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僕は、昨年10/13の万博最終日を終えてから、ある意味で〈いわゆる現実〉との対峙を続けてきた。
そして諸々あったが、その日々は今終わりを告げた。すなわち、僕はあのオールデイ(184日)万博の日々と同じ「夢の日々」へと帰還した。
さあ、みんな行くぞ!ここからは俺達の【ラヴ・パレード】だ!!
ちゃんと理屈を考えたら、今の東京でタワマン価格が下落しても何の不思議も無いのだが、下落幅含めてなかなかにショックな事になっているようだ … 。
本当に日々タワマン価格の下落のニュースが流れてきていますね。
マンション価格を支えていたのは「欲しい人の多さ」だけではありません。銀行がどこまで貸してくれるかでした。
東京湾岸のタワマン価格が明確に下がり始めています。
日銀の利上げで住宅ローン金利が上がれば、同じ年収でも借りられる金額は減る。
すると、7000万円借りられた人が6000万円しか借りられない。1億円買えた人が9000万円しか買えない。
買い手の購買力そのものが下がります。ここが重要です。
不動産価格は「売り手がいくら欲しいか」ではなく、「買い手がいくら借りられるか」で最後は決まります。
これまで湾岸は、低金利、共働き高所得、投資資金、値上がり期待で価格が押し上げられてきました。しかし金利が上がると、その土台が逆回転します。
借入可能額が減る。買い手が減る。売却期間が長くなる。値下げが増える。それを見た投資家がさらに慎重になる。
そして怖いのは、これが湾岸だけで終わらないことです。これも当然です。どんどん周辺も下がってきています。
湾岸は日本で最も価格が先に上がった場所。だから下落も先に出やすい。
もしここで起きている変化が全国へ遅れて波及するなら、いま見ているのは単なる地域調整ではなく、日本の住宅市場全体の金利相場への移行だと考えるべきでしょうね。
「不動産は上がり続ける」ではなく、これからは金利が上がれば、買える価格も下がる。当たり前の原則が、ようやく市場に戻ってきたのだと思います。
来年は1年かけて下落。そしてその最中にAIバブル崩壊が起こる可能性も高い。そしてやはり2028年に安値で優良不動産をバーゲンセールで買うチャンスがくるでしょうね。
次回の購入は先々の上昇を見込んでではなく、あくまでも終のすみかのひとつとしての買いとして考えています。といっても資産として良い物件がでれば買い足すことになるでしょうが。
僕は京都ルーツの奈良県人だが、大阪にも【景観論争】があるべきだ!… それは、切実に思う。
うめきたビル全力で阻止すんで‼️
屋上看板については大阪市に景観改善の2025年6月27日受付の市民意見要望が出されてたけど、結局ガイドラインの対象区域外という理由で改善には全くつながらんかった。
うめきたビルの住所が中津5丁目であっても完全にここは「うめきた」やで!!
でも、今回の巨大デジタルサイネージ「うめきたビジョン」は話が別やろ!
世界に誇れる緑豊かなうめきた公園ができたのに、その景観を壊す巨大広告を設置するなんて考えが異常やで!
今回の計画は、屋上と壁面を合わせて約912㎡もの巨大LEDビジョン
静止した看板と違って、映像が切り替わり、夜間には強い光を放つ可能性もあるノース南向き住戸の住民としてもほんまに我慢ならんわな!
これは徹底的に声を上げて、計画の見直しを求めなあかんと思う!
「大阪市民の声・番号「661216」
2025年7月25日付回答
「うめきたエリアの屋外広告物に対する景観配慮の強化に関する要望」
受付番号「661216」は既にあえてなのか大阪市のサイトから消されとるけど...
そのときの大阪市の回答は....
① うめきた地区には景観ガイドラインがある
② 以前の看板は対象区域外のため適用できない
③ 今後、規制の必要性が高まれば市民の意見も参考にする
という内容やった、、
つまり大阪市は、うめきた周辺の大型広告による景観への懸念を以前から把握してたってことやで!
シンワLED看板を認めるからあとから他社も継続するんや!
それなら今回の計画こそ、しっかり検証せなあかんやろ!
東京の企業の営利広告のために、その景観が大きく変わってしまう可能性を、何の説明もなく受け入れるわけにはいかへん
大阪市には許認可や景観審査の内容を明らかにして、設置計画を徹底的に見直してほしい!
これは単なる看板の問題やなくて、これから何十年も続く大阪の街並みの問題や!
大阪市 計画調整局 計画部 都市計画課(都市景観担当) 06-6208-7887
#うめきた公園 #うめきたビジョン
本件、アンチ側はおそらく「大阪と兵庫に集中して他は捨てる」とかの作戦を採って来そうですが、この手の姑息な(一時しのぎと卑怯の両方の意味で)手口は、一般的にはそうそう上手くはいかないものです。
Replying to @sainsouye159 @Takachan2921M
同日選にするメリットの一番は、大阪にまったく関係のない反対派の議員・秘書・スタッフ・プロ市民がこぞって大阪入りして反対活動ならぬ妨害活動をする、あの光景を見なくて済みそうなこと。その次がどっちに有利になるのか分からないけど、投票率が上がること。
奈良の観光ブームは、万博による一過性のものでは無かった事が証明されていますね。
ことし(2026年)上半期に県内のホテルや旅館に宿泊した人は、過去最多だった去年(2025年)を上回るペースで増えていることが奈良県のまとめでわかりました。
県では、さらにプロモーションに力を入れたいとしていきます!
news.web.nhk/newsweb/na/nd-2…
AIは、元々自動医療のために始められた技術。そしてずっと「人間の医者の既得権」との戦いだった。災害救助やチェスに向かわなければならなかったのは、そういう事情。そして今、AIはついに「本丸」を落としにかかっている。
AIが医師と認められる日 立ち塞がる医師法の壁
nikkei.com/article/DGXZQODK2…
例えば、肺がんや乳がんの検診で撮るエックス線画像の読影。医師2人によるチェックが求められています。AIによる異常検出は熟練医と同等以上の精度に到達していますが、医師法17条が全面活用を阻んでいます。
これはまたまた凄まじく鋭い指摘 … おっしゃる通りで、いつの頃からか日本には「文化全般を『過去の突端』として、骨董品的価値に於いてしか評価出来ない」という、異様な「冷たい社会」根性が染み付いていますね。そして少なくとも大阪は、こんな貧しい精神とは無縁です。
Replying to @TOKA_Torch
日本人は「冷たい社会」根性が染み付いており、文化全般をいわば過去の突端として、骨董品的価値に於いてしか評価出来ない所がありますが、こと大阪に限っては大阪城でも今回のデザインシステムでも「さっさと再建して魂を込め直す」という、板についた町衆根性がありますからね。
TOKA(松明創研) retweeted
Replying to @kenitinaniwano
これ、夢洲を会場とした時点で、緯度の一致からの日想観というのは、確実に【意図的】だったと見ています。すなわち、大屋根リングとは「命輝寺(めいきじ・いのちかがやくてら)」なんです。なので、東大寺のように再建されるのは、運命だと思ってます。
昨今は「情報戦」などともてはやされるけど、要は武田信玄(戦国時代=中世末期)の時代からの古式ゆかしい〈錯誤のテクニック〉だったという事ですね。
常識にそってシンプルに考えれば、あり得ない事はあり得ないと、即座に分かります。
僕が高槻から豊中に移住したのは2019年2月でしたが、その時は豊中の方が高槻より不動産価格がかなり高かったですね。
しかし、この8年近く豊中の街はほとんどまったく変化が無く、僕は今でも高槻に帰ることが多く、高槻に帰るたびに高槻はどんどん再開発され続け、先週、高槻の富田という普通電車しか止まらない高槻のローカルな拠点に行き、そこでも阪急富田駅南側は広い道が整備され、JR摂津富田駅北側は絶賛再開発中で、この8年近くで住居の不動産価格が豊中は高槻に大きな差をつけられたのも納得できることは多々あります。
高槻と豊中に長く住んだ僕としては、豊中はメディア的には大阪でもっとも富裕層が集まる凄い都市と報じてますが、それは事実な部分が多いものの、メディアが凄いと不自然に報じ続ける都市は都市の潜在能力に全然自信が無いから、メディアを使って世論工作をして凄い都市を演出せねばならず、改めて武田信玄の名言通り、「100人中99人に褒められる人間は良き者にあらず」という武田信玄の名言を身に染みて実感しました。
TOKA(松明創研) retweeted
デザインを「使い捨て」とする時代は、もう終わった。デザインとは、社会の「資産」。これが今後の時代のスタンダードになる。時代は、変わった。
デザインを「使い捨て」にする時代は、もう終わりにしましょう。デザインは、つくって捨てるものではなく、「育てつづける」ものであり、社会にとっての「資産」です。「資産」とはどういうことなのか?改めて良い機会なのでしっかりと解説しておきたいと思います。(長文ですがすみません)これまで、多くの国家プロジェクトや公共プロジェクトのデザインはプロジェクトが終われば、その役割を終え、使われなくなってきました。しかし、本来デザインが生み出した価値は、プロジェクトの終了とともに失われるべきものではないと思っています。
むしろ、そこからが本当の始まりなのではないでしょうか。生み出されたデザインを死蔵させるのではなく、社会に開き、人々が自由に参加し、使い、創作し、育てていけるようにする。
そうすることで、デザインは単なる成果物から、社会に根づく「文化」へと変わっていきます。そして、文化は人々に使われ、愛され、参加されることで、さらに価値を増していく。
大切なのは、文化的価値が高まることと、経済的価値が高まることは、決して矛盾しないということです。人々の創作活動が広がれば、観光や地域産業、お土産やグッズ、さまざまな商品やサービスへと展開され、新しい経済活動が生まれていく。
そして、そこで生まれた経済的価値を、再び社会へと還元していく。
例えば、まちづくりや公共空間の整備、緑地化、次世代の教育、文化活動への支援など、未来の社会をより豊かにするために再投資する。さらに、そうした活動の社会的意義に共感する企業がスポンサーとして参加し、新しい活動を支える。
例えば、企業のスポンサーシップのあり方も、これまでとは違うものにできるのではないでしょうか。単に協賛金を出してロゴを掲出するだけではなく、企業自身がその文化を育てる当事者になっていく。
例えば、万博から生まれた「こみゃく」や「こみゃく文字」などのデザインを活用して、企業が自社の商品やグッズを制作・販売できるようにする。企業はそのデザインを通じて新しい商品価値やブランド価値を生み出し、その収益の一部を文化活動や公共的な取り組みに還元していく。
企業にとっても、単なる広告宣伝や社会貢献活動ではなく、自社の事業活動と文化的・公共的な価値の創出を結びつける、新しい参加の形になるはずです。
例えば、「大阪の未来を共につくる企業」という共通の旗印のもと、さまざまな企業が参加する仕組みをつくってもよいかもしれません。ONE OSAKAとしてのCo-Branding活動と言えると思います。
そこで生まれた資金を、環境保全や緑地化、まちづくり、次世代の教育、文化芸術活動などに再投資していく。
そして、その活動そのものを象徴する共通のデザインがあることで、企業も市民もクリエーターも、同じ未来に向かって参加できるようになる。
デザインが単なる装飾や広告のためのものではなく、異なる立場の人々をつなぎ、社会を動かす共通の旗印になるわけです。
一方で、クリエーターたちは、その文化から新しい価値を生み出しつづけていく。デザインやアート、映像、音楽、プロダクト、イベントなど、さまざまな領域で新しい表現や創作活動を展開していく。そして、そうした活動を支える仕組みも同時につくっていく。
さらに重要なのは、市民による二次創作的な活動も、これまでと同じように、いや更に自由に続けられる環境を守っていくことです。企業による商業的な活用が広がった結果、市民の自由な創作活動が制限されてしまっては、本末転倒です。むしろ、市民による自由な創作活動が文化の裾野を広げ、クリエーターによる新しい表現が文化を進化させ、企業による事業活動がその持続可能性を支える。
それぞれが異なる役割を持ちながら、互いの活動が次の活動を生み出していく。市民は自由に創作し、クリエーターは新しい価値を生み出し、企業は事業を通じて文化を支え、そこで生まれた利益が再び社会へと還元される。
文化が育つことで経済が生まれ、経済が生まれることで文化や公共がさらに豊かになっていく。つまり、文化的価値を経済的価値へとつなぎ、その経済的価値を再び公共的価値へと還元する。
この「循環そのものをデザインする」ことが重要なのだと思っています。
これまで「レガシー」という言葉は、何かを保存したり、後世に残したりする意味で使われることが多かったように思います。しかし、僕らが考えるレガシーは、単に過去の成果を保存することではありません。
レガシーとは、過去に生まれた価値が、未来の新しい価値を生み出しつづける仕組みそのものではないか。つまり、レガシーを過去の「遺産」としてではなく、未来に向けて価値を生み出しつづける「資産」として捉え直すということです。
そして、そこにはもうひとつ重要な視点があります。
それは、誰がその価値を所有し、誰が育てていくのか、という問題です。公共のデザインの価値を特定の組織や企業だけが独占するのではなく、社会に開き、多くの人がその価値を享受し、さらに新しい価値を生み出せるようにする。
「みんなのもの」にするというのは、単に無料で使えるようにすることではありません。みんなが関わり、育て、その恩恵を受け、次の世代へと受け渡していけるようにすることです。
もちろん、そのためには権利の管理や運営の仕組み、持続可能な経済モデルも必要になります。開放することと、持続可能にすること。その両方を成立させなければ、本当の意味で文化を育てつづけることはできません。
だからこそ、これまでの知的財産のあり方そのものを問い直す必要があると思っています。知的財産は、単に権利を守るためだけに存在するものではないはずです。
もちろん、創作者の権利や利益を守ることは重要です。しかし、守ることだけを目的にしてしまえば、せっかく生まれた創造性や可能性を閉じ込めてしまうことにもなりかねません。
知的財産を「価値を囲い込むための仕組み」から、「価値を育て、広げ、循環させるための仕組み」へ。そのためには、クリエーターだけでなく、法律や知的財産の専門家、行政、企業、市民など、異なる領域の人たちが協働し、新しいルールや仕組みをつくっていく必要があります。
そして、もうひとつ重要なのは、単に開放したり管理したりするだけでは、文化は育たないということです。
文化は、誰かが使い続け、新しい表現を生み出し、人々が参加し、活動を続けていくことで初めて育っていくものです。だからこそ、権利を管理するだけでなく、新しい創作を生み出し、人と人をつなぎ、活動を支え、経済を循環させることが必要になる。
僕は、こうした仕組みまで含めてヴィジョンを描き、多様な専門家と協働しデザインすることが、これからのクリエーターの重要な仕事になっていくと考えています。
デザインの仕事は、何かをつくることだけではない。
つくったものが社会の中で生きつづけ、育ちつづけ、新しい価値を生み出しつづける仕組みをつくること。
「何を残すか」ではなく、「何が生まれつづけるか」。
それこそが、これからの時代に必要な「戦略的なレガシーデザイン」なのではないでしょうか。
今回の大阪・関西万博は、僕にとって、こうした考え方を社会の中で実践する大きな機会になりました。
万博のデザインが多くの人々に愛され、二次創作が広がり、さまざまな人が自ら創作に参加するようになった。
そこでは、デザインが単なる公式の制作物という枠を超え、人々の手によって新しい表現や文化へと育っていく姿を見ることができました。
もちろん、まだ多くの課題があります。権利のあり方も、経済的な循環の仕組みも、これから考え、実践していかなければなりません。
しかし、今回の万博は、これまでの「閉じて守る」知的財産のあり方から、「開いて育てる」知的財産のあり方へ、社会が新しい一歩を踏み出す転換点になり得るものだったと思っています。
そして、この取り組みには、日本だけでなく、世界に向けても提示できる大きな可能性があると感じています。
万博は終わりました。
でも、そこで生まれたデザインや文化まで終わらせる必要はありません。
むしろ、ここからが始まりです。
デザインを「遺産」から「資産」へ。
「デザインを消費する社会」から、「デザインを育てつづける社会」へ。
「レガシーを保存する時代」から、「レガシーが新しい価値を生み出しつづける」時代へ。
そのあり方を、今後も我々一般社団法人COMMONsも社会へ向けて提言していきたいと思っています。
#COMMONs #こみゃく
デザインを「使い捨て」とする時代は、もう終わった。デザインとは、社会の「資産」。これが今後の時代のスタンダードになる。時代は、変わった。
デザインを「使い捨て」にする時代は、もう終わりにしましょう。デザインは、つくって捨てるものではなく、「育てつづける」ものであり、社会にとっての「資産」です。「資産」とはどういうことなのか?改めて良い機会なのでしっかりと解説しておきたいと思います。(長文ですがすみません)これまで、多くの国家プロジェクトや公共プロジェクトのデザインはプロジェクトが終われば、その役割を終え、使われなくなってきました。しかし、本来デザインが生み出した価値は、プロジェクトの終了とともに失われるべきものではないと思っています。
むしろ、そこからが本当の始まりなのではないでしょうか。生み出されたデザインを死蔵させるのではなく、社会に開き、人々が自由に参加し、使い、創作し、育てていけるようにする。
そうすることで、デザインは単なる成果物から、社会に根づく「文化」へと変わっていきます。そして、文化は人々に使われ、愛され、参加されることで、さらに価値を増していく。
大切なのは、文化的価値が高まることと、経済的価値が高まることは、決して矛盾しないということです。人々の創作活動が広がれば、観光や地域産業、お土産やグッズ、さまざまな商品やサービスへと展開され、新しい経済活動が生まれていく。
そして、そこで生まれた経済的価値を、再び社会へと還元していく。
例えば、まちづくりや公共空間の整備、緑地化、次世代の教育、文化活動への支援など、未来の社会をより豊かにするために再投資する。さらに、そうした活動の社会的意義に共感する企業がスポンサーとして参加し、新しい活動を支える。
例えば、企業のスポンサーシップのあり方も、これまでとは違うものにできるのではないでしょうか。単に協賛金を出してロゴを掲出するだけではなく、企業自身がその文化を育てる当事者になっていく。
例えば、万博から生まれた「こみゃく」や「こみゃく文字」などのデザインを活用して、企業が自社の商品やグッズを制作・販売できるようにする。企業はそのデザインを通じて新しい商品価値やブランド価値を生み出し、その収益の一部を文化活動や公共的な取り組みに還元していく。
企業にとっても、単なる広告宣伝や社会貢献活動ではなく、自社の事業活動と文化的・公共的な価値の創出を結びつける、新しい参加の形になるはずです。
例えば、「大阪の未来を共につくる企業」という共通の旗印のもと、さまざまな企業が参加する仕組みをつくってもよいかもしれません。ONE OSAKAとしてのCo-Branding活動と言えると思います。
そこで生まれた資金を、環境保全や緑地化、まちづくり、次世代の教育、文化芸術活動などに再投資していく。
そして、その活動そのものを象徴する共通のデザインがあることで、企業も市民もクリエーターも、同じ未来に向かって参加できるようになる。
デザインが単なる装飾や広告のためのものではなく、異なる立場の人々をつなぎ、社会を動かす共通の旗印になるわけです。
一方で、クリエーターたちは、その文化から新しい価値を生み出しつづけていく。デザインやアート、映像、音楽、プロダクト、イベントなど、さまざまな領域で新しい表現や創作活動を展開していく。そして、そうした活動を支える仕組みも同時につくっていく。
さらに重要なのは、市民による二次創作的な活動も、これまでと同じように、いや更に自由に続けられる環境を守っていくことです。企業による商業的な活用が広がった結果、市民の自由な創作活動が制限されてしまっては、本末転倒です。むしろ、市民による自由な創作活動が文化の裾野を広げ、クリエーターによる新しい表現が文化を進化させ、企業による事業活動がその持続可能性を支える。
それぞれが異なる役割を持ちながら、互いの活動が次の活動を生み出していく。市民は自由に創作し、クリエーターは新しい価値を生み出し、企業は事業を通じて文化を支え、そこで生まれた利益が再び社会へと還元される。
文化が育つことで経済が生まれ、経済が生まれることで文化や公共がさらに豊かになっていく。つまり、文化的価値を経済的価値へとつなぎ、その経済的価値を再び公共的価値へと還元する。
この「循環そのものをデザインする」ことが重要なのだと思っています。
これまで「レガシー」という言葉は、何かを保存したり、後世に残したりする意味で使われることが多かったように思います。しかし、僕らが考えるレガシーは、単に過去の成果を保存することではありません。
レガシーとは、過去に生まれた価値が、未来の新しい価値を生み出しつづける仕組みそのものではないか。つまり、レガシーを過去の「遺産」としてではなく、未来に向けて価値を生み出しつづける「資産」として捉え直すということです。
そして、そこにはもうひとつ重要な視点があります。
それは、誰がその価値を所有し、誰が育てていくのか、という問題です。公共のデザインの価値を特定の組織や企業だけが独占するのではなく、社会に開き、多くの人がその価値を享受し、さらに新しい価値を生み出せるようにする。
「みんなのもの」にするというのは、単に無料で使えるようにすることではありません。みんなが関わり、育て、その恩恵を受け、次の世代へと受け渡していけるようにすることです。
もちろん、そのためには権利の管理や運営の仕組み、持続可能な経済モデルも必要になります。開放することと、持続可能にすること。その両方を成立させなければ、本当の意味で文化を育てつづけることはできません。
だからこそ、これまでの知的財産のあり方そのものを問い直す必要があると思っています。知的財産は、単に権利を守るためだけに存在するものではないはずです。
もちろん、創作者の権利や利益を守ることは重要です。しかし、守ることだけを目的にしてしまえば、せっかく生まれた創造性や可能性を閉じ込めてしまうことにもなりかねません。
知的財産を「価値を囲い込むための仕組み」から、「価値を育て、広げ、循環させるための仕組み」へ。そのためには、クリエーターだけでなく、法律や知的財産の専門家、行政、企業、市民など、異なる領域の人たちが協働し、新しいルールや仕組みをつくっていく必要があります。
そして、もうひとつ重要なのは、単に開放したり管理したりするだけでは、文化は育たないということです。
文化は、誰かが使い続け、新しい表現を生み出し、人々が参加し、活動を続けていくことで初めて育っていくものです。だからこそ、権利を管理するだけでなく、新しい創作を生み出し、人と人をつなぎ、活動を支え、経済を循環させることが必要になる。
僕は、こうした仕組みまで含めてヴィジョンを描き、多様な専門家と協働しデザインすることが、これからのクリエーターの重要な仕事になっていくと考えています。
デザインの仕事は、何かをつくることだけではない。
つくったものが社会の中で生きつづけ、育ちつづけ、新しい価値を生み出しつづける仕組みをつくること。
「何を残すか」ではなく、「何が生まれつづけるか」。
それこそが、これからの時代に必要な「戦略的なレガシーデザイン」なのではないでしょうか。
今回の大阪・関西万博は、僕にとって、こうした考え方を社会の中で実践する大きな機会になりました。
万博のデザインが多くの人々に愛され、二次創作が広がり、さまざまな人が自ら創作に参加するようになった。
そこでは、デザインが単なる公式の制作物という枠を超え、人々の手によって新しい表現や文化へと育っていく姿を見ることができました。
もちろん、まだ多くの課題があります。権利のあり方も、経済的な循環の仕組みも、これから考え、実践していかなければなりません。
しかし、今回の万博は、これまでの「閉じて守る」知的財産のあり方から、「開いて育てる」知的財産のあり方へ、社会が新しい一歩を踏み出す転換点になり得るものだったと思っています。
そして、この取り組みには、日本だけでなく、世界に向けても提示できる大きな可能性があると感じています。
万博は終わりました。
でも、そこで生まれたデザインや文化まで終わらせる必要はありません。
むしろ、ここからが始まりです。
デザインを「遺産」から「資産」へ。
「デザインを消費する社会」から、「デザインを育てつづける社会」へ。
「レガシーを保存する時代」から、「レガシーが新しい価値を生み出しつづける」時代へ。
そのあり方を、今後も我々一般社団法人COMMONsも社会へ向けて提言していきたいと思っています。
#COMMONs #こみゃく
TOKA(松明創研) retweeted
もちろん万博関連イベントとして、中之島で行われた「世界縁日」の存在は極めて重要だ。まさに祭りが社会実装されたもので、僕が万博後期から「溶け出す万博」「ラヴ・パレードは続く」と言ってた通りになっている。
teapawt.net/sturdy_ironbird/status…
本件は、吉村府知事による「公約達成」でもある。ともあれ、万博のソフトレガシーは、また一つ未来へと続く事になった。万博自体は終幕したが、いのちの連鎖は続く。
もちろん万博関連イベントとして、中之島で行われた「世界縁日」の存在は極めて重要だ。まさに祭りが社会実装されたもので、僕が万博後期から「溶け出す万博」「ラヴ・パレードは続く」と言ってた通りになっている。
teapawt.net/sturdy_ironbird/status…
マーシャル諸島における、ベーシックインカム(UBI)の実験は、興味深い結果を残した。よく言われるような「怠け者が増える」というのは杞憂で、むしろ消費拡大によるインフレ傾向が問題だと。IMFの勧告によると「貧困層に的を絞った給付にすべき」とのこと。
The emergence of AI and its potential for job displacement have revived talk of universal basic income. Big countries could learn something from the Marshall Islands economist.com/asia/2026/10/2…
TOKA(松明創研) retweeted
本件は、吉村府知事による「公約達成」でもある。ともあれ、万博のソフトレガシーは、また一つ未来へと続く事になった。万博自体は終幕したが、いのちの連鎖は続く。

















