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ありのままの自分を愛してくれるって何かの思い込みというかそうありたい願望なだけで、本来は努力や歩み寄り、時には自分を抑えて譲ることでパートナーシップは維持されるんだよね。別で、ありのままで本当に気を遣わない同士っていうのは相手に期待しないタイプ同士ってことだと思う。
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忌憚のない意見を言わせてもらえば
子宮がなくて他人の腹を裂いて毟り取ってでも子が産みたいという人に必要なのは、メンタルケアであって移植ではないと思う。
子宮ない女性のための子宮移植 臨床研究計画を申請 藤田医科大 asahi.com/articles/ASVBX1V7M…
子宮がない女性の出産を可能にするための子宮移植について、藤田医科大学のチームは28日、国が認定した学内の審査委員会に臨床研究の計画を申請したと発表した。申請は26日付。
臓器移植は「人体の生命に関わるもの」だけ認められているはずなのに女性のだけの臓器になると倫理観はなくなり(女性は人間ではないのでしょうか)、2500万円のビジネスになる、酷い話です 臓器売買に反対します
子宮ない女性のための子宮移植 臨床研究計画を申請 藤田医科大 asahi.com/articles/ASVBX1V7M…
子宮がない女性の出産を可能にするための子宮移植について、藤田医科大学のチームは28日、国が認定した学内の審査委員会に臨床研究の計画を申請したと発表した。申請は26日付。
おぞましい計画だ……
臓器を失うと女性は体のバランスが損なわれるし、親族でって何?提供しても体壊すし提供しなくても親族から非難されるって地獄でしかない。
子宮ない女性のための子宮移植 臨床研究計画を申請 藤田医科大 asahi.com/articles/ASVBX1V7M…
子宮がない女性の出産を可能にするための子宮移植について、藤田医科大学のチームは28日、国が認定した学内の審査委員会に臨床研究の計画を申請したと発表した。申請は26日付。
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自分から他人の境界を越えて口説いておきながら、拒絶された瞬間に「客」という優位な立場へ逃げ込み、相手を断罪する――「オジアタック」が忌み嫌われる理由は、この「最近の接客業ってこんなもんなの??」という一言に凝縮されている。
問題は、店員に連絡先を渡したことでも、「脈アリ」と勘違いしたことでもない。
自分から「店員と客」という境界を越えて、私人として相手を口説いた。それなのに拒絶された途端、
「俺は客、お前は店員」
に戻る。
口説くときだけ対等。
振られたら客。
このポジションチェンジこそ、オジアタック特有の卑劣さだ。
自分には、勤務中で逃げにくい相手へ突然連絡先を渡す自由がある。
一方、相手には「自分を傷つけず、恥をかかせず、感じ悪くもならず、誤解もさせないよう上手に断る義務」があると考える。
笑顔で受け取れば「脈アリ」。
その場で断れば「感じ悪い」。
後で処分すれば「人の好意を踏みにじった」。
つまり最初から、拒絶する側に正解などない。
唯一の正解は「俺の好意を喜んで受け入れること」だ。
「人の好意を踏みにじって」という言葉も象徴的だ。
好意を差し出した瞬間、相手に何らかの債務が発生したことになっている。
ちゃんと喜べ。
ちゃんと受け取れ。
ちゃんと断れ。
俺を傷つけるな。
頼まれてもいない好意を一方的に差し出した側が、受け取り方まで指定する。
そして期待どおりに扱われなければ、自分が「傷つけられた側」に回る。
ここでいう「オジ」は、単なる年齢や性別ではない。この振る舞いの様式を指している。
「客」「年長者」「先輩」「上司」「金を払う側」「評価する側」といったポジションに慣れ、その非対称性を親密圏にまで持ち込む。
自分が欲望し、距離を詰めるときには「一人の男」として対等な自由を要求する。
ところが拒絶されると、相手の自由はそのままでは認めず、「客」「年長者」「評価する側」という安全圏へ戻って拒絶の仕方を採点する。
自分の欲望には自由を。
相手の拒絶には礼儀を。
しかも、その「礼儀」の基準を決めるのも自分だ。
オジアタックが嫌われるのは、年上が年下を好きになるからではない。
この卑劣、愚劣が嫌われている。
まあ、本人は、永遠に自覚できないだろうがね。
リプ返し見てゾッとした。
こんな父親要らないな……
ステップの怖さ……
仲良くやってるお家も知ってるだけにほんとありえない展開。
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男性の中にはお世話してもらうことを「愛」と思ってる人がいると思うんだけど、それを愛と思ってるまではまぁいいとしてさ、それを「愛」として女性にもやろう!と思わないところがスゲェなと思うんだよね。(褒めてない)
これ今練習中。
相手の話に自分を照らし合わせるから自分の話にすり替えたくなってしまう現象も防げるしね。
よく人と会っているのに不思議と気疲れしない人は、他人の話を聞くときにいちいち自我を発動させないことがデフォルトになっている。
自分を抑圧しているわけでも、他人に無関心なわけでもなく「自分が同じ立場ならどうするか」「自分ならどう思うか」という解釈を逐一差し込まない。相手の話を相手の世界の出来事として受け取れるから、自分の価値観と照合して賛否を決めたり、理解できない部分を無理に納得しようとしたりする認知的な作業が起こらない。
気疲れしやすいパターンは、他人の話を聞くたびに自分の価値観や経験と照らし合わせ、解釈のズレが生じるたびに違和感を処理したり、頭の中で反論したり、辻褄を合わせようとしたりしてしまう。他人の話に自分の解釈が一致する必要なんてないし、理解することと同意することも別の話なので、その不協和音をいちいち発生させなければ余計な認知的負荷がかからずに済む。他人の世界を自分の物差しで見る癖を少しずつ無くしていくと、自分と他人の境界が自然に保たれて、人とたくさん会っても不思議と消耗しにくい。
知り尽くしてしまったり家の中で一緒に生きてたり子ができると配偶者がきょうだいみたいに見えるのかもしれないってことね。いやーーーほんとそれはつらい。それなら出来ないと判断した側は認めて、相手を自由にしてあげて欲しいんだよな……ちなみに元夫は私をママと思ってるわ。
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境界線とは、他者から『性格悪いね』『冷たいね』と思われることを許すことであり、他者評価に拘らず、自分の大切にしたい人を真っ直ぐに大切にする生き方を選ぶこと。だから外野の声などどうでも良くなる。命に限りがあることを知ってるから。赤の他人に性格の悪さを指摘されようが、大切な人を日々大切に出来るなら良いと拘っている。誰を愛するか選び取るかが境界線であり、
あなたの人生を他者に委ねないことでもある。性格の悪さを許容すればするほど、あなたの心は逆説的にゆとりが増える。何故なら、あなたから奪ってくる人と距離を置ける分、無駄なことにエネルギーを使わなくなるから。誰かしこもにも優しくしている方が、負のエネルギーが蓄積し、振る舞いに棘が現れる。何においても選ぶことだよ。
一般的な人はとにかく攻撃してやり返せ!とかって人が多いけれど。そうではなく、自己愛が1番嫌がるやり方を選んで対抗するって事。単にキレ返しても効果ないことあるからね。例えば泣いて言い返しても喜ばせるだけだが、社会的に抹殺すると取り乱したりね。
自己愛には言い(やり)返したほうがいいか問題、いつもあるよな。これ私のスタンスは《復讐ならやり過ぎ、その場では言い返さないと酷くなるから即言い返せ》という感じです。
というのが自己愛ははじめの境界侵犯は観測気球、試し行為の側面がある。
なので言い返せない奴だと見られたら、ほぼ確実に追いモラハラに移行するから、明らかに不適切で飛躍した中傷されたら即言い返ずほうがいい、少なくとも《こいつに手を出したら不愉快な思いをしてつまらない》と思わせないと、あかん。
ただ何年も何ヶ月も恨みが捨てきれず憎しみ尽くして復讐する。これは自分のために良くない。まず健康に良くない。ずっと強い憎しみや恨みにとらわれると精神も病んでいく。もちろんそう思わないとやってられんことはされてる、そう思うのは仕方ないにしろ、その憎しみに自分で油と火を足し続ける行為はオススメはしない。
というか繰り返すが身体に悪い。













