皆さん一度くらいは「話がまったく通じない人」というのに会った事がある人は多いと思うんですけど、それが父親で、かつ重度のポルノ脳で、娘が娘として父親に接しただけの事を「娘から(性行為に)誘ってきた」と言う。更生の見込みはほぼないわけで害悪すぎる親と絶縁できる仕組みって必要だと思う。
「実の娘を性欲のはけ口に使っていた」
法廷で、娘はそう言った。
「言ったら殺すぞ」
父親に首を絞められながら、娘はそう脅されていた。それでも娘は、名古屋地裁の法廷に立った。パーティション越しに、自分が受けた被害を語るために。
2026年、愛知県で行われた「鈴木広貴受刑者・実娘への性暴力事件」の裁判。
鈴木広貴受刑者(48)は、実の娘が小学6年生のころから性的な行為を始め、娘が高校生になるまで続けた罪に問われた。起訴された犯行は2020年から2021年、娘が当時15歳のときのものだ。
娘は法廷でこう訴えた。
「実の娘を性欲のはけ口に使っていた被告に慈悲の気持ちはありません。どうか一生かけて孤独に苦しんでほしいです」
鈴木受刑者は目を伏せながら、その言葉を聞いていた。
何が明らかになったのか。
鈴木受刑者は「行為のきっかけは娘から誘ってきた」と主張し、「無理やりしたことはない」と述べた。
裁判所はその主張を認めなかった。実際には首を絞め、「言ったら殺すぞ」と脅していたことが、審理の中で明らかにされた。
娘はこう語った。
「最後に被害を受けてからは忘れようとしたり、父親と娘という関係を再構築しようとしたり頑張っていたけれど、フラッシュバックして、解決しないことには普通の未来を歩めないと思い、告発を決意した」
家の中で起きていた。加害者は家族だった。そして「言ったら殺す」と脅されていた。
娘が告発しなければ、外からは見えなかったかもしれない。
🔴 判決
名古屋地裁は鈴木受刑者の主張を退け、有罪判決を言い渡した。
鈴木受刑者は控訴したが、名古屋高裁も一審を支持し、控訴を棄却。鈴木受刑者は上告せず、判決が確定した。
「娘から誘ってきた」と法廷で主張した父親。その主張は裁判所に認められず、娘の告発を経て有罪判決が確定した。
判決後、娘はこう語ったとされる。
「やっと自分の人生を生きていくスタートです」
「やっと」という一言に、何年分の時間が詰まっているのか。
家族という閉ざされた環境の中で起きる性暴力に対して、被害を受けた人が声を上げやすくするために、社会には何が必要だと思いますか。
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【横田めぐみさん拉致事件】北朝鮮で何が起きたのか?48年以上続く未解決事件
13歳だった。
バドミントンの練習を終えて、
自宅へ帰る途中だった。
その夜、めぐみさんは帰ってこなかった。
1977年11月15日、新潟市。
横田めぐみさんは中学1年生、当時13歳。
学校から帰宅する途中、友人と別れた後に消息を絶った。
家族は長い間、
めぐみさんに何が起きたのか分からないままだった。
交通事故なのか。
家出なのか。
事件なのか。
警察の捜索が続く中、
年月だけが過ぎていった。
1997年。
めぐみさんが北朝鮮にいる可能性を示す情報が、家族に伝わった。
失踪から約19年後、
事件は「北朝鮮による拉致」という重大な問題へと動き始めた。
そして2002年9月。
日朝首脳会談で、北朝鮮側は日本人拉致への関与を認め、謝罪した。
しかし、めぐみさんについては「死亡した」と説明した。
日本側は、その説明に多くの疑問があるとして受け入れなかった。
2004年、北朝鮮側は
「めぐみさんの遺骨」とするものを日本側に提出した。
日本側のDNA鑑定では、
めぐみさん本人とは異なるDNAが検出されたと発表された。
北朝鮮側はこの鑑定結果を否定した。
つまり、めぐみさんのその後について、
両国の説明は一致していない。
北朝鮮で結婚し、
娘のキム・ウンギョンさんがいることも明らかになった。
2014年。
父・滋さんと母・早紀江さんは、
モンゴル・ウランバートルでウンギョンさんとその家族に初めて会った。
孫には会えた。
しかし、
自分たちの娘、めぐみさんには会えなかった。
父・滋さんは2020年、87歳で亡くなった。
めぐみさんとの再会は、かなわなかった。
母・早紀江さんは2026年2月、90歳を迎えた。
1977年の失踪から、
今年11月で49年。
13歳だっためぐみさんは、
今年62歳になる。
日本政府は現在も、
安否が確認されていない拉致被害者の帰国を北朝鮮側に求め続けている。
48年以上が過ぎても、
めぐみさんに何が起きたのかという核心部分は、今も明らかになっていない。
なぜ、これほど長い時間が経っても解決に至っていないのか。
あなたは、この事件についてどう考えますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ) retweeted
たった一人の女子高校生のために。
駅は、
毎日動いていた。
北海道の
上白滝駅。
朝7時04分。
女子高校生のカナさんは
この駅から学校へ向かった。
夕方5時08分。
学校を終えると、
またこの駅に戻ってきた。
利用する乗客は、
ほとんどいなかった。
それでも列車は、
彼女のために
朝と夕方の2回、停車した。
「乗る人が一人しかいない」
それでも、
駅をなくさなかった。
彼女には、
学校へ通うための
大切な駅だったから。
2016年3月。
彼女は高校を卒業した。
そして同じ月、
上白滝駅は静かに
その役目を終えた。
たった一人のために、
駅が存在した。
たった一人のために、
列車が走った。
数字だけを見れば、
「廃止すべき駅」だったのかもしれない。
でも、
そこには一人の
「毎日」があった。
誰かにとっての当たり前を守るために、
誰かが動いている。
そんな優しさが、
時刻表の中に隠れていることがある。
あなたなら、
この駅をどう思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ) retweeted
9時間、
バスの中にいた。
誰も、
気づかなかった。
2021年7月29日、福岡県中間市で起きた
「双葉保育園送迎バス置き去り
熱中症疑い死亡事件」。
倉掛冬生ちゃんは当時5歳。
毎朝バスで保育園に通っていた。
笑顔が可愛くて、
元気な男の子だった。
その朝も、
いつも通りバスに乗った。
何が起きたのか。
2021年7月29日午前8時35分、
双葉保育園の送迎バスが園の駐車場に到着した。
園長・浦上陽子(当時45歳)がバスを運転し、
保育士・鳥羽詞子(当時59歳)が園児の降車を補助した。
しかし、
2人は誰も確認しなかった。
全員が降りたかどうかを。
バスは施錠された。
冬生ちゃんは、
中に残されたまま。
外気温は30度を超える真夏日だった。
警察の再現実験では、
車内温度は50度近くまで上昇した。
50度近い密室に、
5歳の男の子が9時間いた。
しかし、
この事件には「もう一つの顔」がある。
当日、
保育園では出欠の確認が行われた。
冬生ちゃんが来ていないことに気づいた保育士がいた。
しかし、
「お休みだろう」と判断した。
保護者への確認電話は、
かけなかった。
休んでいると思った。
だから、
確認しなかった。
元職員はこう証言した。
「ずさんな安全管理が常態化していた」
「明らかに間違っていても、
指摘するのにためらう空気があった」
おかしいと思っても、
言えない職場だった。
午後5時15分。
降園のためにバスを開錠すると、
冬生ちゃんが倒れていた。
9時間後、
やっと気づいた。
🔴 判決と処分
業務上過失致死の罪に問われた園長・浦上陽子と保育士・鳥羽詞子の2人が起訴された。
2026年の判決で、
園長・浦上被告に拘禁刑2年、
執行猶予3年が言い渡された。
拘禁刑2年。
執行猶予3年。
実刑にはならなかった。
母親はこう語った。
「執行猶予は受け入れ難い」
民事では保育園側と遺族が和解した。
しかし、
和解金額は非公開のままだ。
5歳の命が、
非公開の金額で
「解決」とされた。
バスの確認を怠った。
出欠確認を怠った。
保護者への確認も怠った。
3つ全てが重なって、
5歳の命が失われた。
答えは、
執行猶予付きの拘禁刑2年だった。
誰も、
実刑にならなかった。
冬生ちゃんは毎朝このバスに乗っていた。
保育園を信じていた。
親も信じていた。
50度近いバスの中で、
9時間、
一人だった。
どんなに怖かったか。
どんなに暑かったか。
誰かが助けに来ると、
信じて待っていたのかもしれない。
誰かが一度でも、
バスを確認していれば。
あなたは、
9時間誰にも気づかれず、
誰も実刑にならなかったこの事件を、
どう思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ) retweeted
警察は「禁止命令」を出していた。
それでも、
彼女は17回、刺された。
2023年1月16日、福岡県で起きた
「JR博多駅前ストーカー殺人事件」。
川野美樹さんは当時38歳の会社員。
月曜日の夕方、
退勤後にJR博多駅近くの路上を歩いていた。
美樹さんはどんな人だったのか。
知人は語る。
「明るくて、周りを笑わせる人だった」
仕事に真剣に向き合い、
普通に生きていた。
ただ、
元交際相手と別れたことが、
死の引き金になった。
何が起きたのか。
2022年春、
寺内進(当時31歳)と交際を始めた。
別れた後、
寺内のストーカー行為が始まった。
2022年8月、
美樹さんに声をかけた別の男性を殴り、
顔の骨を折った。
傷害罪で有罪判決を受けた。
前科があった。
それでも、
命は守られなかった。
2022年11月、
美樹さんは警察に相談した。
寺内は職場にまで押しかけた。
警察はストーカー規制法に基づく
「禁止命令」を出した。
しかし、
この事件には「もう一つの顔」がある。
禁止命令とは何か。
警察が「つきまとい行為を禁止する」と命令を出す制度だ。
違反すれば逮捕できる。
命令は出た。
それでも、
事件は防げなかった。
2023年1月16日午後6時過ぎ。
帰宅ラッシュで人通りの多い
JR博多駅前の路上で、
寺内は美樹さんを見つけ、
追いかけた。
刃渡り約24センチの包丁で、
17回、刺した。
美樹さんが地面に倒れた後も、
刺すことをやめなかった。
多くの目撃者がいた。
悲痛な叫び声が響いた。
それでも、
間に合わなかった。
🔴 判決と処分
2024年6月28日、
福岡地裁の裁判長はこう述べた。
「被害者がうつ伏せに倒れた後もなお刺すことをやめておらず、強固な殺意に基づく執拗かつ残忍な犯行といえる」
「寺内の反省の言葉は表面的なものでした」
判決。
懲役20年。
検察の求刑は懲役23年だった。
傷害罪で前科あり。
禁止命令あり。
警察への相談あり。
それでも、
17回刺された。
禁止命令を破って殺した男の答えは、
懲役20年。
20年後、
寺内は出所する。
美樹さんは、
二度と帰ってこない。
美樹さんは警察に相談した。
禁止命令も出た。
職場への押しかけも報告した。
それでも、
殺された。
この国で「禁止命令」は、
本当に命を守れるのか。
あなたは、
禁止命令があったにもかかわらず殺害されたこの事件で、
システムに何が足りなかったと思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ) retweeted
2019年5月、大阪府堺市で、生後7か月の篠原咲舞ちゃんが突然亡くなった。
娘をお風呂に入れていた父・篠原遼さんは、自ら119番通報し、必死に救命を求めた。
しかし、待っていたのは「悲しみ」ではなく、「殺人犯」という疑いだった。
警察は「窒息死」と判断し、篠原さんを逮捕。
「父親が娘を窒息死させた」
その見立てのもと捜査は進められた。
篠原さんは一貫して否認した。
「私は娘を殺していない」
それでも起訴された。
何が問題だったのか。
事件当初、捜査は窒息死という可能性を前提に進められた。
一方で、死亡原因については他の可能性も十分に検討されるべきだった。
裁判が進む中、遺伝子検査が実施され、咲舞ちゃんには致死性不整脈につながる可能性のある遺伝子変異が確認された。
つまり、
突然の心停止によって亡くなった可能性を否定できなくなった。
しかし、この重要な可能性は、事件当初の捜査では十分に反映されていなかった。
人の命を失った事件では、
「一つの仮説だけ」で進む捜査は、取り返しのつかない結果を生むことがある。
しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。
篠原さんは逮捕された。
家族は世間から疑いの目を向けられた。
仕事も生活も大きく変わった。
娘を失った父親が、
娘を殺した父親として扱われた。
もし無罪にならなければ、
その人生は戻ることはなかった。
🔴 判決
2022年12月2日、大阪地裁は篠原遼さんに無罪を言い渡した。
裁判所は、咲舞ちゃんが遺伝的要因による突然死だった可能性を否定できず、窒息死であると断定するには合理的な疑いが残ると判断した。
検察は控訴せず、
無罪判決は確定した。
娘は戻らない。
失われた時間も戻らない。
父親は無罪になった。
しかし、
逮捕され、
起訴され、
「娘を殺した父親」と見られ続けた日々は消えない。
一つの思い込みが、
一人の人生を壊しかけた。
もし遺伝子検査が行われなかったら。
もし裁判で別の可能性が十分に検討されなかったら。
この事件は、違う結末になっていたかもしれない。
あなたは、
娘を失った父親が、その直後に殺人犯として扱われ、3年後に無罪となったこの事件を見て、日本の捜査や刑事司法は十分に「思い込み」を防げていると思いますか。
👇あなたの意見を聞かせてください。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ) retweeted
熊谷警察署で取り調べ中、
被疑者は脱走した。
「タバコを吸いに行く」と言って
そのまま戻らなかった。
3日間の逃走の末、
6人が殺された。
10歳の美咲さん。
7歳の春花さん。
その母・美和子さん。
夫は
3人を一度に失った。
裁判員裁判は死刑を選んだ。
高裁は無期懲役に覆した。
警察は逃走の事実を
住民に知らせなかった。
2015年9月、埼玉県熊谷市。
「熊谷6人殺害事件」。
2015年9月13日、熊谷警察署で任意同行され取り調べを受けていたペルー国籍のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン(当時30歳)が、喫煙を装って逃走した。3日間にわたる逃走の間に3軒の住宅に侵入し、男女6人を次々に殺害した。
被害者はどんな人たちだったのか。
加藤裕希さんは、妻・美和子さん(41歳)、長女・美咲さん(10歳、小学5年)、次女・春花さん(7歳、小学2年)の3人を一度に失った。事件発生約4ヶ月前に撮影された美咲さんと春花さんの写真が、今も加藤さんの手元に残されている。
加藤さんは語った。
「本心を言えば、もう死にたいという気持ちです。私は全部を失って生きる希望がありません」
家族3人を
一度に奪われた。
何が起きたのか。
9月14日夕方、ナカダは熊谷市内の住宅に押し入り、50代の夫婦を殺害した。15日から16日にかけて、80代の女性を殺害。その後、加藤さんの自宅に侵入し、妻と娘2人を殺害した。後の捜査で、長女・美咲さんに性的加害をしていたことも明らかになった。
ナカダは加藤さん宅で発見された際、2階から飛び降り頭部を強打。意識不明の重体となったが、9月24日に意識を回復し、10月8日に逮捕された。
3人を殺害したあとも
その場にとどまっていた。
しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。
埼玉県警は何をしていたのか。
ナカダが逃走した翌日、9月14日に最初の夫婦が殺害された。県警は事件発生から約7時間後、ナカダを参考人として全国手配していた。つまり「男の犯行」とほぼ断定し、逃走の事実とさらなる事件発生の危険性を認識していた。
それでも県警は地域住民にこの事実を広報しなかった。
加藤さんが家族を殺された後になって、初めてナカダの逃走を知った。
危険性を認識していた。
それでも知らせなかった。
🔴 判決と二重の闘い
2018年、さいたま地裁の裁判員裁判は死刑判決を言い渡した。検察側は「金を奪う目的で6人を殺害した」「自己防衛的な行動を取っており違法性を認識していた」として完全責任能力を主張した。
しかし2019年、東京高裁は一審を破棄し、統合失調症による心神耗弱を理由に無期懲役とした。検察は上告を断念。弁護側のみが上告したが、2020年9月、最高裁は上告を棄却し、無期懲役が確定した。
6人を殺害したにもかかわらず、
心神耗弱が認定され、
判決は無期懲役となった。
加藤さんは被害者参加制度を利用し、法廷でナカダに直接問いかけた。判決確定後、加藤さんは語った。
「司法はもっと被害者に寄り添ってほしい。控訴審が無期懲役としたのは誤審だと思う」
刑事裁判で終わりではなかった。
加藤さんは「最初の事件の段階で住民に注意喚起していれば家族の被害は防げた」として、埼玉県を相手に国家賠償請求訴訟を起こした。
2022年、さいたま地裁は請求を棄却。2023年、東京高裁も控訴を退けた。
「県警の対応は不合理だとは言えない」
とされた。
刑事裁判で無期懲役になった。
民事訴訟でも県の責任は認められなかった。
加藤さんは2024年、最高裁に上告した。
「これが最後になる」
と語った。
危険人物が逃走していた。
県警はそれを知っていた。
住民には知らされなかった。
3人が殺された。
裁判では死刑が無期懲役に覆った。
県の責任も認められなかった。
加藤さんは家族の遺影を前に、
今も一人で生き続けている。
あなたは、危険性を認識していながら住民に知らせなかった県警の対応と、6人を殺害したにもかかわらず無期懲役となったこの判決に、何を思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ) retweeted
ランドセルが空き地に落ちていた。
近くの段ボール箱の中に
7歳のあいりちゃんがいた。
下校途中、たった一人で歩いていた。
それだけだった。
検察は死刑を求刑した。
判決は無期懲役だった。
父親は言った。
「あいりは2度殺された」
2005年11月22日、広島市安芸区。
「広島小1女児殺害事件」。
2005年11月22日午後3時すぎ、広島市安芸区矢野西の空き地に置いてあった段ボール箱の中に、小学1年生の女の子が意識不明の状態でいるのを近所の人が見つけた。女の子は近くに住む木下あいりちゃん(当時7歳)と判明し、死亡が確認された。死因は首を絞められたことによる窒息死だった。
あいりちゃんはどんな子だったのか。
同級生の卒業式が開かれた2011年3月18日、学校側は「同級生と一緒に卒業させてあげたい」として卒業証書と同じ文書を作成。校長が「多くの友の中で共に過ごしたことを証します」と伝えて母親に手渡した。母親は「ありがとうございます」と答え、涙ぐんだ。
同級生が卒業する日、
あいりちゃんは卒業証書を受け取れなかった。
何が起きたのか。
事件から8日後の11月30日、遺留品や目撃情報などから近くのアパートに住む当時33歳のペルー人の男(ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ)を殺人と死体遺棄の容疑で逮捕した。
広島地検は殺人や強制わいせつ致死などの罪で起訴した。
下校途中、一人で歩いていた。
それだけが理由だった。
しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。
加害者には前科があった。
差し戻し控訴審では、ペルーでの幼い女の子2人に対する性犯罪歴が証拠採用された。しかし広島高裁は「罪を犯したことが確実ではなく、日本国内での前歴や前科と同じように取り扱うことは許されない」として、量刑を考慮するための資料には用いないと述べた。
ペルーで幼い女の子2人への性犯罪歴があった。
それでも量刑の考慮から除外された。
裁判は複雑な経緯をたどった。裁判員裁判のモデルケースとされ、公判前整理手続が行われた。被告は法廷で意味不明の言動を繰り返し、公判が度々中断した。
法廷で意味不明の言動を繰り返した。
公判は何度も中断した。
🔴 判決
検察側は死刑を求刑したが、一審広島地裁は無期懲役を言い渡した。検察と弁護側の双方が控訴するなどし、2010年8月に無期懲役が確定した。裁判は4年余りにわたった。
父・建一さんは語った。「悪魔の存在を主張し続けたことは疑問で、納得いかなかった。性犯罪というのは非常に悪質な犯罪であるので刑罰は重いんだという認識が社会に広まればいい」
検察は死刑を求めた。
ペルーでの性犯罪歴は考慮されなかった。
判決は無期懲役だった。
父親は言った。
「あいりは2度殺された」
7歳のあいりちゃんは下校中に殺された。
段ボール箱に入れられた。
ペルーでの前科は考慮されなかった。
4年かけて無期懲役が確定した。
同級生が卒業する日、
母親は学校から卒業証書を受け取った。
「あいりは2度殺された」という父の言葉は
20年経った今も消えない。
あなたは、ペルーでの幼い女の子への性犯罪歴が量刑に考慮されず、死刑求刑に対して無期懲役となったこの判決を、どう思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ) retweeted
動画と思いを文章を作って頂き
ありがとうございます。
今でも料理をする動画や、鉄棒の動画、その一つ一つの仕草が懐かしいです。
同じように鉄棒をしてる小学生を見かけても、料理している動画を見かけても妹ではありません。
人それぞれの仕草って感覚的に
覚えてるんだなと感じます。
妹に触れたいです。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ) retweeted
東大を卒業して
夢の会社に入社した。
月105時間の残業。
上司に言われた言葉
「髪ボサボサ、目が死んでる」
「君の残業は無駄」
入社8ヶ月後
24歳のクリスマスに
屋上から飛び降りた。
2015年12月、東京都港区。
「電通過労自殺事件」。
高橋まつりさんは東京大学文学部を卒業後、2015年4月に広告大手「電通」に入社した。デジタル・アカウント部に配属され、インターネット広告を担当した。
まつりさんはどんな子だったのか。
母・幸美さんは語る。「まつりは小学生のころから、ずっと電通に入りたいと言っていた。夢を叶えた娘でした」。東大を首席クラスで卒業した努力家だった。
何が起きたのか。
入社後すぐに長時間労働が始まった。2015年10月の残業時間は105時間に達した。睡眠は1日2時間を切る日が続いた。
上司からは「髪ボサボサ、目が死んでる、白目が茶色い。だらしない、何とかしろ」「女の子なんだから、もっと清潔感を持って」「君の残業は会社の生産性を落としている、無駄」などの言葉を受けた。
睡眠2時間
それでも「残業は無駄」と言われた。
まつりさんはTwitterに苦しさを綴っていた。「眠れない眠れない眠れない眠れない」「土日も会社行かなければならないことが本当に辛い、誰か助けて」「もう4時だ。つらい」
助けを求めていた。
SNSに書き続けていた。
2015年12月25日、クリスマスの早朝、電通の社員寮から飛び降りて死亡した。当時24歳だった。
しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。
電通は何をしていたのか。
電通は過去にも1991年に入社2年目の社員・大嶋一郎さん(当時24歳)が過労自殺しており、最高裁で会社の賠償責任が確定していた。それでも長時間労働の体質は変わらなかった。
24年前にも同じ死があった。
それでも何も変わらなかった。
電通では残業時間を実際より少なく見せるため、社員が自ら残業時間を過少申告するよう促す文化があったとされる。まつりさんの残業時間も、実態より少なく記録されていた可能性が指摘された。
月105時間の残業が
記録では少なく書かれていた。
🔴 判決と処分
2016年9月、三田労働基準監督署は過労による労災を認定した。まつりさんの死亡前1ヶ月の残業時間は105時間と認定された。
2017年10月、電通は労働基準法違反で東京簡裁から罰金50万円の有罪判決を受けた。法人として起訴された。
民事では、電通が遺族に対して約1億5000万円を支払う内容で和解が成立した。
一人の命
罰金50万円。
当時の社長・石井直氏は辞任した。しかし刑事責任を問われたのは法人としての電通のみ。直接の上司への刑事処分はなかった。
上司への刑事処分
ゼロ。
月105時間残業させた。
「残業は無駄」と言った。
24年前にも同じ死があった。
それでも体質は変わらなかった。
24歳のクリスマスに死んだ。
罰金は
50万円だった。
母・幸美さんは語った。「まつりの死を無駄にしないために、日本の労働環境を変えたい。まつりが最後の犠牲者になってほしい」
まつりさんが最後の犠牲者に
なれたのか。
あなたは、月105時間残業させ「残業は無駄」と言い続けた会社への罰金が50万円だったことを、どう思いますか。
Ajay Verma (アジャイ・ヴェルマ) retweeted
不正を断った。
上司に指示された補助金の不正書類を作ることを、拒んだ。
公益通報した。
市は15人を処分した。
しかし復職後、
処分を受けた職員と同じフロアに配置された。
保護措置は、何もなかった。
2020年6月、自宅で死亡しているのが見つかった。
28歳だった。
2020年6月、和歌山市。
「和歌山市公益通報者自殺事件」。
岩橋良浩さんは2015年4月に和歌山市職員として採用され、2018年5月に青少年課に異動した。担当となった児童館で交付金の不正手続きを命じられたことを苦に休職し、同年8月に公益通報を行った。市は約1900万円の不正支出があったとして2020年2月に職員15人を懲戒処分とした。同年4月の人事異動で、処分された職員と同じフロアで勤務することになり、同年6月に自宅で死亡しているのが見つかった。当時28歳だった。
良浩さんはどんな人だったのか。
母・啓子さんは語った。
「息子は不正があった市役所を変えたかったのだと思う。市が問題と向き合うよう、息子の遺志を継ぎたい」
市役所を良くしたかった。
そのために不正を告発した28歳だった。
何が起きたのか。
2018年5月、児童館で上司から不正な補助金申請の書類作成を指示された。これに従わず、心身に不調をきたして休職。同年8月に市の外部窓口に公益通報を行った。
不正を断った。
心身が壊れた。
それでも公益通報した。
市は動いた。15人を処分した。
しかし良浩さんへの保護措置は、何もなかった。
しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。
2018年10月に別の部署で復職したが、2020年4月の人事異動で、不正に関わったとして懲戒処分を受けた職員と同室での勤務とされた。
自分が告発した相手と、同じ部屋にされた。
公益通報者保護法があった。
しかし市は保護措置を一切とらなかった。
告発した。
守られなかった。
告発した相手と同じ部屋にされた。
死んだ。
市長のコメントは
「訴状が届いていないため、コメントは差し控える」
だった。
息子が死んだ。
市長の答えは「コメントは差し控える」だった。
🔴 現在の状況(裁判進行中)
2025年6月12日、両親が市に計約8800万円の損害賠償を求めて和歌山地裁に提訴した。裁判は現在進行中。判決は出ていない。
弁護士は指摘した。
「公益通報後に不利益がないように全力で守るというメッセージを伝える必要があったが、行われていなかった」
公益通報者保護法があった。
保護措置はゼロだった。
告発した相手と同じ部屋にした。
28歳が死んだ。
「市役所を変えたかった」と母親は語った。
その息子の遺志を市は今も法廷で争っている。
あなたは、不正を告発して守られなかった28歳の死に対し「コメントは差し控える」と言った市に、何を思いますか。
この事件を元に作ったのが、
映画:子宮に沈める
シングルマザーが男できると、
なぜか子供が犠牲なる事件が多すぎ☹️
虐待して殺人事件、
最近では、京都の行方不明事件とか…
watch.amazon.co.jp/detail?gt…
閉じられた扉の向こうで、
姉弟は約50日間、待ち続けた。
それでも——
誰も、助けに来なかった。
3歳の桜子ちゃんは、
冷蔵庫の辛子とマヨネーズを舐めた。
カップ麺の容器も、残らず舐めた。
それを、1歳の弟・楓くんにも分け与えた。
2010年、大阪で起きた
「大阪二児置き去り死事件」。
2010年7月30日、大阪市西区のマンションで
3歳の女の子と1歳9ヶ月の男の子の遺体が発見された。
死後50日。
部屋はゴミと排泄物にまみれていた。
エアコンは止まり、水道も出なかった。
姉弟は何をしていたのか——
食べ物がなくなると、桜子ちゃんはゴミを漁った。
製氷庫に残った氷の結晶まで舐めた。
それでも弟に分け与え続けた。
最後に桜子ちゃんは食中毒を起こし、
弟より10時間以上早く息絶えた。
母親は、その間どこにいたのか。
男性と過ごし、海水浴に行き、ホテルに泊まっていた。
その様子をSNSに投稿していた。
しかし、この事件には「もう一つの顔」がある。
3月から5月にかけて、
近隣住民が児童相談所に複数回通報していた。
「子どもの泣き声がずっと聞こえる」と。
児相職員は部屋を5回訪問した。
しかし、5回とも——
インターホンを押して、帰った。
ドアを開けなかった。
中を確認しなかった。
調査を打ち切った。
2008年に改正された児童虐待防止法では、
職員が強制的に立ち入る権限が与えられていた。
しかし2011年時点でその権限が使われたのは、
全国でたった3件。
扉一枚を開ける権限があった。
法律も、権限も、通報も、あった。
それでも、二人は死んだ。
🔴 判決
2012年、大阪地裁は懲役30年。
裁判長は
「犯行態様はむごいの一言に尽きる」と述べた。
同時にこうも言った——
「被告1人を責めるのはいささか酷だ」と。
母親自身も幼少期にネグレクトを受け、
中学時代には性被害に遭い、
22歳で養育費もなく、親族の援助もなく、
公的支援の使い方すら誰も教えてくれなかった。
5回、扉の前に立った大人たちは
インターホンを押して帰った。
桜子ちゃんと楓くんが
「お腹すいた」と泣いていたかもしれない扉の前で。
この国のシステムは、
子どもの泣き声より、
「不在確認」という書類を優先した。
あなたは、この事件を
「母親一人の罪」だと思いますか。
RT @reisuiabiroyo: 既に福祉は充分ある。
そこに自らアクセスしなかった以上、この母親が1番悪い。
児童相談所は、厚生労働省が箱を作って、その中身は、市の職員が運営している、極めて責任管理が不安定な組織。…
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なぜ死刑にしないのか。
そもそも『パパ』ではなく
『ママの男』だろう。
我が子を愛せない
我が子より男をとる雌なんぞ
親にしておく資格はない。
今この瞬間も起きているかもしれない虐待。
命を大切にできないならば
Sexをするな。
ノートに、こう書いてあった。
「もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」
5歳の女の子が——書いた言葉だった。
2018年、日本で起きた
「目黒区女児虐待死事件」。
船戸結愛ちゃんは当時5歳。
2018年3月2日、
東京都目黒区の自宅アパートで
死亡しているのが発見された。
死因は——敗血症。
全身には170カ所以上の傷とあざがあった。
死亡時の体重は——12.2キロ。
1ヶ月前の健康診断では16.6キロだった。
たった1ヶ月で——
4キロ以上が消えていた。
義父・船戸雄大は何をしていたのか——
毎朝4時に目覚ましをセットさせ、
勉強を強制した。
食事は1食につきスープ1杯か、
お椀半分のご飯のみ。
自宅には
「いきがきれるまでうんどうする」など
20項目近くのルールが書かれた段ボールがあった。
2月下旬には
風呂場で冷水を浴びせながら
顔を何度も殴打した。
嘔吐しているのを確認して
「生命の危険」を認識していたにもかかわらず——
病院には連れて行かなかった。
結愛ちゃんはノートに書き続けた——
「ママ もうパパとママにいわれなくても
しっかりとじぶんから
きょうよりかもっと あしたはできるようにするから
もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」
5歳が——
「ゆるしてください」と書いた。
児童相談所は何をしていたのか——
香川県時代にすでに2度、
結愛ちゃんを一時保護していた。
「パパに蹴られた」と本人が話し、
病院が通報していた。
それでも——
家庭に戻された。
東京への引っ越し後、
香川県の児相は東京の児相に引き継いだ。
しかし——
写真などの客観的資料は送付しなかった。
東京の児相は2度家庭訪問したが
安全確認できず、
それでも
「緊急性は高くない」と
判断を変えなかった。
結局——
児相が立ち入り調査に踏み切ることはなく、
結愛ちゃんは死亡した。
判決は——
義父・船戸雄大に懲役13年。
裁判長は
「苛烈な虐待を主導し、身勝手極まりない」と断じた。
実母・優里には懲役8年。
しかし——
結愛ちゃんは2度も一時保護されていた。
「パパに蹴られた」と自分で言っていた。
病院が通報していた。
児相が関与していた。
それでも——
死んだ。
厚労省の検証委員会は指摘した——
「児童相談所間の引き継ぎに問題があった」
「リスクを低く見積もった」と。
「問題があった」。
5歳の命が——
「問題があった」という言葉で
片付けられた。
結愛ちゃんは知っていた。
助けを求める言葉を知っていた。
「ゆるしてください」と——
ひらがなで書けるほど。
その言葉は——
誰にも、届かなかった。
今日も——
どこかの密室で、
同じことが起きていないと
誰が言い切れるのか。
【少年法は、彼を守らなかった。】
「助けてくれ」と叫んでも、
誰も来なかった。
2015年、日本で起きた
「川崎中1男子生徒殺害事件」。
2015年2月20日の深夜、
神奈川県川崎市の多摩川河川敷で、
13歳の中学1年生・上村遼太くんが
命を奪われた。
加害者は——17〜18歳の少年3人。
衣服を剥ぎ取られ、
顔・腕・足・首を刃物で
繰り返し傷つけられた。
真冬の多摩川で、
川に入ることを強いられた。
必死に泳ぐ遼太くんを見て、
加害者たちは嘲笑しながら言った。
「おもしろくね?」と。
全身に43箇所の傷。
少年たちは遼太くんを河川敷に置き去りにして逃げた。
遼太くんは川から這い出すと、
動かない身体を懸命に引きずり——
23.5メートル進んだところで、
息絶えた。
誰も、助けに来なかった。
遼太くんは知っていた——
グループを抜けると伝えたとき、
彼は友達にLINEでこう送っていた。
「暴力が激しくなった。
もう限界だ。
命が危ない」と。
それでも——誰も、動かなかった。
加害者たちのその後——
主犯には懲役9年以上13年以下の不定期刑。
事件から10年が経った今、
加害者全員がすでに出所しているか、
出所間近の状況にある。
名前や素性を変えて
一般社会に溶け込んでいる可能性もあり、
その実態は不透明なままだ。
遼太くんの父親はこう語った。
「遼太は13歳で未来を奪われ、
死後もプライベートを暴かれる。
でも犯人たちには、まだ何十年もの人生がある。
少年法によって、たくさんのことを守ってもらえる。
こんなの間違っている。
絶対におかしい」と。
遼太くんは、13歳だった。
夢があった。
帰る家があった。
待っている家族がいた。
それが——
冬の川の中で、
たった一人で
終わった。
少年法は、彼を守らなかった。
加害者たちは今、
どこかで生きている。
しかし——
遼太くんの23.5メートルは、
消えない。
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いい加減にストーカー規制法を見直す時期なんじゃないのか?
どれだけ女性が殺されたら変わるんだよ。
ここを変えないと警察の動き方も変わらないんだわ。
刑事だって公務員なんだからね。
首になりたくないわけ。
彼女は、助けを求め続けた。
何度も。何度も。何度も。
誰も、動かなかった。
1999年、日本で起きた
「桶川ストーカー殺人事件」。
1999年1月、
21歳の女子大生・猪野詩織さんは、
大宮駅のゲームセンターで
一人の男と知り合った。
男は偽名を使い、職業も偽っていた。
その正体は——裏社会の実業家だった。
交際が始まり、別れを告げると——
男の本性が現れた。
詩織さんの顔写真入りの中傷ビラが、
自宅周辺・通学先・父親の勤務先に
数百枚ばらまかれた。
無言電話。
自宅への押しかけ。
インターネットへの個人情報の拡散。
詩織さんと家族は——
何度も警察に助けを求めた。
しかし——
警察はこう言った。
「事件か民事かギリギリだな」
「あんたもいい思いしたんじゃないの」
「嫁入り前の娘さんだし、裁判になれば辛い目に遭う」
助けは、来なかった。
1999年10月26日、
JR桶川駅前の路上で、
詩織さんは刃物で刺され、命を奪われた。
後に発覚したのは——
警察が告訴状を勝手に改ざんし、
ずさんな捜査を隠蔽していた事実だった。
犯人を最初に特定したのは——
警察ではなく、一人の週刊誌記者だった。
主犯の元交際相手は逃亡後、自殺。
刑事責任は問われなかった。
関与した4人には
無期懲役から懲役15年の判決。
警察官3人は懲戒免職となった。
事件から25年が経った今も、
加害者からの謝罪は一切ない。
裁判で認められた賠償も、
支払われていない。
詩織さんの父はこう語った——
「娘は3度殺された。
犯罪者に。
捜査を怠った警察に。
真実を報じなかったマスコミに」と。
この事件が契機となり、
翌2000年に「ストーカー規制法」が制定された。
しかし——
その後も、ストーカーによる事件は
繰り返されている。
法律は、できた。
でも——
詩織さんは、戻らない。
「助けてください」という言葉が
届く社会に——
本当に、なったのだろうか。
そして——
今も同じような事件が起きている。
これは本当に、防げないのか。
あなたはどう思いますか?
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2008年、東京・秋葉原で起きた
秋葉原通り魔事件。
2008年6月8日、日曜日。
多くの人で賑わう秋葉原の歩行者天国に、
一台のトラックが突入した。
数人がはねられ、現場は一瞬で混乱に包まれた。
しかし——
それは、始まりに過ぎなかった。
運転していた男は車から降りると、
ナイフを手に無差別に人々を襲い始めた。
逃げ惑う人々。
倒れていく被害者。
その光景は、
日常とは思えないものだった。
最終的に——
7人が死亡、10人以上が重軽傷。
現場で取り押さえられた犯人は、
犯行前、ネット掲示板に書き込みを残していた。
「人生に疲れた」
「誰でもよかった」
そして——
犯行の様子をリアルタイムで書き込んでいたともされている。
なぜ、こんな事件が起きたのか。
誰にも止められなかったのか。
“安全な国”とされてきた日本で、
この事件は大きな衝撃を与えた。
そして——
あれから年月が経った今も、
同じような無差別事件は繰り返されている。
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【衝撃】
中国人留学生3人が侵入した夜——
37,000円のために、4つの命が奪われた。
2003年、日本で起きた
「福岡一家4人殺害事件」。
2003年6月20日、
福岡市東区の閑静な住宅街に、
中国人留学生3人が侵入した。
まず、入浴中の母親を殺害。
眠っていた11歳の長男を絞殺。
そして——
8歳の長女を人質に取り、
帰宅した父親を脅迫した。
父親は土下座して懇願した。
「娘だけは助けてくれ」と。
しかし——
犯人たちは、その願いを聞き入れなかった。
一家4人全員が殺害され、
遺体はダンベルなどの重りを付けられ、
博多湾に沈められた。
奪われた現金は——
わずか約37,000円。
犯人3人は逮捕され、
裁判にかけられた。
うち2人に死刑判決、
1人には無期懲役が確定した。
しかし——
父が娘を守れなかった夜は、
決して消えることはない。
37,000円のために、
4つの命が奪われた。
この国で、
「普通の夜を過ごす」ことは、
本当に守られているのか。
そして——
今もどこかで、
同じことが起きようとしているのではないか。
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「安全なはずの場所」が、一瞬で崩れた。
2001年、日本で起きた
「大阪教育大学附属池田小事件」。
2001年6月8日、
大阪府池田市の小学校に、
包丁を持った男・宅間守が侵入した。
授業中の教室で、
児童や教師を次々と襲撃。
逃げる時間すら与えられなかった。
この事件で、8人の小学生が命を落とし、
15人以上が重軽傷を負った。
犯人は過去に前科があり、
精神的な問題も抱えていたとされている。
それにもかかわらず、犯行を防ぐことはできなかった。
侵入は学校の安全体制の甘さを突く形で行われ、
当時の防犯体制に大きな課題があったことが明らかになった。
犯人は現場で取り押さえられ、
その後、死刑判決が確定した。
この事件は日本中に大きな衝撃を与え、
学校の安全対策が見直されるきっかけとなった。
しかし——
奪われた命は、二度と戻らない。
「安全な場所」と信じられていた学校で、
なぜ、こんなことが起きたのか。
そして——
同じことは、
本当に防げると言い切れるのか。
それとも——
また繰り返されるのか。
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【不可解】
“誰もいないはずのエレベーターで、彼女は何を見ていたのか——”
数日後——
彼女は遺体となって発見された。
2013年、アメリカ・ロサンゼルスの
Cecil Hotelで起きた、
「エリサ・ラム死亡事件」。
21歳の大学生エリサ・ラムは、
旅行中にこのホテルへ滞在していた。
しかし——
ある日、突然行方不明になる。
数日後、公開された“監視カメラ映像”。
そこに映っていたのは——
エレベーターの中で、
不可解な行動を繰り返す彼女の姿だった。
ボタンを何度も押し、
外を覗き、
誰かと話しているかのような仕草。
しかし——
そこには、誰もいなかった。
この映像は世界中に拡散され、
多くの憶測を呼んだ。
事故か、事件か——
それとも——
数日後、
ホテルの屋上にある水タンクの中から、
彼女の遺体が発見された。
きっかけは——
宿泊客が「水の味がおかしい」と
訴えたことだった。
なぜ、彼女はそこにいたのか。
屋上は施錠されていたはずだった。
単独で侵入するのは困難とされている。
事件性は否定されたが、
多くの疑問は残されたまま——
今もなお、“不可解な事件”として語られている。






