だいたい想像がついたけど、やっぱり、そんなこったろうな過ぎる医院だった
素晴らしい医院だ。知らなかった。
haruesuzuki.com/2024/10/28/%…
反ワクはやっぱり仲間を増やしてマジョリティになりたいらしい
Replying to @sugiharadaisuke
あおるなと書いておきながら、言うのもなんですが、あおってもいいけど、傷に塩をぬったところでどうしようもない気がします。
私には、すでに彼らは反省しているようにしかみえないからです
切り離して分断せずに仲間を増やした方がいいのではないかと思うのです。
強情なだけでは
Replying to @himelbooo
コロナワクチンの接種回数は“信念“ですよ。信念があれば貫いて、可能である限り打ち続けるでしょう。でも実際はその信念を曲げて、何か言い訳めいたことを言って接種をやめたんでしょ。安い信念ですね。
強い信念があれば、それに基づいて何回打ったかを言うことなど容易いはずです。
打たない人は“信念“があるから、他人になんと言われようと絶対に打たないのですよ。信念とはそういうものです。
そんな信念もなく、政府やメディアに煽られて無思考に打ってしまった人が大勢いる。そんな人たちに救いの手を差し伸べているのが大石さんであり、鵜川さんであり、同じような活動する人たちです。あなた方が『反ワクチン』とレッテルを貼る人たちです。
大した信念のないマサマサくんは、その活動の邪魔をしないでください。大した信念もないのだから。
Genb0 retweeted
「相対論は間違っている」と本気で主張したいなら、次の検証が求められるでしょう
1.相対論では説明できない現象が発見される(理論値と観測値の食い違い)
2.独立した追試で食い違いが再現される
3.相対論に代わる新理論によって、食い違いが説明される
4.新理論による独自の「予測」が提唱される
5.未観測の事象において、相対論よりも新理論に近い観測値が得られる
「間違い」派の人には、せめて「4」までたどり着いてほしいものです
Genb0 retweeted
市民ランナーとしては割とガチでマラソンをやっていたので、ひとつ言わせてもらいたい。
マラソンとかトレランというのは、体裁のいい暇つぶしである。
誰に頼まれたわけでもない。誰の役にも立たない。なのに本人だけは何か大変な使命を背負っているような顔をしている。口を開けば「自分との闘い」だの「限界への挑戦」だの、キショいポエムが湧いてくる。
月間300km走るとしよう。そこそこ速い人でも走るだけで30時間。着替えやシャワーや洗濯まで入れれば60時間は使う。年間720時間。10年で7200時間。時給1200円のバイトでも864万円である。
ボランティアでもしていれば褒章をもらって皇居に呼ばれるかもしれない。
ところがこいつらは、呼ばれもしない皇居の周りをぐるぐるぐるぐる徘徊している。ウチだったら警察を呼ぶ。皇居には最初からいるけどな。
さらに恐ろしいのは、これが「努力」だの「挑戦」だのという美談に化けることである。
自分で金を払って大会に申し込み、自分で苦しみ、自分で故障し、自分で克服して、自分で泣く。
世間ではこれをマッチポンプというのだが、ゼッケンをつけると途端に感動的な物語になる。
なんという便利な布切れだろう。
そして最後には「走れることに感謝」などと言い出す。
走らなければ、そもそも感謝する必要もなかったのである。
さて、そんな非生産的な趣味を散々こき下ろしている私が、朝っぱらからこんな長文を書いている。
これもまた誰に頼まれたわけでもなく、誰の役にも立たない。実にくだらない時間の浪費である。
人間というのは、つくづく救いようがない。
さて、走るか。
Genb0 retweeted
一般登山家としては割とガチで登山をやっていたので、ひとつ言わせてもらいたい。
登山というのは、体裁のいい暇つぶしである。
誰に頼まれたわけでもない。
誰の役にも立たない。
なのに本人だけは何か大変な使命を背負っているような顔をしている。
口を開けば「自分との闘い」だの「自然との対話だの「限界への挑戦」だの、キショいポエムが湧いてくる。
月に4回、日帰り〜1泊の山に行くとしよう。
片道3時間、移動で往復6時間、行動時間で8〜12時間。
登山計画・準備・メンテナンスまで入れれば、1回あたり20時間は軽く使う。月80時間、年960時間。10年で9600時間。時給1200円のバイトでも1152万円である。
それだけじゃない。
登山靴・レインウェア・ザック……最初に揃えるだけで数十万は飛ぶ。なんならそのうち車も必要でガソリン代だって払う
毎年結局何十万も溶かす。
ボランティアでもしていれば、少なくとも感謝される。だがこいつらは、誰にも頼まれていない山に自分で金を払って行き、自分で汗をかき、自分で膝を痛め、自分で「登頂した」と満足して帰ってくる。
さらに恐ろしいのは、これが「努力」だの「挑戦だのという美談に化けることである。
自分で金を払って交通費を払い、自分で苦しみ、自分で故障し、自分で克服して、自分で泣く。
世間ではこれをマッチポンプというのだが、山頂の写真を上げると途端に感動的な物語になる。なんという便利な山岳写真だろう。
そして最後には「登れることに感謝」などと言い出す。登らなければ、そもそも感謝する必要もなかったのである。
さて、そんな非生産的な趣味を散々こき下ろしている私が、朝っぱらからこんな長文を書いている。これもまた誰に頼まれたわけでもなく、誰の役にも立たない。実にくだらない時間の浪費である。
人間というのは、つくづく救いようがない。
さて、今週も登るか。
市民ランナーとしては割とガチでマラソンをやっていたので、ひとつ言わせてもらいたい。
マラソンとかトレランというのは、体裁のいい暇つぶしである。
誰に頼まれたわけでもない。誰の役にも立たない。なのに本人だけは何か大変な使命を背負っているような顔をしている。口を開けば「自分との闘い」だの「限界への挑戦」だの、キショいポエムが湧いてくる。
月間300km走るとしよう。そこそこ速い人でも走るだけで30時間。着替えやシャワーや洗濯まで入れれば60時間は使う。年間720時間。10年で7200時間。時給1200円のバイトでも864万円である。
ボランティアでもしていれば褒章をもらって皇居に呼ばれるかもしれない。
ところがこいつらは、呼ばれもしない皇居の周りをぐるぐるぐるぐる徘徊している。ウチだったら警察を呼ぶ。皇居には最初からいるけどな。
さらに恐ろしいのは、これが「努力」だの「挑戦」だのという美談に化けることである。
自分で金を払って大会に申し込み、自分で苦しみ、自分で故障し、自分で克服して、自分で泣く。
世間ではこれをマッチポンプというのだが、ゼッケンをつけると途端に感動的な物語になる。
なんという便利な布切れだろう。
そして最後には「走れることに感謝」などと言い出す。
走らなければ、そもそも感謝する必要もなかったのである。
さて、そんな非生産的な趣味を散々こき下ろしている私が、朝っぱらからこんな長文を書いている。
これもまた誰に頼まれたわけでもなく、誰の役にも立たない。実にくだらない時間の浪費である。
人間というのは、つくづく救いようがない。
さて、走るか。






























