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【6/30 山羊座満月!自分の喜びに、然るべき愛を注ぐ満月💫】
6月30日、8時56分、
山羊座で満月を迎えます。
この日は、
蟹座で水星が逆行を始め、
山羊座満月を迎えたあと、
木星が獅子座へ移動するという、
占星術的にはかなり濃い一日です。
満月は、
これまで積み重ねてきたことが満ちて、
ひとつの結果や気づきが見えてくるタイミング。
今回満月が起こる山羊座は、
現実化、継続、責任、努力、
長期的に形にしていく力を表すサインです。
山羊座というと、
仕事や社会的な役割
がテーマになることも多いですが、
今回の満月で照らされるのは、
「ちゃんと働く」
「社会のために頑張る」
といった感じではなくて。
むしろ今回のテーマは、
自分が好きなこと。
楽しいと感じること。
夢中になれること。
自分のためにやりたいこと。
創作や表現として形にしたいこと。
こうしたものを
これからも長く続けていけるように、
現実の中に土台をつくっていくことが
鍵になっていきそうです。
■「好き」を消耗させないために
「夢中になっている」「楽しい」
という気持ちは、
人を動かす強いエネルギーです。
でも、
好きなことを好きなまま続けていくには、
気持ちだけでは足りないこともあります。
時間の使い方。
お金の使い方。
相手との距離感。
自分のキャパと優先順位。
コストとリターンのバランス。
持続可能なペース。
そして、
仕組み化で余白を作ること。
シビアなアドバイスを無視しないこと。
そうした現実の土台が固まっていないと、
最初は楽しかったはずなのに
気づけば義務のようになっていたり、
自分のために始めたはずなのに
人の期待に応えることが中心になっていたり、
好きだからこそ頑張りすぎて
自分を犠牲にしてしまったり。
そういうことが起こりやすくなります。
■ 諦めるのではなく、仕組みづくりを
このような現実の状況を見て
これはもう無理かもしれない、
諦めたほうがいいのでは、
と思うこともあるかもしれませんが、
向かっていただきたい方向は
むしろ逆です。
好きなことを、
これからも大切にしていくために。
一時的な勢いや気分で終わらせず、
自分の人生の中に定着させていくために。
現実的な面で
自分に然るべき愛を注いでいくことを
意識してみてください。
この満月のタイミングで、
たとえばこんなアクションを↓
・今のやり方を3ヶ月後も続けていけるか、一度想像してみる
・「これだけは死守したい」と思う活動を、自分の中で明確にしておく
・無理がきている部分に、ちゃんと気づいてあげる
・自分を支えてくれる人に、今の状況を共有してみる
・「もうこれは手放してもいい」と思うものを、ひとつ決める
・頑張ることと、休むことを、同じくらい大切に扱う
仕組みや土台を整えるというのは、
夢を小さくすることではなく、
自分の喜びを、一時的なものではなく、
これからも続いていくものにするための、
愛ある足場づくりです。
好きなことを、
一過性の熱狂で終わらせずに、
人生の中で長く息づくものとして育てていく。
そういう、地に足のついた自分への愛が、
今回の満月のテーマです。
■ 苦しい生き方&やり方はもう卒業
努力や修練が必要なときもありますが
それがいつも苦しい形である必要はなくて。
喜びや楽しいを感じながら、心地よく続けていく。
そういうやり方を、
この満月では、自分自身に許してあげてください。
それも、自分に注ぐ然るべき愛のひとつだと思います。
そして今回の満月では、
「真面目でいなくちゃ」
「期待に応えなきゃ」
「結果を出さなきゃ」
と頑張ってきた人にとっては、
本当は何が楽しかったのか。
何を好きでいたかったのか。
どんな表現をしていきたかったのか。
そこにもう一度、
意識が戻っていくこともありそうです。
■ ハートフルな世界で生きる
「好き・楽しい」という自分の本心を取り戻していくことを、
無理して孤独なスタイルで進めていかないことも、
今回のポイントです。
心を通わせ合える仲間や、
同じ価値観で響き合える人たちが、
きっと心強い存在になってくれます。
喜びを現実の中で形にしていくとき、
ひとりで抱え込んでやっていくか、
夢や未来、価値観などが共鳴する人と共に、
気持ちを分かち合いながら進んでいくかで
道のりもきっと変わってきます。
ゴールへの道も、心温まる癒しの旅として
歩んでいくことが可能であることを、
忘れずにいてください。
———
ということで、6月30日の山羊座満月。
まずは、これまで頑張ってきたこと、
積み重ねてきたことを、
きちんと認めてあげること。
そして、
これからも大切にしたい「好き・楽しい」については、
末長く続けていくための足場づくりを。
無理や犠牲の上に成り立たせるのではなく、
自分に必要な愛を、ちゃんと自分に注ぎ、
仲間と理想の未来を描きながら、
あなたの喜びを育てていただけたら幸いです✨
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毒親の一番の問題って、“情緒的に近づくことができないこと”なんだよね。ACは親と、“心に触れる会話”をした記憶がほとんどない。親は食事を作ってくれた。学校にも通わせてくれた。必要なものも買ってくれた。つまり“何かをしてくれた”んだ。でも、情緒的に近づこうとすると違った。悩みを話せば助言になる。気持ちを話せば否定される。本音を話せばケンカになる。だから、少しずつ心を閉ざしていく。近くにいる。毎日顔も合わせる。でも、心はまったく触れ合わない。家族はいるのに、どこか自分の居場所ではない。そんな得体の知れない孤独を抱えながら生きてきたんだよね。
毒親の過干渉がきついのは、子どもを見ているようで、実際には「親自身の不安」しか見ていないところ。
進路、成績、服装、友人関係、生活態度には細かく口を出す。
でも「本当は何がつらいのか」「何に傷ついたのか」「何を怖がっているのか」は聞かない。
ここで起きているのは、関心ではなく管理なんだよね。
親は子どもの人生をよくしたいのではなく、自分が不安にならない状態を作りたい。だから、外から見える行動だけを整えようとする。成績が悪いと不安。態度が悪いと不安。世間から変に見られると不安。だから直す。
でも感情に触れると、親自身の未熟さや加害性まで見えてしまう。
「この子はなぜ苦しいのか」を聞けば、「自分が苦しめたのではないか」に近づく。そこに耐えられないから、子どもの心には入らない。
だから、過干渉なのに無関心という矛盾が起きる。
子どもは毎日監視されるのに、理解はされない。
正されるのに、受け止められない。
期待されるのに、心配はされない。
その結果、「ちゃんとしている自分」だけが見られて、「本当は苦しい自分」は誰にも見つけてもらえないまま大人になる。
これが、過干渉なのに無関心な家庭で育つ一番深い傷だと思う。
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結婚をするということは、相手の両親が自分の配偶者に与えた心の傷の尻拭いや、満たされなかった欲求の補完をさせられることであって、それが表出した形の一つがモラ。
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結婚後に夫が急に、人格が変わったかのようにモラハラ化する現象を、「本性が出た」とだけ言うのは、少し浅い。
その背景にはしばしば、本人が育った家族の再起動がある。
結婚して「夫」になる。
家庭を持つ。
相手が「妻」になる。
その瞬間、幼い頃に見てきた家族の脚本が動き出すのである。
父は母を支配していた。
母は父に従っていた。
男は弱音を吐かなかった。
家の中では、強い者が空気を決めていた。
不安や傷つきは、怒りとして表現されていた。
そういう家庭で育つと、人はそれを嫌悪しながらも、身体のどこかで「家族とはそういうものだ」と覚えてしまう。
だから結婚後、不安になったとき、対等に話し合うのではなく、支配する。
傷ついたとき、弱さを見せるのではなく、相手を責める。
助けてほしいとき、頼るのではなく、筋違いの命令をする。
目の前の妻と向き合っているようで、じっさいには、自分が育った家族を再演している。
モラハラとは、単なる悪意ではない。
それは、自分が育った家族のなかで傷つけられた記憶が、権力を伴って再生されることなのである。
厄介なのは、本人にはそれが「加害」として捉えられておらず、どこかで見慣れた家族の秩序を取り戻す言動、行為のように感じられていることだ。
かつて家の中で、父が母を従わせていた。
誰かの不機嫌が家族全体を動かしていた。
弱さは言葉にされず、怒りや沈黙として処理されていた。
その光景を嫌っていたはずなのに、結婚後、自分が同じ位置に立つ。
妻が意見を言うと、「自分が軽んじられた」と感じる。
妻が従わないと、「家族の秩序が乱された」と感じる。
だがそれは、現在の妻と向き合っているのではない。
幼い頃に身体で覚えた、旧い家族の力関係を再演している。
その結果、本人は「家庭」を守っているつもりで、相手の自由と尊厳を削っていく。
問題は、妻ではない。
現在の家庭に、過去の家庭を持ち込んでいることだ。
モラハラを止めるには、「自分はなぜ支配しようとするのか」を見なければならない。
夫という役割に貼りついた、古い父親像を自覚しなければならない。
結婚は、新しい家族を作ることのはずだ。
しかし無自覚でいれば、人は自分が育った家族をもう一度作ってしまう。
モラハラは、本性の露出であると同時に、旧い家族像の再演である。
そしてその連鎖を止めるには、自分の中で再起動している古い家族に気づくしかない。
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毒親に対する怒りを、しっかり認識できないままだと、“隠れAC”になってしまうことがある。本来、毒親に向けるべき怒りを抑圧したまま、大人になる。すると、その怒りは消えない。行き場を失ったまま、妻や恋人、子どもへ向かってしまうんだよね。本当は、妻も子どもも愛すべき存在。でも、毒親に“モノ”のように扱われ、尊重されず、執着されながら育った子どもは「人間関係とはそういうものなんだ」と無意識に思い込んでしまう。だから、自分も同じように、相手を支配しようとする。妻の人格を認めない。子どもの感情を受け止めない。自分の価値観を押しつける。そして気づかないうちに、“かつて自分を苦しめた側”に近づいてしまう。歴史は、こうして繰り返されていくんだよね。
ACの回復過程で知っておいてほしいのは、“親への怒り”は「親への恐怖」や「ひとりになる寂しさ」が強い間は、なかなか認識できないということ。つまり、、“親への怒り“を感じられるのは、奥にある恐れや孤独を受容できるようになったからなんだよね。だから、親への怒りは“弱さ”から出てくるものではない。むしろ「本当は傷ついていた」「本当は怖かった」と認められる“強さ”が出てきた時に、ようやく表に出てくる感情なんだ。そして「今さら親に文句を言うなんて未熟だ」と言ってくる人がいる。でも、そういう人ほど、実は親への恐怖や孤独を受け止められていない“隠れAC”だったりする。怒りを否定しないと、自分の傷にも触れてしまうから。本当に健康な心を持った人は「いろんな親子関係があるよね」と自然に理解している。だから、わざわざ他人の傷を否定したり、気にさわる言葉をぶつけたりしないんだよね。
この一連の騒動については最初は黙っていようと思ってたけど、KenKenがわけのわからないヤツに絡まれたり、何も知らないコタツ記事が上がって来たのでもうこれ以上耐えられずに言う。
俺は15歳のころから忌野清志郎の猛烈なファンだった。アルバムもシングルもすべて買ったし、高校の制服を着たままライブを追っかけていた。だからいきさつの全部をリアルタイムで知っている。
忌野清志郎は大企業や金に忖度せずに言いたいことをいい、歌いたいことを歌うガチのロッカーだった。そして1988年(俺はその時25歳だった)に「ラヴ・ミー・テンダー」で“何いってんだ、冗談じゃねえ、核などいらねぇ”とか“放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ”と歌い、当時契約していたレコード会社の逆鱗に触れた。
というのは東芝EMIの親会社である東芝は原発関連事業に深く関わっていた(清志郎言葉で言うと甘いシルを吸っていた)からだ。その結果RCサクセションのニューアルバム『COVERS』は突如発売中止となった。
清志郎はこれに猛反発し、アンダーグラウンドでタイマーズを結成して、反戦ソング、社会派ソングを歌いまくった。俺たちファンも当然のことながらそれに追従し、メジャーレーベルの音源を離れて地下に潜った。そんななか今度はタイマーズの『土木作業員ブルース』が東京FMで放送禁止になったのだ。
これは青天の霹靂だった。
もともと清志郎は名曲『トランジスタラジオ』を作ったぐらいラジオが大好きだったし、俺らも深夜放送で育った世代だから、ラジオはどこまでも自由で気骨と反抗心を持ったメディアだと信じていた。
そのラジオが清志郎をはねのけた。
いつのまにか巨大資本の手先になっていたのだ。
清志郎はこれに激怒し、1989年10月13日のフジテレビの生放送番組『ヒットスタジオR&N』で報復をした。“FM東京腐ったラジオ”とか“お○○こ野郎”と連呼しまくったのだ。俺はあの放送をみて狂喜乱舞した。これぞロック、これぞ清志郎だと思った。そしてこの夜から俺たちはFM東京のことを「腐ったラジオ」と呼ぶようになった。
そのFM東京が、ここにきてまさかタイマーズのTシャツを作るとは思わなかった。
グラフィックは当時のタイマーズ。キャッチはまさかの“腐ったラジオ”だ。
その意図が何であれ、こんなものを看過することは到底できない。タイマーズのメンバーに何の連絡も無しに勝手に作ったというのが真実ならば、なおさらだ。
FM東京は腐ったラジオ。
正式な説明と謝罪をしない限り、俺は二度とFM東京を聞かないつもりだ。
























