
未来制作所イフリート @E_FREAT 所主/ミリオンアーティスト/ノートワールドサーガ @KnoteWorld_Saga 原作:人間の自由のために“斗う”クリエイター。|Founder of E-FREAT/Million-Artist: I will Fight to Protect our Humanity.
六四天安門じゃなくて埼玉某所の事務所
Joined September 2009
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ども、全地球の皆様おはこんばんちわ。
人呼んで「謎作家」、船沢です。m(_ _)m
おかげさまで、本年9月30日でTwitter(X)登録から17年目。
人間ならば高校2年生、あの頃の私は空手部に入って半年か。🤔
それでは、どなた様もひとつよしなに。\(^o^)/
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なんかよい
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
弱者を弱者のまま、醜く惨めで攻撃性が高く怠惰なまま肯定するというのは、青年漫画が長い間試みているし、文学はそれよりもっと前から試みている。英雄譚を諦めれば弱者は救われるんすよね。だからいつまででも子供向けの英雄譚に弱者の救済と肯定を求めちゃいけないんですよ。主人公はいつだって英雄
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
鬼滅の刃は弱者に優しいかどうかですが、「少年漫画の限界まで優しい」とおれは思ってますね。そもそも少年漫画は太古の昔からガキや男たちが胸踊らせてきた英雄譚の延長線上にある存在だから、どう足掻いても弱者を弱者のまま肯定できない。弱者も誰かに優しくして役に立てるんだよというのが限界
鬼滅において冷酷というより現実的だなと思ったのは、
凄惨な過去を持つ人の中に鬼になる人、鬼殺隊になる人がきっぱり別れていたという点です
「こんな状況にした世界が悪い」と外側に向いた人は鬼になり、「守りきれなかった自分が悪い」と内側に向いた人は鬼殺隊に入る
後者はとてもカッコ良くはあるのですが、一方でこういう極限状態でも自責を感じれる人は『そもそもメチャクチャ強い人でもある』ということです
弱い人は「自分は辛い思いをしてきたのだから、誰かを傷つけても仕方ない」と思ってしまう、これは人間が加害に踏み出すときの典型的な言い訳のひとつですが、あの世界では「鬼になることへの免罪符」となります
犯罪社会学者のサイクスとマッツァは、非行に走る人の多くは規範や法律そのものを否定しているのではなく、
「環境がそうさせた」「相手もそうされて当然だ」という言い訳で規範を一時的に無効にしていると指摘し、これを『中和の技術』と呼びました
『鬼になる』のはまさに中和の技術ですが、
この物語ではそれを安易に肯定することはなく、炭治郎は鬼の過去に涙を流しながらも罪を許すことはしないという、同情と免責をはっきり分けた描かれ方をしています
それが冷酷でもあり、正しすぎる価値観の中にある『優しさ』の正体でもあります
現実においても、ひどい扱いを受け続けた人が無関係な他者に強く当たってしまう場面は珍しくありません
だからこそ社会の側には、弱い人が「泣き寝入りか加害か」の二択に追い込まれる前に、手を差し伸べられる仕組みを用意しておく責任があるのだと思います
「鬼滅」の弱者観は、正しいとか悪とかではなく、凄まじく冷酷な事実である「弱者は時に加害者になってしまう」という面と向き合ったのかなと思ってしまう。
実際それは多く、貧困と犯罪発生率の相関はいまさら語るまでもないし、さらにいえば「自分はこんな辛い思いをしてきた」からの「だから今度は自分がつらい思いを”させて”いいのだ」と考えるまでの人間があるのも、事実なのだ。
いやホントマジで、重罪から微罪まで、いざ囚われた時、必死になって自分の「可哀想自慢」をして、「だから私はこんなことをしても仕方ないのだ」と訴えるものは多い。
全く無関係な相手への、見当外れな犯罪でも、それが道理と「通る」と思ってしまうくらいには、人は迷う。
さりとて、「自分は死ぬまで弱者のまま」「死ぬまで泣き寝入りしていろ」という苦しさも、耐え難い物があるのも事実。
だからこそ、「復讐」「ざまぁ」がコンテンツとして成り立つのだから。
だが、だからこそ「そうしない」ことに「人間としての最後の、そして最大の尊さ」を訴えたとも言えるのかもなと、それこそ「ジョジョ」における「黄金の精神」に通じるものとして。
「ジョジョ」に出てくる「悪」たちは、小悪党から巨悪まで、「自分が悪を行う正当性」を吠える。
特にシリーズのボスキャラほどそうだろう。
「これが世界の断りなのだ」「自分は優秀だから」「みんなのためにやってるのだ」様々あるが、「だからいいのだ」である。
悪の行いが「許される理由」を上げている。
「それでも」しない者たちの精神の高潔を、「黄金」に喩え描いた物語と言えよう。
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
弱者が嫌いというより弱者、もっというと善くなれないもの正しく在れないものに対して厳しいし性善説というより本質が善でないものは人間ではないと考えているところがある。
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
なんていうか、「オレたちの弱さも醜さも何もかも全部許して甘やかしてくれないなら真の正義とは認めてやーらない!」みたいないじけかたって、それこそマジモンの悪だよね。善人の善性にどんだけ負担かけたら気が済むんだよ、と思う。そのくせ自分は正義の穴を突いた気になってるからタチが悪いよね。
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
「鬼滅の刃は弱者に冷たい!」と主張している人たちの話を聞いていくと、それって「弱者に冷たい」じゃなくって「悪人に冷たい」ってことじゃないの? と思う。「俺たち悪人を甘やかしてくれない正義なんて真の正義じゃないやい」みたいな。そりゃ無茶な注文だよ。泣きながら斬ってるぶん、優しいよ。
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
倫理観が終わってる人は自分のことをかわいそうな弱者だと思ってるので(半天狗のように)、読んだら「この漫画は弱者に厳しい!」と憤るのではないかしら
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
鬼滅が「弱者に厳しい」っていう発想、全然なかったので驚いた(むしろ逆ではと思う)。たぶん「倫理観が終わってる人に厳しい」が近い気がする
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
なんか「相互破壊確証」なんてワードが飛び出してるけど、コレってお互いに「俺の国を滅茶苦茶にするならお前の国も滅茶苦茶にするぞ」だから成り立つのであって、「俺の国はもう滅茶苦茶にされた後なんだよ!」の相手には成立しないんだよね
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
Replying to @yoshinoshiR
半天狗さんが救われないのは差別!
半天狗さんに黙って喰われないのは差別!
…こんなん言うのは半天狗本人じゃね?
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
Replying to @mokyuazarashi @yoshinoshiR
虐げられる者からは抜け出したいけど、虐げられる者−虐げる者の構造は社会に維持したい。または補強したい。そういうことではないかな。
これはその構造そのものがいつか無くなる社会を少しでも拡げようとする物語の主人公とは、真っ向から対立する「鬼」の心なのかもしれない。
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
Replying to @yoshinoshiR
虐げられたことで「虐げた側のようにはなりたくない」とならず「自分が虐げた側の位置につきたい」となる、つまり虐げる側の姿を憧れに持ってしまうタイプの弱者」かな
これは弱者量産スパイラルを生んでしまうので肯定しようがない
その態度が「弱者への憎しみ」に見えるとしたら、自己投影なのかもね
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
「私は誰かに牙を剥かなきゃ生きられないんです」って
それはもう思い込みに囚われた鬼じゃないですか
上手くできるできないじゃなくて、せめて牙を抑えようと想う意志は持ってくれ
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
鬼滅の刃が弱者に優しくないと読まれているらしい
「私は精神的な弱者なので、もっと弱い者を食い物にしてしまいます。そうしなければ生き延びられない。
そんな私の攻撃性も丸ごと受容してくれるのが真の弱者尊重でしょ?」
こういうこと?
船沢荘一 /Show-ichi Funasawa retweeted
ワニ先生は人が頑張る姿を美しいと思ってるだけで弱者が嫌いはないと思う
むしろ強者の傲慢を嫌ってるから煉獄さんのノブレス・オブリージュを描写したり無惨を悪に配置してる





















