を向けるべき問題でもあるのでしょうか。
7歳の少年は、学校で家族が迎えに来るのを待っていた。
けれど、父も母も、姉も祖母も、二度と帰ってこなかった。
2011年3月11日。東日本大震災の津波が、家族4人の命を奪った。
一人残された少年を引き取ったのは、子育てをしたことのない51歳の伯母だった。
しかも伯母は、亡き両親が営んでいた自動車整備工場まで引き継いだ。
そして15年後。
7歳だった少年は22歳になり、自動車整備士として働きながら、父と伯母が守ってきた工場を継ぐ夢に向かっている。
宮城県石巻市の辺見佳祐(へんみ・けいすけ)さん。
震災当時、まだ小学1年生だった。
両親は自動車整備工場を営み、姉は小学4年生。家族と過ごしていた当たり前の日常は、あの日を境に突然失われた。
そんな佳祐さんを支えることになったのが、母親の姉、日野玲子さんだった。
当時、玲子さんは仙台市で一人暮らしをしていた。
それまでの生活を大きく変え、石巻へ移り住んだ。
2人が新しい生活を始めたのは、津波の被害を免れた自宅の2階だった。
けれど、すぐに親子のような関係になれたわけではない。
突然、大切な家族を失った少年。
そして、初めて子どもを育てることになった伯母。
お互いにどう接していいのか分からず、遠慮し合う日々が続いた。
佳祐さんは玲子さんと暮らし始めてからも、家族はどこかで生きていて、いつか迎えに来てくれると思っていたという。
そんな少年の成長を、玲子さんはそばで見守り続けた。
一緒に食事をし、学校生活を支え、ときには叱り、意見がぶつかることもあった。
最初はぎこちなかった2人の関係も、年月を重ねる中で少しずつ変わっていった。
玲子さんにとって、佳祐さんは守らなければならない存在。
そして佳祐さんにとっても、玲子さんは安心して帰れる場所を作ってくれる存在になっていった。
かつて父親が働いていた工場は、佳祐さんが自分の将来を考えるうえでも、大切な場所だった。
高校を卒業すると、仙台市の専門学校に進学し、自動車整備を学び始めた。
父親がしていた仕事を、今度は自分の仕事にしたい。
幼い頃に失った家族とのつながりが、将来の目標にもなっていた。
さらに、長い年月の中で、亡き両親の結婚式を映したビデオテープが見つかった。
津波で多くの写真や思い出の品が失われた中、残されていた貴重な映像だった。
玲子さんは、佳祐さんに家族の記憶を忘れてほしくないという思いから、その映像を一緒に見た。
そして、かつて守られる側だった少年にも、変化が生まれていた。
仕事で忙しく、なかなか一緒に遠出できなくなったある夏。
佳祐さんは、玲子さんの誕生日に家族旅行をプレゼントしようと計画した。
幼い頃、自分の生活を支えてくれた伯母。
今度は、自分がその伯母に何かをしてあげたい。
そんな思いが、少しずつ行動にも表れるようになっていた。
ミヤギテレビの取材班は、2人が家族として歩んできた時間を長年にわたって記録している。
失った家族が戻ってくることはない。
あの日の悲しみが消えるわけでもない。
それでも、残された2人は一緒に暮らし、悩み、笑い、互いを支えながら、新しい日常を築いてきた。
血のつながりだけではなく、共に過ごし、支え合ってきた時間。
家族とは、そうした日々の積み重ねによっても作られていくものなのでしょうか。
71歳の祖母。
知的障害のある孫を、
県外の施設に預ける決断をした。
地元には、
受け入れてくれる施設がなかった。
しかも、もう一つ深刻な悩みがあった。
同居する実の息子が、
ひきこもりがちになっていたのだ。
高齢の親が成人した子どもを支える、
日本の「8050問題」。
「テレビの力を借りてでも、なんとかしたい」
滋賀県の神馬好枝さん。
一人の高齢女性が抱えていた、
家族の切実な現実とは。
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71歳の祖母が、知的障害のある孫を県外の施設に預ける決断をした。
本当は、できることなら近くで暮らしたかった。
しかし、地元には受け入れてくれる施設が見つからない。
しかも、彼女にはもう一つ、深刻な悩みがあった。
同じ家で暮らす実の息子が、ひきこもりがちになっていたのだ。
日本には、80代の親が、ひきこもり状態にある50代の子どもの生活を支え続ける「8050問題」と呼ばれる深刻な社会問題がある。
親は年を取り、やがて自分自身にも介護が必要になる。それでも、成人した子どもの生活を支え続けなければならない家庭がある。
この71歳の女性も、そんな問題に直面していた。
「テレビの力を借りてでも、なんとかしたい」
そう訴えたのは、滋賀県東近江市に暮らす神馬好枝さん。当時71歳。
好枝さんは、重い知的障害のある孫を長年支えてきた。
食事や身の回りの世話など、日々の生活には多くの支援が必要だった。
けれど、自分自身も年を重ね、これまでのように介助を続けることが難しくなっていった。
そこで、孫が安心して暮らせる施設を探し始めた。
しかし、滋賀県内では受け入れ先が見つからず、最終的に石川県の施設を頼ることになった。
住み慣れた地域から離れた場所に、孫を送り出さなければならなかった。
そして、好枝さんの心配はそれだけではなかった。
自宅には、社会との関わりが少なくなっていた実の息子がいた。
孫の将来を考えながら、同時に息子のこれからも心配しなければならない。
一人の高齢女性が、家族の複数の問題に向き合っていた。
自分が元気なうちは、何とか支えられるかもしれない。
けれど、病気になったらどうするのか。介護が必要になったら誰が支えるのか。そして、自分が亡くなった後、息子はどうやって暮らしていくのか。
ひきこもりに至る事情は人によって異なり、本人の努力不足だけで説明できるものではない。
仕事、人間関係、心身の不調など、さまざまな背景がある。
社会との関わりを持てずに苦しむ本人がいる一方で、支え続ける家族もまた、誰にも相談できないまま孤立してしまうことがある。
ABCテレビは、そんな神馬さん一家の姿を取材した。
取材から見えてきたのは、家族を支える責任が、一人の高齢者に集中してしまう現実だった。
孫のために施設を探しても見つからない。息子の将来も心配で、自分がいつまで支えられるのか分からない。
「家族なのだから、家族で何とかするべきだ」
そう考える人もいるかもしれない。
けれど、親が高齢になっても、すべてを家庭の中だけで解決しなければならないのだろうか。
家族の愛情だけでは、どうにもならないこともある。
高齢の親が限界を迎える前に、そして支えを必要とする人たちが孤立してしまう前に、社会ができることはないのだろうか。
家族の問題は、どこまで家族が背負い、どこから社会全体で支えるべきなのでしょうか。
整体院の密室で、施術中に突然、性的暴行を受けたと45歳の女性が訴えている。
女性によると、男性整体師は避妊具も使用せず、恐怖で拒絶することも、その場から逃げ出すこともできなかったという。
体の不調を改善するために訪れた場所で、いったい何が起きたのか。
東京都八王子市の整体院で起きたとされる性被害。
被害を訴えているのは、当時45歳の主婦だった。
女性は、施術を受けている最中に予想もしなかった行為を受けたと話している。
本来、整体院は体の不調を和らげるために訪れる場所だ。施術者を信頼し、自分の体を預ける。
しかし、その信頼関係の中で、女性は突然の恐怖に直面したと訴えている。
なぜ、その場で抵抗できなかったのか。
性暴力の被害について語られるとき、そんな疑問を向けられることがある。
けれど、人は予想もしなかった恐怖に直面すると、声を上げたり、体を動かして抵抗したりできなくなることがある。
これは、強い恐怖やストレスによって生じる「フリーズ反応」と呼ばれるものだ。
自分の意思とは関係なく、体が動かなくなることもある。
抵抗しなかったことと、同意していたことは、まったく違う。
この女性の訴えを受け、ABCテレビの取材班は、疑惑を向けられた整体師本人を直接取材した。
番組が取り上げたのは、密室で起きたとされる性被害と、それを刑事事件として立件することの難しさだった。
第三者の目撃者がいない場所では、何が起きたのかを明らかにするために、当事者の証言や客観的な証拠を慎重に調べる必要がある。
なお、この件について、整体師の刑事責任が裁判で認定されたという情報は確認できていない。
女性が語った被害については、本人の訴えと、捜査や裁判で確認された事実を区別して考える必要がある。
一方で、恐怖で抵抗できなかったという訴えを、単に「嫌なら逃げられたはず」と片づけることもできない。
性暴力を受けたと訴える人が、なぜ声を上げられなかったのか。その背景にある恐怖や心理的な反応について、社会の理解は十分に進んでいるのだろうか。
もし突然の恐怖で体が動かなくなった人がいたとき、私たちはその沈黙をどう受け止めるべきなのでしょうか。
7歳だった。
学校で、家族の迎えを待っていた。
けれど、
父も母も、姉も祖母も、
二度と帰ってこなかった。
東日本大震災の津波で、
家族4人を失った少年。
彼を引き取ったのは、
子育て経験のない51歳の伯母だった。
伯母は、亡き両親の
自動車整備工場まで引き継いだ。
そして15年後、
少年は22歳になり、父と同じ仕事に就いた。
宮城県石巻市の辺見佳祐さん。
少年と伯母が歩んできた、
15年間の家族の物語。
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7歳の少年は、学校で家族が迎えに来るのを待っていた。
けれど、父も母も、姉も祖母も、二度と帰ってこなかった。
2011年3月11日。東日本大震災の津波が、家族4人の命を奪った。
一人残された少年を引き取ったのは、子育てをしたことのない51歳の伯母だった。
しかも伯母は、亡き両親が営んでいた自動車整備工場まで引き継いだ。
そして15年後。
7歳だった少年は22歳になり、自動車整備士として働きながら、父と伯母が守ってきた工場を継ぐ夢に向かっている。
宮城県石巻市の辺見佳祐(へんみ・けいすけ)さん。
震災当時、まだ小学1年生だった。
両親は自動車整備工場を営み、姉は小学4年生。家族と過ごしていた当たり前の日常は、あの日を境に突然失われた。
そんな佳祐さんを支えることになったのが、母親の姉、日野玲子さんだった。
当時、玲子さんは仙台市で一人暮らしをしていた。
それまでの生活を大きく変え、石巻へ移り住んだ。
2人が新しい生活を始めたのは、津波の被害を免れた自宅の2階だった。
けれど、すぐに親子のような関係になれたわけではない。
突然、大切な家族を失った少年。
そして、初めて子どもを育てることになった伯母。
お互いにどう接していいのか分からず、遠慮し合う日々が続いた。
佳祐さんは玲子さんと暮らし始めてからも、家族はどこかで生きていて、いつか迎えに来てくれると思っていたという。
そんな少年の成長を、玲子さんはそばで見守り続けた。
一緒に食事をし、学校生活を支え、ときには叱り、意見がぶつかることもあった。
最初はぎこちなかった2人の関係も、年月を重ねる中で少しずつ変わっていった。
玲子さんにとって、佳祐さんは守らなければならない存在。
そして佳祐さんにとっても、玲子さんは安心して帰れる場所を作ってくれる存在になっていった。
かつて父親が働いていた工場は、佳祐さんが自分の将来を考えるうえでも、大切な場所だった。
高校を卒業すると、仙台市の専門学校に進学し、自動車整備を学び始めた。
父親がしていた仕事を、今度は自分の仕事にしたい。
幼い頃に失った家族とのつながりが、将来の目標にもなっていた。
さらに、長い年月の中で、亡き両親の結婚式を映したビデオテープが見つかった。
津波で多くの写真や思い出の品が失われた中、残されていた貴重な映像だった。
玲子さんは、佳祐さんに家族の記憶を忘れてほしくないという思いから、その映像を一緒に見た。
そして、かつて守られる側だった少年にも、変化が生まれていた。
仕事で忙しく、なかなか一緒に遠出できなくなったある夏。
佳祐さんは、玲子さんの誕生日に家族旅行をプレゼントしようと計画した。
幼い頃、自分の生活を支えてくれた伯母。
今度は、自分がその伯母に何かをしてあげたい。
そんな思いが、少しずつ行動にも表れるようになっていた。
ミヤギテレビの取材班は、2人が家族として歩んできた時間を長年にわたって記録している。
失った家族が戻ってくることはない。
あの日の悲しみが消えるわけでもない。
それでも、残された2人は一緒に暮らし、悩み、笑い、互いを支えながら、新しい日常を築いてきた。
血のつながりだけではなく、共に過ごし、支え合ってきた時間。
家族とは、そうした日々の積み重ねによっても作られていくものなのでしょうか。
週末の夜、両親は息子を車に乗せ、行き先も決めずに4時間走り続けた。
旅行ではない。楽しむためのドライブでもない。
夜になると大声を上げたり、家の中で飛び跳ねたりする息子のために、週末の3日間、こうした生活を続けていた。
父親は介護のために会社を辞めた。
母親も、息子の身の回りの世話に追われる毎日。
そんな2人が、年齢を重ねるにつれて、ある不安を抱えるようになった。
「自分たちが介護できなくなったら、この子はどうなるのか」
滋賀県守山市に暮らす和田智泰さん。取材開始当時17歳。
重度の知的障害と「強度行動障害」があり、食事、入浴、排泄、着替えなど、生活のあらゆる場面で介助が必要だった。
強度行動障害とは、自分の体を傷つけたり、物を激しく叩いたりするなど、本人や周囲の生活に大きな困難が生じる状態をいう。
父親の進さんは当時58歳、母親の泰代さんは50歳。
進さんは息子の介助を優先するため、数年前に会社を退職。その後は新聞配達と、時間の融通がきく非正規の仕事を掛け持ちしながら家族を支えていた。
夫婦は長年、智泰さんの生活を支えてきた。
けれど、両親も年を取る。体力には限界がある。
いつまでも自分たちだけで息子を支え続けることはできない。
そう考えた夫婦は、智泰さんが特別支援学校の高等部に通っていた頃から、入所できる施設を探し始めた。
ところが、滋賀県内の施設はすべて満床だった。
京都、奈良、石川、岡山。
県外にも足を運び、息子を受け入れてくれる場所を探し続けたが、なかなか見つからなかった。
重い知的障害や強度行動障害のある人を受け入れられる施設は、全国的にも不足していた。
家族がどれほど努力しても、必要な支援につながれない現実があった。
ABCテレビの取材班は、そんな和田さん一家の約2年半を記録した。
そして、長い施設探しの末、智泰さんが暮らせるグループホームが見つかった。
ようやく息子を託せる場所ができた。
それは両親にとって大きな安心であると同時に、これまでずっと一緒に暮らしてきた息子と離れる決断でもあった。
息子を大切に思うからこそ、自分たちだけで抱え込まない道を選ぶ。
しかし、すべての家族が同じように受け入れ先を見つけられるわけではない。
親が高齢になっても、子どもの介助を続けなければならない家庭がある。
親の愛情や努力だけに頼らず、障害のある人が安心して暮らしていくために、社会にはどのような支援が必要なのでしょうか。
「朝起きられないのは、怠けているから」
そう誤解されてきた14歳の少女。
学校に行きたいのに、
朝になると体が動かない。
頭痛やめまいに苦しみ、
起き上がることさえ難しかった。
原因は、中学生の約10人に1人が
発症するといわれる「起立性調節障害」。
それでも彼女は、
13歳で同じ病気の子どもたちを
支える団体を立ち上げた。
横浜市の中山知佳穂さん。
彼女が伝えたかった、
周囲には見えない苦しみとは。
👇続きを読む🙇
teapawt.net/dataanalyst1309/status…
「朝起きられないのは、怠けているから」
そう誤解され、苦しんでいる子どもたちがいる。
学校に行きたいのに、朝になると体が思うように動かない。激しい頭痛やめまい、腹痛に襲われ、起き上がることさえ難しくなる。
実は、中学生の約10人に1人が発症するといわれる病気がある。
その名は「起立性調節障害」。
横浜市に暮らす中山知佳穂さんも、この病気と向き合ってきた一人だ。取材当時14歳。
異変が現れたのは小学6年生の夏ごろ。それまで普通にできていた朝の起床が、突然難しくなった。
自律神経の働きがうまく調整されず、血圧や心拍数の変化に体が対応しにくくなる。
午前中は体調が悪くても、午後になると動けるようになることがある。
そのため、周囲からは「夜更かししているだけ」「学校をサボっている」と誤解されやすい。
知佳穂さんも、体をほとんど動かせない時期があり、中学2年生の頃には学校へ通えない日々が続いた。
友達と会う機会も減り、同じ悩みを抱える人と話すことさえ難しくなっていった。
そんな中、彼女はある行動を起こした。
13歳のとき、自ら「起立性調節障害の子どもたちの会」を立ち上げたのだ。
同じ病気の子どもたちが、安心して悩みを話せる場所を作りたい。
その思いに共感する仲間が集まり、オンラインで交流する活動が始まった。
体調が悪くなりやすい午前中を避け、交流会は夜に開催。
学校に行けない苦しさや、周囲に理解してもらえないつらさを、同じ経験を持つ仲間と共有した。
やがて知佳穂さん自身も、少しずつ昼ごろから学校に通えるようになった。
活動はさらに広がり、病気への理解を深めるための団体「子どもの輪」は、その後NPO法人となった。
自分自身も病気と向き合いながら、同じように苦しむ子どもたちのために声を上げ続けている。
朝起きられない。学校へ行けない。
その姿だけを見れば、努力が足りないと思ってしまう人もいるかもしれない。
けれど、本人がどれほど頑張りたいと思っていても、体がついてこないことがある。
「行きたくない」と「行きたいのに行けない」は、まったく違う。
私たちは、学校に来られない子どもを見たとき、その背景にある事情や苦しさを、どれだけ理解しようとしているでしょうか。
「朝起きられないのは、怠けているから」
そう誤解され、苦しんでいる子どもたちがいる。
学校に行きたいのに、朝になると体が思うように動かない。激しい頭痛やめまい、腹痛に襲われ、起き上がることさえ難しくなる。
実は、中学生の約10人に1人が発症するといわれる病気がある。
その名は「起立性調節障害」。
横浜市に暮らす中山知佳穂さんも、この病気と向き合ってきた一人だ。取材当時14歳。
異変が現れたのは小学6年生の夏ごろ。それまで普通にできていた朝の起床が、突然難しくなった。
自律神経の働きがうまく調整されず、血圧や心拍数の変化に体が対応しにくくなる。
午前中は体調が悪くても、午後になると動けるようになることがある。
そのため、周囲からは「夜更かししているだけ」「学校をサボっている」と誤解されやすい。
知佳穂さんも、体をほとんど動かせない時期があり、中学2年生の頃には学校へ通えない日々が続いた。
友達と会う機会も減り、同じ悩みを抱える人と話すことさえ難しくなっていった。
そんな中、彼女はある行動を起こした。
13歳のとき、自ら「起立性調節障害の子どもたちの会」を立ち上げたのだ。
同じ病気の子どもたちが、安心して悩みを話せる場所を作りたい。
その思いに共感する仲間が集まり、オンラインで交流する活動が始まった。
体調が悪くなりやすい午前中を避け、交流会は夜に開催。
学校に行けない苦しさや、周囲に理解してもらえないつらさを、同じ経験を持つ仲間と共有した。
やがて知佳穂さん自身も、少しずつ昼ごろから学校に通えるようになった。
活動はさらに広がり、病気への理解を深めるための団体「子どもの輪」は、その後NPO法人となった。
自分自身も病気と向き合いながら、同じように苦しむ子どもたちのために声を上げ続けている。
朝起きられない。学校へ行けない。
その姿だけを見れば、努力が足りないと思ってしまう人もいるかもしれない。
けれど、本人がどれほど頑張りたいと思っていても、体がついてこないことがある。
「行きたくない」と「行きたいのに行けない」は、まったく違う。
私たちは、学校に来られない子どもを見たとき、その背景にある事情や苦しさを、どれだけ理解しようとしているでしょうか。
「子どもへの性教育が過激すぎる」
かつて東京の特別支援学校で行われていた性教育が、一部の政治家から厳しく批判された。
授業で使用されていた教材は回収され、教員たちは厳重注意を受けた。
子どもに性行為や避妊について、どこまで教えてよいのか。
その判断をめぐり、教育現場は大きく揺れた。
ところが、その一方で、避妊について十分な知識を持たないまま、14歳で妊娠した少女がいた。
中京テレビのドキュメンタリー「ニッポンの性教育」は、そんな日本の教育現場が抱えてきた問題を追った。
問題となったのは、東京都立七生養護学校で行われていた性教育だった。
知的障害のある子どもたちに、歌や人形などを使って体の仕組みや性について教えていた。
しかし、一部の都議会議員は、その内容が不適切だと批判。東京都教育委員会も教材を回収し、教員への指導を行った。
教員や保護者たちは、教育への不当な介入だとして裁判を起こした。
その後、裁判所は政治家らによる介入を違法と判断し、東京都と都議らに賠償を命じる判決が確定した。
一方、日本の学校には、妊娠に至る過程を通常の授業では扱わないとする、いわゆる「はどめ規定」がある。
ただし、必要に応じて詳しく教えることまで、一律に禁止しているわけではない。
それでも、どこまで説明すればよいのか、教える側が悩む状況は続いてきた。
そんな中、学校だけに任せてはいられないと、自ら子どもたちへの性教育を始めた母親たちがいた。
命がどのように生まれるのか。自分の体をどう守るのか。そして、相手の体や意思を尊重すること。
子どもたちに正しい知識を伝えようと活動を始めたのだ。
また、ある自治体では産婦人科医などの専門家が学校で授業を行い、未成年者の人工妊娠中絶率が大きく低下したことも紹介された。
ただ、その変化が性教育だけによるものかどうかは、慎重に考える必要がある。
番組には、避妊について知らないまま妊娠した14歳の少女も登場する。
子どもに詳しく教えるのは早すぎると考える大人がいる一方で、必要な知識を持たないまま、現実の問題に直面する子どもたちもいる。
性教育は、妊娠の仕組みだけでなく、自分の体を守り、相手を尊重し、困ったときに助けを求めるための学びでもある。
子どもたちを守るために、学校は何歳から、どこまで性について教えるべきなのでしょうか。
「結婚式に来てくれる人が少ないんです。知らない方でもいいので、来てもらえませんか」
幼い頃に父親を亡くし、兄と支え合って育った中国の24歳の青年。
結婚式に呼べる親族は、わずか2〜3卓分だった。
そこで、見知らぬ人たちに向けてSNSで招待を呼びかけた。
すると、想像もしなかったことが起きた。
全国から何千人もの人々が集まり、食べ物や贈り物を持ち寄って、青年の結婚を祝おうとしたのだ。
中国・雲南省に暮らす徐成紅さん(24)。
3歳のとき、父親が病気で亡くなった。5歳で母親が再婚して家を離れ、祖母と3歳年上の兄に支えられて育った。
しかし、7歳のときには、その祖母も亡くなってしまう。
その後は兄と支え合いながら成長し、中学校を中退して働き始めた。
各地で肉体労働やアルバイトを重ね、少しずつお金を貯めてきた。
そして、人生を共に歩みたいと思える女性と出会い、結婚することになった。
ただ、彼には一つの願いがあった。
自分を支えてくれた大切な女性との結婚式を、できるだけ多くの人に祝ってほしかった。
10月25日、徐さんはSNSに動画を投稿した。
来てくれるのは、せいぜい10人か20人だろうと思っていた。
ところが、動画は瞬く間に拡散。
遠く離れた街から、会ったこともない人たちが次々と訪れ始めた。
10月28日には、すでに2000〜3000人が現地に集まったと報じられた。
しかも、人々は手ぶらではなかった。
冷蔵庫や冷凍庫を贈る人。豚や牛を届ける人。自ら料理人として参加し、大勢のために食事を作る人まで現れた。
結婚式の準備を手伝う人たちもいた。
あまりの人数に、当初予定していた会場では対応できなくなり、地元当局の協力で、より広い広場へと場所が変更された。
10月30日には、現地を訪れた人が約2万人に達したとの報道もあった。
ただし、これは結婚式そのものの出席者数ではなく、周辺を訪れた人々の推計だ。
そして10月31日、結婚式の日を迎えた。
わずか数人でも来てくれたらうれしいと考えていた青年のもとに、想像をはるかに超える祝福が集まった。
幼い頃に父を亡くし、家族と離れ離れになる経験を重ねてきた青年。
その人生の大切な節目を、今度は会ったこともない大勢の人たちが祝おうとした。
家族や親戚でなくても、誰かの幸せを心から願い、そのために行動する人たちがいる。
インターネットを通じて生まれた、見知らぬ人同士の温かなつながり。
【ハロウィン特別編 🎃|福島・便槽内怪死事件】
37年前、日本で実際に起きた不可解な死。
今も多くの疑問が残されているこの出来事を、当時の記録から振り返ります。
1989年2月28日、福島県都路村(現在の田村市)。
女性教員が暮らす教員住宅で、26歳の男性が遺体となって発見されました。
ところが、遺体があったのはトイレの床ではありません。汲み取り式トイレの地下に設置された便槽の中だったのです。
便器側の開口部は直径約20センチ。屋外にある汲み取り口でさえ、直径わずか約36センチしかありませんでした。
便槽はU字状の構造で、高さは約125センチ、最も広い部分でも幅は約50センチ。
男性は、その狭い空間の中で膝を曲げ、身体を丸めるような姿勢で発見されたと報じられています。
さらに不可解なのは、真冬にもかかわらず、男性が上半身に衣服を身につけていなかったことです。
男性は、原子力発電所の保守に関わる会社に勤務し、地元の青年会でも活動していた人物でした。
なぜ、その男性が女性教員の住宅の便槽内にいたのでしょうか。
そもそも、どうやってあの狭い場所に入り込んだのでしょうか。
当時の報道によると、警察は狭い空間で身体が圧迫されたことによる呼吸困難と、寒さによる凍死が死因だと判断。また、犯罪に結びつく証拠は見つからなかったとされています。
ただ、男性がなぜ便槽の中に入ることになったのか、その経緯については疑問が残りました。
この出来事をめぐっては、女性教員をのぞこうとしたのではないかという噂や、当時の村長選挙との関係を疑う声もありました。
しかし、これらは当時語られていた噂や推測であり、男性の動機や他殺を裏付ける事実として確認されたものではありません。
警察は死因についての判断を示しました。それでも、なぜ男性がそこにいたのか、どのようにして便槽内に入り込んだのかという疑問は残されたままでした。
皆さんは、この事件を覚えていますか?
直径わずか約36センチ。
その狭い汲み取り口の先で、
26歳の男性が遺体となって発見された。
場所は、女性教員が暮らす住宅の
地下にあるトイレの便槽内。
真冬にもかかわらず、
男性は上半身に服を着ていなかった。
なぜ、そこにいたのか。
どうやって入り込んだのか。
37年前、福島県で実際に起きた
「便槽内怪死事件」。
今も疑問が残る、
不可解な死の真相とは。
👇続きを読む🙇
teapawt.net/dataanalyst1309/status…
【ハロウィン特別編 🎃|福島・便槽内怪死事件】
37年前、日本で実際に起きた不可解な死。
今も多くの疑問が残されているこの出来事を、当時の記録から振り返ります。
1989年2月28日、福島県都路村(現在の田村市)。
女性教員が暮らす教員住宅で、26歳の男性が遺体となって発見されました。
ところが、遺体があったのはトイレの床ではありません。汲み取り式トイレの地下に設置された便槽の中だったのです。
便器側の開口部は直径約20センチ。屋外にある汲み取り口でさえ、直径わずか約36センチしかありませんでした。
便槽はU字状の構造で、高さは約125センチ、最も広い部分でも幅は約50センチ。
男性は、その狭い空間の中で膝を曲げ、身体を丸めるような姿勢で発見されたと報じられています。
さらに不可解なのは、真冬にもかかわらず、男性が上半身に衣服を身につけていなかったことです。
男性は、原子力発電所の保守に関わる会社に勤務し、地元の青年会でも活動していた人物でした。
なぜ、その男性が女性教員の住宅の便槽内にいたのでしょうか。
そもそも、どうやってあの狭い場所に入り込んだのでしょうか。
当時の報道によると、警察は狭い空間で身体が圧迫されたことによる呼吸困難と、寒さによる凍死が死因だと判断。また、犯罪に結びつく証拠は見つからなかったとされています。
ただ、男性がなぜ便槽の中に入ることになったのか、その経緯については疑問が残りました。
この出来事をめぐっては、女性教員をのぞこうとしたのではないかという噂や、当時の村長選挙との関係を疑う声もありました。
しかし、これらは当時語られていた噂や推測であり、男性の動機や他殺を裏付ける事実として確認されたものではありません。
警察は死因についての判断を示しました。それでも、なぜ男性がそこにいたのか、どのようにして便槽内に入り込んだのかという疑問は残されたままでした。
皆さんは、この事件を覚えていますか?


